4話・男も女も不可解

2/2
前へ
/37ページ
次へ
 昼は雨が降ったけれど公園へ向かう歩道はとっくに乾いて、生け垣の所々に水溜りが残る。梅雨明けまじかなのだろう、西日も夏の陽射しに近い。  目魔王並木から入ると、すでに犬を走らせては呼び寄せる、黄色いシャツ姿の憲治。 (間に合った)  安心して思う。まず呼吸を整える。来る途中に会ってしまわないかと内心穏やかでなく、急ぎ足しながら呼吸も乱していた。 「お休みですか」   彼から気づいて声をかける。痴漢対策と、事情を詳しくは喋られない。 「たまには、ね」  ごまかしながらベンチへ座る。彼も近くに来て犬へ合図する。一昨日より気持ちも落ち着いて、なにか話せそうだ。犬から話題を離したい。 「お日さまにあったまった匂いが好いね。焼きたてパンみたい」  湿り気の残る芝生は草原の香りに近いが、ベーカリーの軒先を思いだしてしまう。 「ぼくはパンをあまり食べないから」  わからないというように首を捻る。雨の後から漂う豊潤な空気と、立ち上る芳ばしい芝生の声を感じられないらしい。性格のおおらかさ、と好ましく思う。これから親密になることへ支障とはならない。 「この公園が好きみたいだな」  彼は言うと隣へ座った。すすんで、お喋りしようとの姿勢も窺える。  この前より近い距離と美咲は楽しくなった。共通の話題があればもっとわかり合えるだろう。  前に佳子からアドバイスされたことを試すときだ。 「なにかスポーツをなさってたのですか」  見ためや、話し方で予想できる。まず自分のことから。 「私は陸上部でした」  憲治が以外だとの顔を向ける。真剣に聞いてくれていると嬉しくなる。 「なにが、お得意でした」  みつめながら訊く。 「マラソン」  知らずに自慢する表情も出る。 「持久力は学年で一番だったし、駅伝で区間賞ももらった」  微かに残る挫折感はあるが、確かな事実だ。 「その。まっ」  憲治は前へ向いてなにか打ち消すように、顎を少し上げてから下ろす。 「目立つ子だったんだな」  学校で人気のある生徒だと考えたみたいだ。 「そうでもないけど。地味なの、皆と遊ぶのは下手」  そのようにみえない、と彼が今日は話に受身の体勢で身体を美咲へ向ける。それなら滑らかに言葉も出る。自分の中にもお喋りになれる部分があると気づく。  話題へできないこともある。陸上部へ入るまでは、派手な服で町中をうろつき、コンビニやショッピングセンターなどで屯していた。だけれど、流行の服とか合う体型でもないし、遊びへ本気に興じる性格じゃないとわかってきた。異性が絡んで、雄と雌の匂いを発するのも、虚ろなせつなさしか感じなかった。引っ込み思案なところも仲間から、意地や勇気がないと言われた。  中学時代一緒に部活動していた友達が誘うから、奈美に言われたときとは考えも変わって、意地や勇気を走ることで見せようと思った。遊びに新鮮さを感じなくなり、兄の結婚話も高校生活をけだるくさせていた。自分を変えたいと、気持ちは高ぶっていた時期でもある。  スタートが遅いのね、と憲治へ昔話をする。体育の授業以外に短距離を走ったことはない。 「ぼくは野球でした。良いですよ、ベースボールは」  横文字言葉を並べて語りだす。彼が夢中になるのは犬だけでもない。野球に詳しくもない美咲。サッカーなら、同級生などからルールも教えられた。  「サッカーも良いよね」  だが、もろに不満顔で返す憲治。口角を下げ、首を横に振る。 「おとななら野球だよ」  胸を張り言い切る。自分の選んだものが一番らしい。別々のボールで、その楽しみかたも違うはずだけれど、議論するつもりはない。いいほうに考える。 「信念を持ってらっしゃるのね」  最初会ったときの情景が頭に浮かぶ。彼の善さだと思う。不機嫌な顔も、彼が感情を出すぐらい親しく思っているとしか考えられない。  知らない話ばかりでは、それに笑顔で受け答えするのもつまらない。 (私服のわけを話そう。送ってもらえるかもしれない)  寄り添う姿が瞼に映る。  彼が話す言葉の切れ目に割り込む。 「私服なのはね。痴漢が出るって噂を聞いたから」 「困ったものだ」  彼は正義感も強そうに、荒く息を吸ってから吐く。 「女が悪い。隙があるからだよ」  なぜと言いたくなる発言。顔を向ければ、澄んだ目に卑しさはない。言葉を選んで、女性の立場として言いたい。 「悪い人は、油断させると思う。そこを狙うんだよ、きっと」  女の甘えだ、と彼はきっぱりした口調も変わらない。 「男が破廉恥な行為に走るのは、女が誘うようなことをするからだ」  勝手な言い分と感じる。相手がだれでも、女性として譲れない部分がある。ちゃんと目をみつめて言う。 「それは、少し違うと思います」 「同じだ。素肌を簡単に見せるものではない」  憲治は自身を持ったいつもの調子。ひとつづつの言葉に一理はあるが、痴漢への見解と思えない。真面目を通りすぎて、頭が固いと考える。 「そうですね」  この話は終わりにしたい。彼の女性観として受け止めた。  男性というのがわからない。前の恋人も不可解だった。交際してくれと、あれほど頼んでおきながら、美咲のほうから惚れているように振る舞い、命令口調にもなる。付き合ったらこうなるものか、と失望した。  遊びでつかの間の交流が男性は優しくて気前も良い。しかし、即席料理みたいな手軽さで仲良くなるのは、満たされない思いが残るだけと気づいていた。包容力を男性に求める思いもでてきたけれど、それは憲治と会ってからなのか、その気持ちが彼に会わせたのか、美咲にはわからない。  犬の話題で、この場を和ませたい。ペロへ視線を流す。 「私も気をつけるわ。ペロは、元気してた」  彼もすぐに頬が緩み、目じりを下げる。 「朝は雨で寂しがっていたが、晴れたから喜んでいる」  散歩を生きがいとするペロは水が一番の苦手だと、しょんぼりした犬の表情を教える。雨の日は会えない事情を知り、憲治の私生活を覗いた気がする。ペット中心の心豊かな男性として彼を受け止めて、いつか、その部屋へ訪れることもあるだろうか。犬に慣れるかはわからないけれど、好きなことを話す彼が見たいし、乗り越えるべき問題だ。  犬のことで話も弾む。やがて、憲治が立ち上がる。 「次は制服で会いたいな。働く女は、生き生きしている」 制服をなにかの象徴と思っているらしいけれど、美咲としては、彼に褒められた気もする。名残惜しいが腰を浮かした。 「じゃ、そうします」  立ち上がり、スカートを軽くはたいて服を調える。いつまでも話していて構わないし、切り上げ時は相手に任せたかった。 「楽しかったよ」  拍手を求めてくる。自然に右手を差し出していた。憲治の手は手袋みたいだが、ふわり、と絹でも被せるように柔らかく握る。 (指先が熱くなるわ。汗をかきそう)  内心焦る。緊張で滲み出て生ぬるく、ぬめぬめ、したら、彼も嫌がるはず。照れ笑いして俯いた。  着替えて来ることをやめようと思う。制服姿で、会いたいと、憲治が言ったのだ。それを無視してまで、いつ現れるかわからない痴漢対策なんて意味もない。 (次に会う約束なのよね)  擬似デートだと決め込んだ。有頂天になる気持ちは抑えても湧いてくる。理想として、別の場所でゆっくりしたい。しかし、彼の性格に思い込みの強い部分があるように感じた。ちょっとした言い合いが、親密になった証拠と思いながらも、もっと理解すべきところが増えた。本格的なデートをするのはまだ先かもしれない。  彼が去って、ちゃんと遠回りすることも忘れていない。一緒に行くのは理由を訊かれそうだし、痴漢の話を繰り返す気もない。間をおいて、公園をあとにした。       ☆  雨やほかの利用者に邪魔されながらも公園で会う日は続く。別の場所で会いたいと、まだ言えない。男性から誘う、と佳子が経験で教えたことも心に残っている。いつまでも進展しないのに、一緒に会って話してあげる、と世話焼きな友達でもある。 (憲治さんは相変わらず自分のことばかり、話すけれど、女の子と付き合いなれてないのだわ)  それを感じ取るほど男心も知らないが、肝心なところならなんとなくわかった。恋人や奥さんの存在が気がかりだったけれど、ペロの世話とかを、一人でしているようだ。犬ばかり構うから恋人もいない、と冗談みたいに言っていたが、それを信じたい。  梅雨が明けると太陽は大気を焦げたにおいへ変える。蝉が木魔王並木でなにかを急かすように騒ぐ。変わる季節、変わる関係、変わる心は嫌だと思う。    そして、この時期ではお馴染みの、台風が近づく。    4話終
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加