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仕事が終わり、従業員通路から出る。店の裏にあたり、ほどなく行けば道は分かれる。左は公園へ、斜め向かいに中通りの坂道が続く。右に曲がれば県道に抜けるけれど、スーパーの建物をまわり込むより、このコースが近い。給油所で、いらっしゃいませ、の大きな声がしてあたりに響く。
「川島さん」
絞ってから解き放したような声が後ろから聞こえて、振り返る。紗八菜がいた。
「逃げるつもり」
半月型の目が釣りあがりなにかに怒っているらしい。広い額、長い鼻筋、厚い唇の口元はかたく結ばれている。スーパーの小さな袋を提げて走ってきたのか、顔も赤く額に汗が滲んでいた。必死で追いついたのだろう。
「サーヤ。今日、お買い物してるの、見たわ」
知り合いに示す笑顔を作り、和ませたい。紗八菜は息を吸い込んでから話す。
「公園を通るって前に言ったじゃない。安浦さんから、なにか言われたのだわ。逃がさないから、私」
誤解をしているようだ。心当たりといえば、ひとつしかない。陳列するときに話すのを見て、個人的に親しいと判断したのだろう。正樹が説明しても信じてないのかもしれない。
「少しぐらいならお話しをする時間はあるから。どうしたの」
「安浦さんとは、どういう関係」
問い詰める口調。瞳には疑いと不安も感じられる。ただの同僚と言ったら怒るだろう、知っていることだ。ここは嘘も方便、相手に被害をあたえなければいい。
「私もこれからデートだから、簡単にわかりやすく言ってくれない」
「待ち合わせなの」
紗八菜の口元が緩み、頬が引きあがる。勘違いと気づいたらしい。
「あの人とはね。私。私は付き合っているから。おとなに邪魔されたくないの」
今日はいいとして、ちょっかいをだすなと言いたいのだろう。
「なるほど。サーヤも、みんなが安浦さんを好きになると思っているのね」
「いい人なんだから。優しいし。だけど、一緒に喫茶店にいる女の人を見た。あの人が親切なのを利用して、騙しているんだわ」
正樹にとっては遊びの相手だったかもしれないが、悪いのは女性との思いしかないようだ。
「付き会ってるって、長いの」
男性は簡単に、好きとか君しかいない、と口に出せる。それを交際していると解釈しているのだろうか。
「そうよ。先月もドライブしたもん。好きと言ってくれたわ」
正樹がまったく無視しているわけでもないらしい。
(それで、私にも言い寄るのか。まったく女垂らしだよ)
恋とは違う、同僚への連帯感が正樹と親しい思いにもさせると感じた。
逢引するなら、ちゃんと付き合えばいいのだが、そこで佳子の言葉を思いだす。うるさく付きまとうのも嫌われる、というのも艶娘の注意点のひとつだ。
「あまり、しつこいのは嫌がられるらしいけど。安浦さんはどうなの」
「べつに私は」
心当たりもあるらしい。良好な恋人関係ではない、と顔が白状もしている。また、言葉で隠しもしない。
「じゃあ。どうすればいいの」
敵対心は消えたようだ。一緒に仕事もした仲だし、アドバイスもしたいけれど、それが言えるなら、恋に悩まない。それでも頼れる友達がいた。
「ケイなら。赤木さんに相談したらいいよ」
「お話を聞いてくれるかなー」
艶娘講座に参加もしてなっかたらしい。アルバイトしていたころは見た目が真面目で、男女交際に縁のない雰囲気もあった。
「それが生きがいみたいだから。私から話しておく」
「わかりまし。川島先輩、ありがとうございます」
丁寧に頭も下げた。
(このように夢中になれたらね)
紗八菜が羨ましくもなる。
ふと、初恋の相手を思いだす。完全な片思いで、ずっと遠くからみつめていた。いま思えば、なぜ好きになったのかもあいまいだ。
中学一年のとき、昼食時間に左斜め前の男の子が弁当箱を手に持ち、かきこむように食べている。ちゃんと噛んでいるのか、味もわかるのかと、しなくていい心配をしていた。
やがて米粒を丁寧に箸でつかみ、おちょぼ口になって大事そうに食べる。あらっまあ、と感激して驚き、思わず口から漏らした。そのように食べたいけれど出来ないのをもどかしく感じてもいた思春期。なにか自分と似ているのではないか、と関心を持った。
それがいつの間にか、相手に話しかける女の子を物凄く嫌いになったり、男の子たちの間で相手の話題になると知らずに耳を傾けていた。三年まで同じクラスだったから、いつも姿を捜し、近くになれば素っ気なく無口になった。
(恋はどんな状況からでも育つみたいね。そのあとなんだ)
あのころのように男性へ思いを募らせたことはない。憲治にしても、まだ知らない相手への憧れが、あんなふうになってしまったのだ。
(確かに経験は積んだけど、なにかが抜けていたんだ)
初体験からいままで、本気で相手を慕う思いがあっただろうか。無い、と自分で一番知っている。
(そうか。憲治さんが二度目の恋なんだ。でもこんな型になったらねー)
もう会わない、と決めたのに、忘れられないなにかがあるらしい。前の恋人ならともかく、初恋でも、高校が別々になり一月もしてすっかり醒めていた。
(私からは、会ってあげないんだから)
心の奥でなにかが主張する。内容は深く考えないでおこうと決める。
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