プロローグ

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プロローグ

 嵐の日の夜に、お母様は亡くなった──。  ベッドの上で眠るように静かに息を引き取ったお母様の手を、お父様がぎゅっと握っている。  二人の最期のお別れの瞬間を邪魔してはならないと、私は一歩引いたところで見守っていた。  子爵位ではあるものの、没落寸前である私たちの住まいはとても質素なもので、雨風が凌げればよしといったような小さな小屋に住んでいた。  なので、こんな嵐の夜は窓が大きな音を立てて揺らぎ、雨粒がガラスに打ちつけている。  数日前に突然傷だらけになって家に帰ったお母様は、その傷が癒えることがないまま息を引き取ったのだ。  いつも太陽のように笑っているお母様の顔が思い浮かんだ。  私は寂しさと悲しさで唇を噛みしめた。  でもきっともっと辛いのはお父様だ。  そう思いお父様に視線を向けると、しわ一つないピチッとしたシャツを着ているお父さまの肩がかすかに震えていた。  泣きたいに違いない、そう思って部屋を後にしようとした瞬間、お父様に呼び止められた。 「アリス」  お父様は膝に手をおいてゆっくりと立ち上がると、ベッドの近くにあった机の中から何かを取り出した。  その手には赤茶色の分厚い本があって、それを私に差し出した。 「これは?」 「ミレーヌが最後にお前に、と遺したものだ」 「お母様が……?」  私はお母様ゆずりの淡いオレンジ色の長い髪を耳にかけてその本を受け取った。  本を見てみると、ところどころページが抜けていて長年使われていたのか紙も少し色褪せている。  私は本を傷つけないように丁寧に表紙をめくると、そこには何かの切符が挟んであった。 『Cruise train Crescent』  クルーズトレイン……?  クルーズトレインは貴族たちが移動手段の一つとして使っている蒸気機関車の豪華版──つまりはこの地方唯一の豪華列車である。  田舎領地に住む私たちには関わることはない思っていたけど、どうしてこんな切符がここにあるのだろう。  不思議に思いながら切符をよく見てみると、そこには去年の夏の日付が刻印されていた。 「お母様がクルーズトレインに乗ってた?」 「ああ、その時期は確かに長く家を空けていたが」  私のお母様は、このトワネット国でも数人しかいないと言われる魔女の一人だった。  魔法の扱いは極めて難しく、遺伝でしかその魔力を受け継ぐことはない。  つまり、お母様の娘である私も魔女ではあるのだが──。  魔女の存在は実は王族とそれに連なるごく一部の貴族しか知らず、魔女は主に技術発展や医療発展のために力を尽くしている。 「いつも東の森にこもって魔法と治療薬の研究をしてたのになんで……」 「わからん」  お母様の主な仕事は、魔法関連の文献の解読だった。  しかし、ちょうど一年前にお父様が現代で治療薬のない病気にかかってしまい、その病気を治すために仕事とは別で研究を重ねていた。  文献を漁り、実験を繰り返して必死にお母様はお父様の命を救おうとしていた。  どうしてお母様は亡くならなければならなかったのだろうか。  そんな風に思っていた時、お父様が私に告げる。 「アリス、お前は何も考えなくていい。ただ、これまで通りニコラ・ラスペード殿下に嫁ぐことだけを考えていなさい」 「……はい」  どうしてこんな子爵令嬢の娘をこの国の第一王子が婚約者としているのか。  一つは、私が優秀な子を産む魔女の娘であるから。  そしてもう一つは、国王陛下がニコラの婚約者に直接アリスを指名したから。  国王陛下がどうして私をニコラ殿下の婚約者にしたのか、いまだにわからない。  だけど、陛下の証書が届いたのは去年の夏頃であり、不思議なことにお母様のクルーズトレイン乗車の時期と一致する。  何か二つには関係があるんじゃないだろうか、と思った時、ふとお父様の顔が視線に入った。  目の下にはクマができており、唇もがざがさとして髪も乱れている。  まずはお父様に休んでもらわなければと、声をかける。 「お父様、私はここにいますから。一度休んでください」 「いや、お前こそ休め。私は大丈夫だ」  そこまで聞いて、私はハッとした。  お父様はお母様の傍に戻ってその手を握り、もう片方の手をお母様の頬に添えている。  きっとお父様はここでまだ一緒にいたいんだと感じた私は、お父様にそっと毛布をかけた。 「せめて少しくらいは眠ってくださいね」 「ああ」  こちらを振り返らずに返事をしたお父様の声は少し震えていた。  私が自室に戻った頃には少し雨が止み始めていた。  手帳のページを見ると、そこにはこの地方の地図が入っていた。  そこにはいくつかの赤い✕印がかいてあった。  その場所は全てクルーズトレインの停車駅の街だった。  お母様に何があったというの?  私にこの手帳を託して何かを訴えようとしている?  そう考えた私は便箋とペンを取り出すと、いくつかの手紙を用意した。  そうして手紙を用意した後、トランクに荷物を詰め込んだ。  数日分の洋服と、少しだけのお化粧品、そしてお母様からもらった手帳を大事にしまった。  夜中になった頃に私は部屋から出た。  薄暗い階段は古いつくりなので、一段一段降りるたびに木の軋む音が鳴っている。  もう、静かにしてよ……お父様が起きちゃう……。  よいしょっと重たいトランクを床に一度置いて、持っていた手紙をテーブルに並べた。  一通はお父さまへ。  もう一通は殿下へ。  きっと朝、殿下迎えが来た時に気づいてくれるはずだ。  王宮に住み込みで妃教育を受けていた私は、日曜の日だけ実家に帰ってきていた。  殿下ならこの手紙を読んでわかってくれるはず……。    そうして私は家を後にした──。 ◇◆◇  王都にあるクルーズトレインの駅まではおよそ五時間かかる。  お金もそんなにないので、王都へ行く商人の馬車に乗せてもらい、駅まで向かった。  お父様のことも心配だったから、ここに来る途中に近くに住む元々うちで執事をしてくれていたクロードに声をかけておいた。  快く引き受けてくれた彼に感謝して、私は駅へと向かった。 「着いた……」  見たこともない大きな駅に蒸気機関車がいくつもあり、人がたくさんいる。  身なりのいい紳士やご夫人が多くいた。 「切符をまず買わなくちゃね……」  私は辺りをきょろきょろと見渡しながら、カウンターに向かった。 「すみません、クレセント号の切符を一枚ください」 「かしこまりました。大変失礼ですが、年齢はおいくつでしょうか?」 「17歳です」 「ありがとうございます。それでは大人一枚発行させていただきます」 「お願いします」  子爵称号のついた身分証を見せて切符をもらうと、受付の人にお礼を言ってトランクを持った。  ホームにある列車は、蒸気がすごい勢いで噴き出してる。  真っ黒くて大きい車両はずーっと遠くまで続いていて思わず見上げてしまう。  緊張で心臓の鼓動が速まっている。  すると、駅員さんのアナウンスが耳に届いた。 「十時十五分発のクルーズトレイン クレセント号にお乗りの方はお急ぎください。まもなく列車の扉が閉まります」 「え? ちょっと待ってっ! 乗りますっ!!」  ブーツにしてよかったわ、走りやすい!  トランクを持ちながらスカートの裾を持って走るのはちょっとしんどいけど、妃教育で鍛えたバランス感覚と体力で乗り切っていく。  なんとか発車時刻に間に合った私は、ふうと息を吐いた。  こうして、私の列車の旅は始まった。  お母様の死の真相とお父様の治療薬の手がかりを探しのために。  そして殿下、必ず三か月後の結婚式までにあなたの元へ戻ります。  だから、体に気をつけて待っていてください。  と、思っていた。  そう、この瞬間までは……。 「アリス」  聞き慣れた声が耳に届き、私は振り返った。 「で、殿下……? な、なんでーーーーーー!!!!??」  殿下はにっこりと笑って私を見ていた──。
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