第一章 (10) 炎の悪魔

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第一章 (10) 炎の悪魔

 ムルは穴から滑り降りると、膝を使って軽やかに着地した。  着いた場所は思っていたよりも広く明るい。教会の壁のように白い石で造られ、大人二人が並んで歩けるくらいの通路が伸びている。通路脇に深くて広い溝もあるが、用途は分からない。  ムルは頭上を見上げたが、そこから元の場所に戻るのは現実的ではないだろう。自分だけが横道に逸れてしまった形になったようだ。  伸びた通路の先へと視線を戻す。  奥から僅かに足音のようなものが反響してくる。音からして、この場所には複数の人間がいるようだ。距離もあってか幾人もの足音が混ざり、そこから仲間達の位置を把握するのは難しそうだ。  どうやら自分は、他の人よりも視覚情報から人を判別するのが苦手らしい。  それが自分だけなのか皆そうなのか、今の彼には分からなかった。  しかし幾らなんでも、仲間の判別くらいはできる。  彼は一人足音を辿って通路を駆け出した。 「さて、とにかく戻る方法を探さないとね」  チャッタはそう言って周囲を見回す。  落ちてきた穴は絶対に届かない高さにある。試しにチャッタが、クロスボウの矢の先にロープを括って放つ。しかし、矢は目的の場所まで届かず、途中で弧を描きながら落下してしまった。 「駄目ですね」 「まぁ、想像はついてたけどね。参ったな。こんなことなら、ニョンにロープを運んでもらうんだった」  こうしている間にも町の人は苦しんでいる。チャッタは唇を噛む。  三人が焦燥感に苛まれたその時、突然地響きが起こった。何事かを周囲を見回すと、なんと壁の一部が扉のように開いていき、そこから十数名の男たちが現れる。マントを身に付け、口元まで隠れるゆったりとした布を首に巻いていた。手首足首まで覆われた服は麻色をしていて軽く身軽そうに見える。  彼らはこちらの姿を見つけると、大きく目を見開いた。 「な、何故ここに人がいる!?」 「いや、こっちの台詞だよ! つーか、まともな道あったのかよ!? こっちは落ちてきたんだっての!!」  アルガンの言葉も()()()()である。チャッタは思わず何度も頷いた。  ティナがすっかり安心しきった表情で、男たちに向かって歩き出す。 「それよりも人がいて良かったです。実は、私たちここに迷い込んでしまって」 「——待った」  ティナのマントのフードを掴み、アルガンは無理矢理彼女を止めた。苦し気な呻き声を上げたティナは、彼を睨みつける。 「な、何するんですか!!」 「アンタ死ぬ気」  辛辣な言葉を投げかけたアルガンは、男たちを睨みながらティナの前に出た。 「――ティナちゃん。下がってて」  チャッタは彼女の腕を優しく取って、自分の後ろへと導く。彼は男たちから片時も視線を逸らさず、その一挙一動に注意を払った。 「どうしたんですか? 迷ったのでしょう。さあ、我々と共に地上へと戻りましょう」  男たちが、柔らかい口調で手を差し伸べる。  アルガンが馬鹿にするように鼻で笑った。何処からともなく風が吹き、彼のフードを軽く揺らす。 「ふーん。アンタらさ」  歌うようにアルガンは言う。 「殺気隠すの、下手だよねぇ」  その瞬間、男たちが一斉に動いた。アルガンに飛びかかる者、彼に向かって腕を振るい、何かを投降した者。共通しているのは、必ず仕留めると言う獣のような殺気をまとっていること。  巨大な火柱が上がり爆発音が轟いた。  周囲は忽ち白煙で満たされていく。それに視界を封じられ、何も見えない。アルガンを襲った男たちは咄嗟に距離を取り、そのまま呆然と目を見開くばかりだった。  不気味な静寂を破って、チャッタが声を張り上げる。 「アルガン!! こんな場所で爆発なんて洒落にならないだろう、何考えてるんだ!? もっと加減してくれ!!」 「えー、良いじゃん。風が吹いたって事は、すぐに息が続かなくなるって訳でもないんだしさぁ。久しぶりだし、派手にやらせてよ」  アルガンの様子は普段と変わらない。寧ろ、今までで一番楽しそうだった。チャッタの腕の中にいたティナが、身じろぎをする。再びどこからともなく風が吹き、白煙が晴れていく。  初めの爆発で飛ばされたのだろう。アルガンのマントのフードが脱げて、初めてその髪が顕になっていた。チャッタたちの瞳に映ったのは、深い深い緋色の髪の毛だ。それはまるで揺らぐ炎を思わせる。  ティナが息を呑み、驚きで目を見開く。  アルガンはその右手に、髪と同じ色の燃えかさる炎を携えていたのである。 「魔術を使うってことは、アンタら教会関係者か」  男たちは何も言わない。張り詰めた空気の中、アルガンがまぁ良いやとどうでも良さげに呟く。 「残念だけど。魔術が専売特許なのは、アンタらだけじゃねぇんだよ」  アルガンは、まるで悪魔のような笑みを浮かべた。 「『炎の魔術』……!?」 「そんな、悪魔の力を何故こんな子どもが」  男たちが焦った様子で口々に喋っている。  髪よりも深い紅の瞳を細め、アルガンは蝋燭でも消すように一息で手のひらの炎を消す。彼の頬は紅潮し、どこか楽しそうでもあった。 「いや、所詮、炎は炎! 水には敵うまい!」  敵の一人が、人差し指を立ててアルガンへ向けた。袖口から無数の滴が浮遊し、指先に集結する。そして、手のひらほどの水球になり弾けた。  鋭く形を変えた水は、まるで矢のようにアルガンへと向かっていく。それに合わせ、数人の男がマントの影からスラリと剣を抜き放ち走る。  アルガンは身につけたマントを掴むと、それを勢い良く脱ぎ去った。分厚い布地が複数の剣を絡め取る。そして彼は向かってくる水の矢を一瞥すると、手のひらをかざした。  現れたのは背丈と同じ炎の壁。それに触れた水の矢は一瞬白煙を上げ、消える。  アルガンは大きく真横に跳躍すると、追撃してきた敵の剣を避け、間合いに入り込んできたその腕を掴む。  炎が弾けて、何かが焼けるような音と男の悲痛な鳴き声が響いた。  アルガンは再び敵から距離を取ると、品定めのような眼差しを男たちに送る。 「首の後ろ、手首、足首、右胸の上……そこにあるんでしょ、『疑似魔術器官』」  水の蜂が持っていたという、己の力を魔術に変換する器官、通称『魔術器官』。現在水の蜂でなくても魔術を使えるのは、その魔術器官の代わりになる宝玉が体の何処かについているからだ。  例外も、いるのだが。  男たちは無言を貫いていたが、アルガンが上げ連ねた魔術器官の場所は正解だったのだろう。明らかに動揺しているようだ。 「その屑石じゃあ、水を生み出すことなんて夢のまた夢か。水は大方どっかに隠し持ってるってトコ。できるのはせいぜい、水の形状変化くらいか。まぁ、アンタら下っ端でしょ? そんなモンだよね」 「黙れ! これは先人達の叡智の結晶! 子どもとは言え侮辱することは許されん!」  ふうん、とアルガンは両目をスッと細める。  全く、何も知らない連中はこれだから。彼のそんな吐き捨てるような声が、聞こえた気がした。 「来いよ。アンタらの水なんて、温すぎて俺の火は消せないだろうけど」  心を落ち着かせるように、彼は細く長く息を吐く。そして、吼えるように叫んだ。 「水は、全部、『気』に還してやるよぉ!!」  アルガンは男たちに飛びかかっていった。 「ティナちゃん、あまり見ない方が良いよ。君がいるし、アルガンもあんまり過激なことはしないだろうけど」  チャッタはそう言って優しく微笑み、ティナの視界をマントで遮った。 「あの、チャッタさん。アルガンさんが魔術を……悪魔って……?」  ティナが尋ねると、チャッタは困ったような笑みを浮かべ、唇に人差し指を当てる。 「乾燥したこの土地で火が恐ろしいのは、ティナちゃんにも分かるよね? これ以上は、僕の口から言うことではないから」  彼は横目で戦うアルガンへ視線を向けた。  そして寂しげに目を伏せて、消えてしまいそうな声で呟く。 「彼の苦しみは、彼にしか解らないんだから」
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