9話・これも友情

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 画用紙を前にしていた。クレヨンの箱が上に置いたままだ。右隣の子は嬉しそうに笑いながら、睫毛までなん本か丁寧に描いてある。そして、赤い色で口元を描き始めた。目を逸らす美咲。ますます描けなくなる。花や乗り物なら、幼いなりに描けるけれど、母の日、というのを保育園に入って初めて知ったし、なにを描けばいいのかわからない。 「先生できたよ」  左隣りの子は手を挙げる。彼女が泣き顔もまだふっくらしていた保育園時代の奈美。先生が、みんなが終わるまで静かにしてなさい、と新しい画用紙を渡した。好きなのを描いてなさい、とのことだろうが、おとなしくしている子でもない。 「どんなの描いたの」  覗きこむ。答えられるはずもないし、奈美も見て納得した。 「ナッチ早いね」  ため息交じりに言う。 「お祖母ちゃんでも良いてさ」 「わかんない」  祖母の顔さえ描こうとすれば、輪郭がぼやける。 「内緒だよ」  奈美が自分の描いたのを見せる。大きな円に、口と目のあたりに、小さな円が三つ。顔になってないけれど、似顔絵の元らしきものだ。 「いいのかなー」 「ミキはお花を描いてるほうが楽しいみたい」  その言葉に少し楽しくなる。蝶やカタツムリ、それから,といくらでも描けた。 「早く終わちゃって、好きなの描こう」  奈美が急かす。いつまでも白紙では終われない。オレンジ色のクレヨンで大きく円を描き、黒いクレヨンで小さな円を中心寄りに三つ。顔にしてはハバランスが取れてないが、早くこの絵から逃れたい。  新しく渡された画用紙に赤いハイビスカスを描く。実家の隣の家に大きい花が咲く種類があり、見上げて見ていた。心にも余裕ができて、奈美が細々と描いているのを眺める。 「なんの絵」   赤いクレヨンみたいで取っ手のついたのを指差す。 「これ、口紅。ママがお出かけのときに口へ塗るんだよ」 「おいしいの」  おとなのお菓子だろうか。 「変な味。でも勝手に触ったら怒られた」  悪戯盛りでもあり、美咲も父の手帳に落書きして怒られた経験がある。  色々と説明する奈美。ひときわ大きく描かれた、二枚貝を開いた格好の絵に描き足す。 「お外で化粧するって。ナッチも映せるよ」  コンパクトの鏡のほうへ丁寧に描き込む顔は奈美自身だろう。母という存在がいかに小物を多く必要とするか、美咲はしばらく相手の話を聞いていた。
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