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世界はゆっくりのびている。
「めっちゃ、おもしろいんよ」
滅多に授業の感想など語らない娘が言うのだ、確かに面白かったのだろう。
担任教諭と私(母)の交換日記になりつつある連絡帳には、彼女の発言を証明する事柄が記載されていた。
『【われは草なり】という詩を読みました。ゲラゲラと笑っていました^^』
文章の末尾にニッコリの顔文字を入れてくださるのは、私より年若い教師の配慮だと感じている。表情の見えない文章だけでは素っ気なく捉えられがちな言葉も、この気遣いだけで「ああ、今日も楽しく過ごせたんだね」と安堵できるのだ。
「どんなところが、おもしろかったの?」
しばし、娘は考え込む。
『右と左、どっちにする?』
『甘いとしょっぱい、どっちが好き?』
『赤と黒、どっちがカッコイイ?』
選択制の質問には即決できるけれど、「なにが?」「どうして?」という抽象的な問いかけには、中学生になった現在も理解するまでに時間を有するのだ。
長考状態の娘を気に掛けつつ、台所へ立とうとしたところで回答が返ってきた。
「『のびる』のが、おもしろいんよ」
「『のびる』。草が?」
「うん、『のびる』。わたしも、のびます。歯が。ゆっくり」
娘の下あご左右奥からは、じんわりと大人の証である永久歯が生えてきている最中だ。
「確かに……のびてるね」
「【われは人なり】なんよ」
ウォシュレット付きのトイレに描かれたお尻のマークを見て『3がグーグー寝てる』と言ったり、花の蕾の形を『雫』と表現したり、静かに波打つ海を眺めて『世界が動いている』と感想を漏らしたり。
時折、詩人スイッチが入る娘。
「本当だね。人ものびるねぇ、ゆっくりと」
530gの未熟な姿で誕生し、14年目を迎えた春。
歯も背も、知恵も心も、まだまだ『ゆっくりと』。
娘の世界は、果てしなくのびている途中だ。
<了>
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