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3話・帰り道は遠かった
お喋りな女性たちが去って、静かになった公園。百舌鳥のせわしい声もなぜか侘しく遠ざかり、痴漢のことを思いだす。まだ時間も早いから大丈夫か。しかし、変質者に一般常識が通じるだろうか。
目魔王の細い葉が夕日を浴びて、流れ星のように光の線を描きながら、目の前から消えた。
(男の人が来たら、すぐ逃げることだわ)
頭で呟く。どこのだれかなんて確かめる必要もないし、それより夕食のことでも考えよう。落ち着こうと複式呼吸も三回行い、並木道をアーチのほうへ歩く。
(道幅が狭いし、急に襲われたら逃げれない)
やはり不安で心が呟く。献立など思い浮かばない。後ろから近づくかもしれない。耳は後方の音を拾うけれど、自動車の後進する警笛音が近くの家から聞こえるだけ。
子供の、父ちゃんだ、とはしゃぐ声が繰り返す。母親だろう女性が、お兄ちゃんだから静かにしなさい、と窘める。それでも赤ちゃんをあやしているのか、お父ちゃんですよー、となおさら華やいだ口調。
美咲は希望が湧いてきた。大きな声を出せば、あの家へ聞こえるはず。木魔王の隙間から二階建ての住宅に目をやる。
「助けてもらえるじゃん」
自分を元気づけて言う。応じるように木魔王の下草が、呼びかける感じの音でかき分けられる。密集するアワユキセンダングサは、近くのところで不自然な揺れかたをして、静まる。
(痴漢。隠れてたんだ)
あり得ると気づく。急いで走ろう。だけれど、脚は思うように動かない。膝が妙な揺れかたをしている。
「だれよ」
言ったつもりだが、喉で詰まって声は出ない。どうしょうと考えても、運動神経まで伝わらない。身体が普通でないと感じたら頭や心もおかしくなる。
乾いた口の中が粘っこくなってくる。閉じることも忘れた目から、白い花に覆われた野草がぼんやりみえる。冷静にもなりつつあり、人間の膝の高さまで成長してないと判断した。公園のまわりでは定期的に雑草を刈るから大きくなれないのだ。男性が隠れられるのか、と疑問に思えてきた。鼠のような小動物か、野良犬がねぐらを物色しているのだろうと予測する。
それは、何者も現れないので確信に変わる。
「なーんだ」
安心感で声にすれば、草むらをかき分けて並木道に飛び出す白い猫。美咲へ身構えるが、すぐに跳躍して公園に逃げ込む。彼女が最初発した声に脅えて、逃走する準備をしていたのだろう。
驚かせた相手の正体はわかった。だけれど、ちっとも動悸が収まらない。痴漢にあったら大声をだすとか、逃げるなどの基本的な行動に自信が持てなくなった。これ以上進めない。出口はすぐそこだけれど、影から手がいまにも出てきそう。低い枝の間に潜むような人影も見える。
(板だったかしら)
塵を捨てるな、の立て看板があったのを思いだした。でも、と心で渋る。佳子が被害にあった場所と知っていて通り抜ける度胸なんてない。意識過剰で怖がりなのを、美咲自身も認めている。それは真っ当な生活をするのに問題もなかった。
ただ、高校一年のころ、友達と呼んでいた仲間からは一線を引く結果になった。ふと、幼友達を思いだす。
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