情緒的なビブラート

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 翌週は雨が続いた。気付けばもう梅雨がやってきたことに、私は一抹の切なさを覚える。雨というのは、人を情緒的にさせる。私がかつて愛したあの音色を曇らせたのは、梅雨のある日だった。 「ダメだ、こんな音じゃダメなんだ」  唐突に志恩がそう言った。それは夜、いつものようにビールを軽く傾けながら、彼がギターを触っていたときだった。いつものように降ってくるものを音に落とし込んで曲作りをしていた彼が、ふいに投げやりにそう言ったのだった。私は掛ける言葉が見つからず、彼の言葉を待っていた。 「いつも同じような音ばっかり。今までこれでダメだったんだから、次こそはって思ってたのに……全然降ってこない」  自分の創造力の限界に、彼はぶち当たっているようだった。それが彼がギターを手放す更に一年前のこと。このご時世昔とは違い、ネットでいくらでも練習動画は上がっているし、自作の曲をいくらでもネットで上げられる時代にもなっていた。彼も例に漏れず、そうして動画を上げてはいたものの再生回数はなかなか伸びなかった。間口が広がった分、流行り廃りも激しく流れていく今のご時世、世間の注目を集めるなどというのはなかなかに難しい話なのは分かっていた。  彼が昔から続けていたバンドを抜けたのは、諦めるためだった。未練を残さないようにすべてを遮断した。そうすることで、彼はなにを守ったのだろうか。自分のプライドもズタズタにされて、技術のなさに途方に暮れて。今更、なにを守るものがあったのだろう。私には分からない。好きなら続ければいいのに、それだけのことが彼にはどうしてもできないようだった。  夢――私にはほとんどなかった。自分の手出し可能な世界をただ知っていって、その中で自分にできることをやってきたにすぎない。仕事も、向いているのかは分からないけれど、採ってもらえたところで当たり障りなく過ごすことに終始していて代わり映えもない。学生時代からそんななので、志恩のような人は私からするとひどく眩しかった。  けれど、これは不毛な願いなのかもしれない。自分にはできなかったことを他人に叶えてもらおうとしているような、そんな不毛な願い。こんなことを託されたって、彼も迷惑だろうと思っていたのは確かだ。それでも、私はこの不毛な願いを託すよりも前から、志恩のギターが好きだったのだ。それこそ、ロックなんて聞きもしなかった当初からずっと。音の良し悪しなんて分からなくても、ずっと。
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