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部屋で雑誌を読んでいると生理が始まった。一週間のずれがあり、そろそろかなと思ってもいた。だけれどなにか不安。急いでショルダーバッグを開けると、薄っぺらな箱。それでも一回分残っていた。そのために予備も置いてあるのだ。ちゃんと装着してから、鏡台の引き出しを開ける。
「あれ」
無い。いつ買ったか考える。店で買えるからと油断したのか。確かに買った。トイレットペーパーと一緒に買って、憲治に見られるのが恥ずかしかった。まだ遠く顔をみるだけのころだ。
「ちょっと。え。ええ」
一人ごとにもなる。思いだした。一円玉を準備して支払った。アルバイト生がもたついて、いらいらした。そのとき、小銭入れと、巻きチリ紙を片手づつで持っていた。確かに買わなかった。そのまま買ったつもりでいた。ナプキンの代わりにトイレットペーパーを使いたくないし、用は成さないだろう。
(これも憲治さんのせいにしよう。会うことだけ考えていたから)
ちょっと勝手かなとも思う。少なくとも、いますべきなのは職場へ出向き必要なものを買うこと。近くの店や薬局にもあるけれど、スーパーは安いし、いつも使っているのが安心する。
すっかり下着を上下取り替えて、衣紋掛けからさっきまで着けていた服を外し、再びまとう。ベランダから公園の駐車場を眺めれば、町役場のワゴン車と荷台に小型ミキサーが乗るトラック。公園でなにかしているらしい。昼間でも痴漢が心配だけれど、ほかに人などがいれば出番もないだろう。
公園さえ通れば憩は近い。すでに蔓薔薇も取り払われて、柵の下を地均ししている。木魔王並木は枝が切られたり下草を刈られて、美容室へ行ったあとの頭みたいに慣れ恥ずかしい。
仕事でもないから、表の駐車場を通る。こうして来るのは久し振りで、玄関を正面から見ると、橙色のトレードマークが目立つ。幼いころから馴染んでいるけれど、幼稚園生のころはスパーへ一緒に行くのを嫌がって、祖母や父を困らせた。
停められた車体が陽を照り返し、昼下がりの駐車場は眩しい。歩行者通路向きに白いワゴン車の後部ドアが開かれて、ショートジーンズにアロハシャツ姿の女性が缶コーヒーをビニール袋から取り出した。どこかで会ったような、いつもの客か。気にもしないで前を通る。休みで私服だから、従業員ですと主張するみたいな挨拶も遠慮したい。
相手は知り合いに気づいたような顔で、あれ、とか、あら、を言う感じに口が動く。
「あ休み」
缶コーヒーを下に置き、美咲へ訊ねる。そんなときは礼儀だ、来店のお礼を言って仕事の顔になる。面と向かうと、もしかしてと思う。素肌は淡い小麦色だが、中通りでタクシーを拾うように助言した女性だ。顔立ちはいまが美人に思える。四十歳はすぎているようにもみえた。
「失礼しました。顔を覚えてくれてたのですか」
美咲も客の顔を覚えるのが仕事のうちだが、短い時間で一度会って記憶に残せるか自信がない。あのときのお礼もする。
「仕事だから。お客様はそれだけで喜ぶのよ」
言いながら名詞を渡す。スナック『珊瑚礁』のママで鈴木早苗(スズキサナエ)美咲の制服から、憩で働いているのがわかったと話す。
「うちとかは、変な店でもないから、お酒が飲めるようになったらおいで」
未成年と思っている。中通りにいるのを不審と感じたから声もかけたらしい。
「知らない男の人たちがいるし。酔ってもいるはずだから」
行きたいが縁もない、と返事する。安請け合いで応じられない。
「男は一緒かもしれないね」
早苗は前からの知り合いみたいに、くだけた喋りかたで続ける。
「酔わなくても心に女を求めている。えっちで欲張り」
内緒話をするように悪戯っぽい顔で言う。
「うん。かもしれない」
自然に応える。話し相手を求めていた自分にも気づく。憲治も思い通りにしたくて、この前みたいになったはず。
「男のことが、わからなくなるよね」
答えを求めない呟きにも似たものだが、早苗は、いい人ねー、と空を見る。
「漠然としてるわね」
言うと、微笑んで美咲をみつめた。
「私たちしだいだから。女の前で男は、紳士にも子供にもなるの」
分別があり聖人みたいな顔もみせるし、餓鬼っぽくもなるのは、そのときの男性の気紛れと考えていた。それに女性が影響しているのだろうか。女性として自信のあるような早苗に頼れる気がした。
「男は女で変われるものかな」
みつめ返す。
「男は単純なのよ。女が素直に自分の中から湧き出るものに従えばうまくいく」
よくわからないけれど美咲も自分の中から湧き出るものがなにか、正体を知りたくなる。
「恋とかお付き合いをするのも、感情があるからと思います」
「感情ほどあてにできないものもないけど。雰囲気ですぐ変わっちゃうでしょ」
美咲も駅伝の経験で納得しやすい話。まわりの状況によっては過去の思い出のひとつでしかない。
「私も自分がまだわからないんだわ」
喜怒哀楽をみせるだけではなく、奥にあるのが知りたい。
「本当の自分を知っているなんて、そう思い込んでんの。自分の中のしらないところから、なにか取って置きの力が、私を導いている気がする」
説明できない内面の力。言葉は一人歩きするから、と正体を予想しながらも口に出さないふうに見受けられた。
「今度。近いうちに、お店へ寄らせていただきますから」
もうおとなと主張したくて言う。それは前向きにもっと、早苗と知り合いになりたいからでもある。
三人の女性が両手の買い物袋を膨らませて近づく。早苗が、慰労会みたいにバーベキューをやると教える。それで利用してくれた。ちょっとした縁でありがたいことだ。美咲は従業員たちにもお礼をして、玄関へ向かった。
8話・終
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