先輩

2/10
前へ
/91ページ
次へ
 季節は、初夏だというのに、ここでは、そこにはまるで木枯らしが吹いているようだった。狭く、閉鎖されたエレベーターの中で、木枯らしが吹いていた。  そこには、三名の女性がいた。そのうち、二人の女性は、楽しそうに話していていた。  それでも、一人の女性の顔は、凍り付いてしまったように、全く表情がなかった。そして彼女は、周りとの間にある氷の壁をさらに厚く高くした。彼女は、全身が氷つくような思いだった。  それは、二人が彼女のことを話しているからだろう。もし仮に、彼女にそれが聞こえていなかったとしても、ここには特有の空気の悪さがあった。  「ねえ、新人がさ隣にいるのに、自分の仕事ばっかってどう思う」  「え。教育係がいないの」  「いつもはいるんだけどさ。今日、体調不良で休みだったから、みんなでフォローしようって先輩が話してたんだ」  「そういうことね。お疲れ様。大変だね、協調性ない人いると」  「そうでしょ。そうでしょ。うちの二年目、ホント世話がかかるんだよね」  「そうだよね。いつも先輩付きっきりになってるもんね」  「うん。先輩、もう(ヒラ)じゃなくて忙しいのに、ホント大変そう。っていうか、そっちにはそういう人いないの」  「先輩っていえばさ。先輩とどこまでいった。先輩のこと好きだって言ってたよね」  「どこまでもいってないって。もう失恋したんだよ。だって先輩好きな人いるみたいだし」  「前に言ってたね。やっぱ弱ってる時に優しくされるって惚れやすいしね」  「それだけじゃないよ。きっと私と会う前から、先輩は好きだったと思う」  「それって一年目に弁当渡したら、好きな人いるからって断られた話でしょ。それってあの子とは限らなくない」  「そうかな」  「あとさ。そっちに配属されたのは、涙かコネでしょ」  「それは、そうかも。先輩があの子の担当になった時の感じから」 と言うとエレベーターが一階に止まった。  「ねえ、見て、あの子乗ってたんだ。気づかなかった」  「え、嘘」  「ごめんね」  「何かありましたか」 と言うと彼女はイヤホンを耳から外すしぐさをしてみせた。  「特には」  「そうですか」  彼女がそういうと、二人は足早にエレベーターから降りた。  「今日さ。駅前に新しくできたとこ行ってみよ」  「あそこね。私もそこが良いと思ってたんだ」  二人の楽し気な声が日々行く中で、彼女はそっとエレベーターから降りた。  彼女の手の中にも、彼女の荷物の中にもイヤホンなんてなかった。
/91ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加