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志恩の瞳が一瞬揺れるのが分かった。私が説得しても無駄だったのだけが、すこし寂しかった。けれど、これは同じ空間を共有している者同士でしか分かち合えないものもあるのだろうことも、理解はしているつもりだった。
「この一年ちょっと、ずっとギターのことばっかり考えてた。考えないようにしようと思えば思うほど考えちゃって、……小百合に言われたときは、つい頭に血が上ったというか、図星だったというか……その、ごめん」
志恩が頭を下げる。恩義のある方に報いたくて手放せなかったギター。志半ばに一度は折れた心。それでも、彼がまたステージに立ちたいと思ってくれたのが嬉しかった。また、あの音を家で聴ける日が来ることが嬉しかった。私だけの音を聴ける日が。
「やっぱり、無条件でステージに立つって楽しいんだ、って思わされた。ユキに、LIVEの気持ちよさを散々説かれたよ。それはもう耳にタコができるくらいに」
苦笑しながら話していたけれど、その表情からはなにか吹っ切れたものがあることが窺えて、それだけで私はたまらない気持ちになった。
私は居住まいを正して、彼の瞳を覗き込む。
「じゃあさ、あれ弾いてよ。私の一番好きなやつ」
「また?」
「何度でも聴きたいのよ。アンプを通さないあの音、聴けるのは私の特権でしょ」
「家じゃ、アンプ通せないからってだけじゃん」
はは、と笑いながら彼は物置に向かっていった。
志恩が久しぶりに青のギターを携える。ソファに胡坐を掻いて、ギターを構える。ネックを掴んでフレッドに指を乗せる。ピックを親指と人差し指でつまむ姿は、久しぶりに見る彼の晴れ姿のようだった。
ジャージャッジャー、チャラララーラ、ジャージャッジャーン
中指が弦を押し上げ揺らす。ジャーンと鳴るそのビブラートをすぐさま次の音が追い掛ける。弾いているときは彼の全体像よりも、なぜかいつも手元に視線が引き寄せられる。素早くフレッドの上を滑る左指と、リズム感のある右手のピック。何度か私も触らせてもらったことがあったが、なにがどうなっているのか頭では分かっているつもりでもちっともできなかった。
「小百合がいたから、またやろうと思えたんだ」
「え?」
弾いていた彼がふいに動きを止めて、こちらを向いた。
「小百合が、俺のギター好きって言ってくれてたの何度も聞いたから」
私の言葉も、ちゃんと届いていたようだった。私は思わず涙がこみ上げるのを感じていた。私には何一つとして彼に影響など与えられないものとばかり思っていたのだ。志恩が困ったように笑いながら私の頭を撫でる。なんで泣くんだよ、と言われたけれど、私はもう言葉にならなかった。
これからは何度でも聴けるのだ。あの心地いい音色を。わずかに空気を揺らすあの弦の響きを。指が弦を滑るあの音を。
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