2話・邪魔する者は

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2話・邪魔する者は

 花模様の描かれた湯飲み茶碗を両手で口元へ運べば、さんぴん茶の香り。小学生のころは苦手だった。祖母が、綺麗で美人になる、などと根拠もないことを言っていつも食事のときに、急須から注いでくれた。  やはり冷やしたのが美咲の味覚からすれば調度良い。 (お祖母ちゃんの味か。いつの間にか馴染んでたよ)  熱いときほど熱いお茶、というのも聞かされた。クーラーの効いた社員用休憩室の中では意味もないことだが、一口含んだ。ジャスミンがいまでは心を寛がせる。  食後のひととき、憲治のことを考えると、過去も思いだす。前の恋人は、あまり顔色が変わらないと言っていた。贈り物へ大げさに感激しないし、相手の女友達に嫉妬などもしなかったからだろう。 (せがまれて付き合ったけど。せっかちで甘えん坊)  胸内で呟く。恋人なら欲しい思いがあり、性格や顔が男の子の平均より上でもあり、応じた。だけれど、欠点をみる目が甘すぎた。良い面もあったはずだが、誠実さを持ち合わせていないと知り、別れる決意もした。言い寄られるのは、恋人を捜していると見えたからだろう。そのような態度を慎もうと心がけていた。  しかし、憲治には少し気のある素振りを見せても良いかなと思う。ま、そんなに器用な行動を取れるわけもない。彼の前だと男性への警戒心が薄れていたのは確かだ。   店内通路側の板製ドアが開いて、右横を見れば赤木佳子(アカギケイコ)が入ってきた。色白でショートカットの髪。スリムな身体。一重瞼の目は細く上がりぎみで、眉と釣り合いが取れている。就職活動をしたときに親しくなった同級生で、友達と呼べる仲だ。 「好い男がいたわ」  佳子は注文発注したような、長さと凹凸を持つ口元から、容姿に合わない話ばかりする。 「面食いだからケイは。それで中居くんより、ましだった」  友達は青果コーナーの中居卓也(ナカイタクヤ)への関心が強い。一年遅れで入社した卓也は無口だけれど穏やかな笑顔を絶やさない。客への評判もよく、職場の人間関係に慣れてないから、といわれて一年以上すぎた。 「比べないの」  佳子は少し恥じらい笑いをして、ふたつ並べた会議用テーブルの向かいに座る。制服を時代遅れで洗練もされてないと考える女性だけれど、ころころふわふわが好きで、店名の図案化された、淡いオレンジ色のトレードマークが描かれたエプロンは着けたままだ。美咲は仕事中に開放感を味わうためにも、パイプ椅子の背もたれにかけてある。 「晴れるみたい」   道路に面したガラス窓を窺い、建物の影が映る地面を眺める。 「傘も忘れたままが多いし」  同僚は三日前からある傘を片付けてきた、と言いながら弁当箱を開いた。佳子とはローテーションでたまに食事時間も重なるが、魚の棘を器用に取る箸さばきは真似もできない。サンマ弁当を食べているけれど、下ねたさえなければ上品な女性にみえる。良い女になるための修業なら怠りないが、一人の男性に尽くす気はないらしい。美咲も、尽くす、という言葉に抵抗があるけれど、惚れてしまったら、ほかの男性は見ないだろう。友達にはそれが欠けていた。  食べ終えて飲み干した湯飲み茶碗へ、白いホーローの急須でお茶を注いであげる。美咲も手持ち無沙汰だ。佳子が思いだしたように、うなずく。 「ミイの休みのとき遅番したんだけど」  アルバイト生が急用で休んだ、と伝える。 「物凄い大雨の日だ。でも、夕方から晴れた」  わざわざ公園にでかけたが、憲治に会えなかった。佳子も雨は関係ない素振り。 「遅いから、蔓薔薇のある公園を通ったの」  額へしわを寄せて、話し続ける。 「そしたら。変な男が抱きつくから。ほんと驚いた」 「痴漢。嫌(ヤ)だ」  みぞおちが冷たくなった。いつも歩いている場所だ。幽霊が出るとか、事件の起こったところは避けて行きたい。変質者にはなおさら警戒する。 「後ろから突然よ」  両手を広げ、目の前の空間相手に抱きついて説明する。すれ違ったときに挨拶のつもりか頭を下げ、少し離れてもいたらしい。それでも、首を傾げる。 「両肘を振り抵抗しようとしたら、放して逃げた。なんなの」 「ケイは不満なんだ」  そのように聞こえた。男性に無視されるのを不幸と主張する自信家だが、まさか、と首を横に振る佳子。 「これじゃ、痴漢に遭いましたと警察に言えないでしょ」 「痴漢には違いないけど。ねー」  犯人の手がかりもないし、嫌なことを訊ねられるだけ、と考えているのだろう。美咲にはその経験がある。   勤めてまもないころ、ベランダから下着がなくなったのだ。それで、色やら特徴など、染みの付き具合も説明するのが恥ずかしかった。まだ、犯人は見つかったとも聞かない。  佳子は、近道だけれど通るのは止そう、と言う。県道寄りのアパートに住むから、そんなに距離も変わらないはず。  憲治と公園で会っているのは、まだ内緒だ。それでも男性を見るため、どこかへ行くのは、いつものお喋りで教えてあるようなもの。なんでも話題にする友達へ、付き合う前の男性のことは詳しく話せない。  佳子は姉御肌な面もある。アルバイト生に艶娘(アデムスメ)指南をすると、古い言葉まで持ちだしていた。それで、憲治と会うのに参考となることも聞けたし、いつまでも隠す気はない。  二人が話すところへ来たのがフロアの安浦正樹(ヤスウラマサキ)主任。同じエプロンで白い開襟シャツと黒ズボン。男性社員の制服だ。正樹はお握りと、チキンの空揚げ一本がいつもの昼食で、Sサイズのレジ袋を左手に持つ。世間慣れした三十路過ぎ、軽い気持ちで生きていると、美咲には思えた。 「ごちそうさましたかな」  下がりぎみの細い目で笑う。顔は俗にいうハンサムだろうけれど、前の恋人ならもっと整っていた。時間を合わせて休憩するのに気づいてもいる。彼が右隣りへ座るから、少し逆へ移動する。椅子の脚がコンクリートを打って、案外派手に大きな音が響く。失礼なことだとか思わない。 「安浦さんも休憩ですか」  話をするつもりはない。挨拶がわり。佳子がお茶を飲み、 痴漢よ、とさっきのことを話す。 「そこの公園で遭ったの。暗くて顔はわからなかったけど」 「知り合いも、変な痴漢に遭ったと言っていた」  正樹は、女友達から聞いたことを話す。 「同じ男よ」  佳子は心持ち前へ乗り出す。 「どこか触って来ると思ったら違うの。ただ抱きつくだけ」  意味があるの、と顔で訊ねる。 「シャイなやつらしい」  中途半端な男だと軽く笑う正樹。 「川島さんも通るだろう」  話をふられて苦笑いでとぼける。通勤する道を教えたくない男性でもある。 「おれが送っても良いよ」  頼れるところを見せたいらしい。 「時間が合わないでしょ。さてと」  休憩も終わりと、立ち上がった。エプロンを着ける間、佳子と正樹もテレビドラマの成り行きを予想しはじめる。友達とうっとうしい同僚はなぜか気が合う。二人の共通点は遊びで異性と簡単に結びつくことだ。  美咲も、話がおもしろいとか気の合っただけで、相手の身体まで求めたい時期はあったけれど、そのあと、虚無感だけが残る。少なくとも戯れでむつごとは言えない。
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