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犬を見て、人間も大人になると、当たり前のことが話題を見つけさせる。
「私は。成人式が今年でした」
彼へ顔を向ける。長い睫は父譲りで、大きな目とあわせて初対面の印象を強く残させる。
「二十歳。落ち着いてみえる」
軽い驚きが言葉にあった。彼が初めて上半身を向けて、真っ直ぐみつめる。
(もっと年上と思ってたのかしら)
心で呟く。表情に現せないが嬉しくなる。成熟した女性に憧れていた。二十歳ではまだ子供との意識が自分にもまわりにもあるようなのだ。
状況になれて思いだした。笑いを取るのも良いと同僚からアドバイスしてもらっている。
「漫画顔だって言うのよ、友達は」
目を瞬かせて、上唇を下へ被せる。上が厚めで予想以上におどけた顔になる。店長に叱られたとき、思わずそんな表情を作り、相手に吹き出し笑いをさせてしまったこともある。
憲治は聞き流して、犬を手招きすると膝に乗せる。
「散歩とスキンシップが大事だからな」
言いながら、しきりに出す犬の前脚とじゃれあう。
(私に関心がないのかしら)
それとも笑いの質が低かったのかなどと迷う。面白い話をするのも苦手。煩く話しかける男性はうっとうしいけれど、隣にいて無視されるのも落ち込む。
彼が思いだすように空を見上げる。彼女との会話に抵抗はないみたいだ。
「ボクサーだったんだ。小学生のころ家で飼っていた」
拳闘をしていたのかと、体格から納得しかけたけれど、犬種。きりがないほどの思い出があるらしい。綱を引いて歩けなかったころ、引きずられたこと。散歩に連れて行けるようになってからは、友達に自慢したなど。案外お喋り、凄く饒舌、よく舌がまわる。
(みんなは覚えきれないよ)
頭が悲鳴を上げるほど、話の種は尽きない。彼の過去を知るのも楽しいが。ペットからこっちへ興味を移して欲しい。犬と一緒なら安らぐのね、と相手の気持ちはわかったように言った。
「私はここに来ると、ほっ、とする。近くのスーパーに勤めているの」
制服で気づいてくれないかなと思う一方、自分で告げることに意味も感じた。
「憩という店か」
彼は大きくうなずき、続けて話す。
「犬の餌がほかより安いようだな。違うのをあげているから、買いには行ってないが」
申しわけない顔はしない。そんなところが、お世辞を垂れるより誠実と思えた。嘘をつけない人で、心も真っ直ぐだろう。求める男性像に彼がもっと近づいた。
食べ物などほかの話もするが、すぐ犬に結びついてくる。一緒にいるだけでありがたいけれど、動物は苦手だ。
幼いころ、勝手に動いているものに恐れを感じていた。一番の原因は不快害虫で有名なツノムシだ。兄が丸めた新聞紙で叩こうとするのを、逃げ回る姿が危険なものと思えさせた。昆虫の類に触れるのは控えたし、犬や猫などが親しみを込めて近づいてきても、大きな口や振る舞いは美咲を怯えさせるのに充分だった。成長しても苦手意識が残り、ペットなどに関心もない。
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