情緒的なビブラート

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 布団に行くときはいつも二人同時、それが暗黙の了解になっていた。ダブルベッドは志恩が一人暮らしの頃から使っているもので、広い方が好きだからと使っていたらしいのに、いざ私と寝るようになって狭くなったはずの今の方がよく眠れるようになったというのだから、私は幸せ者だと思ったものだ。  ベッドに入ると、寝落ちするまで二人で話をするのももう日課になっていた。私たちはなんでもない話をいくらでもできる。それでいて、なにも話さないで好きなことをしていても苦にならない空気も持ち合わせていた。ここに越してきたときから、それはずっと続いている。なんて居心地のいい人だろう、と半分驚きですらあった。私たちは、同棲するとともに付き合い始めたから、それまでは友人としてしか知らなかったのだ。 「あの日、だったら俺のところに来れば、って志恩が誘ってくれて本当に良かった。私、ここに来れたこと、ほんとに良かったと思ってるよ」  腕枕で横になったとき、私はそう言った。元彼の支配から私を救ってくれたのが志恩だった。  今日はなんだかそんな気分だった。彼に、ありがとうと伝えたくてうずうずしていた心が、そろそろ弾けそうだったのだ。 「今日は、やたらと褒めてくれるじゃん。どうしたの」  照れ隠し半分、怪訝そうなのも半分に志恩はこちらを向いた。その瞳は、すこしだけ不安を含んでいるように見えた。 「うん。言いたかったの、ずっと。元彼から私を引き離してくれて、お陰で私は幸せになれたから。……だからさ、やっぱりギター、もう一度やってくれない?」  ”だから”がどこにかかっているのか、彼には分からないだろう。私が、志恩の弾くギターをどれだけ愛していたかを、彼は知らないのだから。  けれど、志恩からは無言の返事が返ってきただけだった。  無言――それは要するに、もうやめたんだという気持ちの表れなのは分かっていた。でも、知っているのだ。本当はまだ弾きたいことを。本当はまだ、ステージに立ちたいことを。だって、私がこっそりお風呂から上がるといつも自分のLIVE動画やギターの動画ばかり見ているのを、何度も目にしているのだから。 「本当は、まだ弾きたいんでしょう?」  追い打ちを掛けるかのように私がそう言うと、志恩が瞳を揺らしたのが分かった。 「なにも、やめなきゃいけない理由なんかなかったじゃない。プロにはなれなくても、続ける道だってあったのに」 「プロになれないなら、弾く意味なんてないんだよっ…」  いつになく感情的に彼の口から言葉が漏れる。知っている。血を吐くようにやめたそのときに、私は一緒に居たのだから。  やめたくなんてなかった、と言わせられるだけの性質を私は持ってはいなかった。彼に素直になってもらえるだけの要素を私は持ってなどいないんだと思わされたのが、なんとも胸を苦しくさせた。
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