6・彼はヘンタイか

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 なぜか、初めてのときを思いだす。初体験は順番通りに割り当てられた男性だ。遊び仲間で知り合った男性のグループと異性交遊になるのは当然の成り行きに思えた。好きとか嫌いと言っていたら特定の相手に片寄る、とリーダー格の男性。彼が初めの相手だ。そのあと、付き合うわけでもなく交流は途絶えて、個別に好みの異性と遊んでいた。こういう強引で変な趣味の男性は経験もない。いまはだれがなにをしたか忘れたいだけだった。  レストランは湾を描く海岸線が見える高台にあり、左のビヤガーデンとに挟まれるように屋外にトイレがあった。ドライブ途中で利用することもできるようだ。空調設備も整った店内が快適だ、と憲治は建物がつながっていると、場所まで教える。そこへ用事があるわけでもないし、身体の水分なんてみんな汗で流れてしまって、膀胱に一滴も残ってない感じだ。近いから、と屋外トイレの標識を指差しながら、我慢できないように脚を落ち着きなく動かす。 「いい席を取らないとね。先に行ってて」  彼を急かし、自動ドアへ押しやる。彼の服もまだ湿ったままで、指先に生ぬるい汗が吸い付く。そうだな、と彼が中を窺いドアを潜る。他人の汗は身体が拒絶するみたいに粘着性を帯びて感覚に残る。それでも、いまは逃げようとの気持ちで、拭う余裕もない。  玄関に客待ちしているタクシーがドアを開ける。異様な状況なのを察知したのだろう、飛び乗ると早速走らせた。どちらまで、と訊いたのは駐車場を出てからだ。暑いが身震いひとつ。冷えきった心の芯が解凍してゆく。ハンカチを使い、自分の汗を拭くように、憲治に触れた掌と指を何度も擦った。 (ほんと。人は見かけじゃわからない。でも、あの状況まできて、のこのこついて行く女がいると思ったのかしら)  自分は正しいとする、いつもの彼らしいやりかたかもしれない。憲治も下種な男性で、女性は性のはけぐちと割り切っているのかな、と哀しくなる。いままで真面目ぶっていたのに腹も立ててみるが、ただの男よ、と開きなおろうともした。 そして、自分が惨めになった。       ☆  部屋に戻るとすぐにシャワーを浴びて、ベッドに寝転がる。今日というのが早く終わって欲しい。公園へはもう行かない、と何回も口にして呟いた。だけれど、脳裏に憲治のしでかしたことが舞灯篭のように浮かぶ。それに窓ガラスは白っぽく外の明かりを運び、子供たちの遊ぶ声も聞こえて眠れるわけがない。起き上がり、ちゃぶ台を前にテレビをつける。どこかで事故があったと、アナウンサーは喋るけれど意味も頭に入らない。ただ不規則に瞬き点滅するのを眺めている。 (なにごともなかったし、忘れることだわ)  思っていても、記憶というのはおとなしくしてくれない。なにを消し去りたいかと、なおさら鮮明になり、身体と心をその場面へ連れて行く。 (嫌だ嫌だ。まったく記憶なんてビデオ以下だわ)  余分なところだけ再生する不良品かもしれない。悪いことばかり再生する機能がついているのだろうか。なぜか涙は出てこない。多分、臆病になって目から外へ行くのを怖がっているのだ。それは男性へただの玩具と扱われたのを認めることになる。恋の行く末はそうなるのだろうか。もっとも、いままで身体を求めた男性は恋しく思う相手ではなかった。だけれど、自分の意思で望んだこと。友達づきあいの延長だったり、成り行き任せだったりした。だから、理想と定めた憲治の行為は男性への不審をもっと確かなものにする。  まんじりともせず、ちゃぶ台に頬杖をつく。食事もする気になれない。とにかく、今日を過去にしたい。アルバムを見て現実逃避を思いついた。記憶を別のなにかで埋め尽くそう。              
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