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「馬鹿なの?ねえ馬鹿なの?なんであんなわかりやすい沼に嵌ってんのお前?ねえどういうこと?」
俺がカアカアカアカア!と責め立てると、子狐はシッポと耳を下げてしょんぼりした。ちなみに、茶色い毛皮は見事に泥で真っ黒に染まってしまっている。
「ごめんなさい。で、でも溺れてたわけじゃないんだよ。ただ、毛皮を黒く染められたらいいなあって思って……」
「嘘つけどう見ても溺れてただろうが!あと泥で黒くしても水で流れたら落ちるんだっつーの!完全に黒く染まるのは無理、ぜってー無理!精々おめえの母ちゃんの雷が落ちるだけ!!」
「そんなあ」
どうやら、悪役になるために形から入ろうとしたらしい。考えたことはわかるがそれでも馬鹿としか言いようがない。こいつの両親はさぞかし苦労していることだろう。
「あのな、子狐」
泥だらけの子狐を川の方へ案内しながら、俺は語りかけた。
「毛を黒く染めたら悪役になれるなんて、そんなことはねえんだぜ。どんなイキモノだって同じなんだ。見た目だけ取り繕ったって、中身が伴わなきゃ意味なんかねえ。すぐに化けの皮が剥がれて、騙された分もっと叩かれるだけだ。お前が何かになりてえなら、中身を変えていく努力をするしかねえんだよ」
「でも、見た目がかっこよくなかったら、誰も中身を見てくれないじゃないか」
「じゃあ聞くが、生まれつき顔に傷がある奴は一生怖がられても仕方ないのか?醜い姿の奴は一生笑われても当然なのか?違うだろ。だからしょうがないって卑屈になってもっとイヤな奴になったら、それこそ誰もそいつを見てくれねえ。家族だっていずれ見放すかもしれない。……どんな姿していようとな。正しい努力をする奴のことは、必ず誰かが見ていてくれるもんなんだぜ。おてんと様は悪いことも見てるが、良いことも見てくれてるもんだ。少なくとも……」
川まで辿り着いた。川岸に佇み、空を見上げて呟く俺。
「少なくとも。……そう信じて生きていた方が、幸せになれると俺は思う」
「カラスさん……」
「よく考えろ。おめえがなりたいのは、本当に悪役なのかってことをよ」
ちらり、と子狐を振り返る。
「そして、おめえも……自分を差別した奴らと同じものになっていないかどうか、胸に手を当てて考えてみるってんだ。……クマだから、オオカミだから、カラスだから悪役に違いない。おめえもそうやって信じちまったから、俺に声をかけてきたんだろ」
「!」
はっとしたように目を見開く子狐。
無自覚の差別や偏見は、簡単になくせるものじゃない。それを悪意とさえ自覚していない者、むしろ正義だと思っている者の認識を改めるのは簡単なことではないのだ。――俺も、カラスだから汚いはず、悪いはずと何度も追い回されたことがあるから知っているのである。
「この森に魔女や悪魔はいねえけど、心の中にはいるもんなんだぜ。おめえをいじめた奴らの中にも、おめえや俺の中にもな。でも、そいつを上手に飼いならして生きるか、奴隷になるかは選ぶことができんだ。なあ、おめえは本当は何になりたい?」
なるべく優しい声を作って問いかければ、子狐はちょっぴり泣きそうな声で返してきたのだ。
「……本当にごめんなさい。そしてやっぱりぼく、カラスさんの弟子にしてほしい」
つん、と鼻先で俺のくちばしに触れて、子狐は笑う。
「本当は、狐でもヒーローになれるって証明したいんだ。カラスさんは、悪役じゃなくてヒーローだった。ぼくも、そうなりたい」
「ふん」
泥がついた嘴が、ちょっとだけくすぐったい。俺は気恥ずかしさからそっぽを向きつつ、子狐に告げたのだった。
「お世辞言っても何も出ねえんだよ、ばーか」
とりあえず、二人で水浴びするところからスタートだ。
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