(九)

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(九)

「はい、じゃあ乾杯」 「かんぱーい」  グラスワインで乾杯すると、早速頼んだ牡蠣に岩塩をひとつまみとレモンを絞ってするりと口の中に放り込む。 「んー! 美味しい」 「でしょ」  得意げな美鳥と一緒になって、サラダと交互に牡蠣を頬張ると、まだまだ食べられるねと追加注文を頼むことにする。 「それよりどうしたの。平日に食事に誘うなんて珍しくない?」 「ちょっと秋菜、アンタ自分の誕生日忘れてたの」 「あ……そっか、今日私の誕生日か」  歳を取るのが嫌過ぎたのかと可笑しそうに笑う美鳥に苦笑して誤魔化すと、あれほどショックなことが起きたのに、誕生日のことすら忘れてた自分に驚いた。  もし別の世界線があったなら、私は今頃、大輔と一緒に式場の下見をしたりして、お互い良い相手が見つからなかったなんて笑いながら過ごしてたのかも知れない。  だけど現実はそうじゃなくて、あんなパーティーに招待までされて、大輔からしたら諦めてくれって意味なのか真意までは分からないけど、随分一方的に酷いことをされた。  きっと一人だったら立ち直れなかっただろうし、誕生日を忘れるなんてあり得ないことだった。  凌さんに出会わなかったら、涙なんて枯れ果てるまで泣いて、誕生日がトラウマになるような過ごし方をしてた気がする。 「そっか……」  凌さんが居てくれたから、今の私はこんな風に笑えてるという事実に、言葉で言い表すのは難しいけど、あったかい気持ちがグッと込み上げてくる。 「ちょっと秋菜、聞いてる?」 「あ、うん。ありがとう」 「今日は美味しいのいっぱい食べようね」 「美鳥は自分が食べたいだけじゃないの」 「そうとも言う」  毎日が、いつもと変わらない。  それはあんなことを経験した今の私にとってかけがえのないことで、あの時一人だけで頑張ってもどうにも出来なかったはずだから。
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