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第一章 (12) 真
「アルガン……!?」
チャッタの喉元を狙った水の刃は、代わりにアルガンの右肩を深く貫いた。赤い雫が床に落ち、水と混ざり合っていく。
血染めの刃は、役目を終えたとばかりに飛沫を上げて崩れていった。
「アルガンさん!!」
ティナの、アルガンを呼ぶ声に悲鳴が混じる。
「あのさ、馬鹿なの? 簡単に油断してんじゃねぇよ。それに、どうしてアンタの方が狙われてんの? 昨日の事と言い、一般人より狙われるってもう笑うしかないんだけど」
痛みを誤魔化すためなのか、アルガンの口数はヤケに多い。チャッタは血が滲むかと思うほど唇を強く噛み締める。
「チャッタさん、アルガンさんは……」
ティナに問われた彼は、指先でそっとアルガンの傷口近くに指を添わせた。
「大丈夫。傷は深いけど——」
「致命傷は避けたはずだが? 貴重な検体だからな」
チャッタの心臓が大きく跳ねる。彼の言葉を遮って、頭上から低い男の声が響いた。
チャッタは咄嗟に、アルガンを抱えてその場から跳躍する。
彼らがいた後に、何者かがフワリと降り立った。白地に黄金の刺繍が映えるその衣は、誰が現れたのか一目瞭然だった。
「い、イミオンさま……?」
「ふむ、上からの潜入と言うのも、これでなかなか趣向が変わって愉快なものだな」
頭上を眺めて悠々と呟くのは、神官のイミオンだ。あの時感じたいかにも神職者と言った雰囲気は形を潜め、全く別人のように感じられる。
「ど、どうして……」
「——もう演技は止めたのかい」
チャッタはアルガンを左腕で抱え、イミオンを睨みながら問う。
「演技、ねぇ。私はちゃんとやるべき事をやっただけだが」
「ふうん。あの治療と称してやった事も、やるべき事?」
チャッタの問いに、イミオンは少しだけ眉を動かす。
「仲間が調べてくれたよ。倒れた人々にはある共通点があった。前日に貴方の治療を受けていたってね。恐らく怪我人や病人に針を刺した時、人から——水を奪い取っていたんじゃないか?」
「っ、そんな……!?」
ティナは息を呑み、イミオンを見つめた。最初の老人はおそらく彼が用意したおとりだろう。皆彼の演技に騙されていたのだ。チャッタの胸から、ふつふつと怒りの感情が湧き上がってくる。
アルガンを襲った魔術は恐らくイミオンのもの、彼は敵だ。
沈黙していたイミオンの口元に、笑みが浮かぶ。それは次第に妖しく、歪んでいく。
「手間賃だよ、アレは。人の身体の七割は水分だ。ほんの少しいただいた所で、致命傷にはならないさ」
悪びれもせずそう言って、彼は饒舌に語り始めた。
「この時代、水を持っている者が勝者だ。出世するには、聖人君子や水の蜂の称号よりも水そのもの、そして魔術の力だ! その赤毛の少年、『悪魔の魔術』だと? ハハッ、まさか本当にいるとはな……!」
アルガンは歯を食い縛り、精一杯イミオンを睨みつけている。その顔色は酷く青白い。
「驚くべき事に、この少年は自らの身体から炎を生み出している! それは正しく水の蜂が使っていた魔術、『水を生み出す力』と同質の魔術ではないか!? 長年どんな者が手を尽くしても創り出せなかった力だ! 一体どんな擬似魔術器官をその身に宿している? そして、それが国の手に渡っていないのは何故だ!? この少年を調べ、その謎が解ければ——きっと私はもっと高い地位を、名誉を、力を手にする事ができる!!」
まるで演説だった。吸い寄せられたように、イミオンから目が逸らせない。襲われた時とも違う、別の恐ろしさがチャッタの体を震わせた。
「まさかこんな小さく貧しい町で、このような幸運に恵まれるとは……私もつくづく運が良い!」
そこでイミオンは、何故かティナに視線を向けた。纏わりつくような視線に、ティナはグッと息を詰まらせる。
彼は目を細めて指先を上げ、彼女の胸元を指差した。
「それと、女、貴様だ。そのペンダントを渡して貰おうか」
「な、何であなたまでこれを……?」
「奇妙なことを言うな? 貴様らもここが水の蜂が遺したオアシスだと知って、ここに来たのだろう?」
イミオンは少し意外そうな顔をして言う。
「だったら、何だって言うんだ?」
「このように、水の蜂が作ったオアシスはいくつか発見されているが、決して数は多くない。そして、そのオアシスには必ず隠し部屋と鍵の存在が不可欠だ」
「鍵って——彼女のそれが、そうだと?」
ただの石で、ティナの母親の形見だと思っていたペンダントが、重要な鍵なのか。チャッタはティナの胸元を一瞥する。
イミオンは薄く笑っているだけだった。それ以上話すつもりはないのだろう。
「これが……そんな、まさか……?」
「どうした? 貴様が持っていても宝の持ち腐れだろう。安心しろ、この私が責任を持って、この国と人の存続の為に有効活用してやるさ」
言葉とは裏腹、悪意に満ちた笑みを浮かべ、イミオンはティナに近寄った。彼女は俯き胸元のペンダントを見つめている。
「ティナちゃん!」
チャッタは思わず声を張り上げた。
「君の本当の気持ちを言って。君は本当は――」
「貴様は黙っていろ! 良いから、さっさとそれを渡せ!」
イミオンの怒鳴り声にも怯まず、チャッタは静かにティナを見つめる。
母を疎ましいと、憎んでいると言いながら、それでも十年もの間、ペンダントを持ち続けてきた意味がきっとあるはずだ。やがてティナは顔を上げると、瞳に強い決意を込めて叫んだ。
「嫌よ!!」
「何故だ? 貴様、そのペンダントはいらないんじゃなかったのか? ……価値を知って、惜しくなったか? あさましいな」
「違う!」
ティナが首を激しく振って叫ぶ。もう彼女は、自分の本当の気持ちを隠すのは止めたのだ。
「本当は、始めから『いらない』なんて思ってない! ムルさんの言う通り、嘘なのよ。あの人の――お母さんのことを嫌いになってなんかいない。他人がお母さんのことを悪く言うたびに胸が痛んで、本当はお母さんはそんな人じゃないって叫びたかった。でも小さい頃の私はそれができなくて、それがずっと悔しくて……!」
ティナの瞳に、うっすらと涙が溜まっていく。
「これは、どうでもいいものなんかじゃない。これにどんな秘密があっても、どんな価値があっても関係ない!」
声を震わせながらも、彼女は気丈にイミオンを睨みつけた。
「これはお母さんが、私に遺してくれた大事なペンダントなんだから!」
彼女の叫び声が、空間に反響する。力強い音がやがて吸い込まれていった後、肩で大きく息をしているティナの頭に何かが乗った。
「よく言った」
「ムルさん……!?」
「ムル!?」
いつの間に、と、チャッタは目を見開く。ムルがティナの横に立ち、彼女の頭に優しく手を置いていた。
「アンタさ、どんだけタイミング良いんだよ」
アルガンが小さく舌打ちをして口を開く。
「話の途中だったから、遮って良いのか迷ってて」
「マジで見計らってたのかよ……」
彼は呆れて脱力するが、その表情には確かな安堵が見える。
「何だ、貴様は?」
イミオンがそんなムルに嘲笑を送る。しかしムルは気にした素振りも見せず、視線を下げた。
「ここ、水があるのか」
彼の言葉の意味が分からなかったのか、イミオンは怪訝そうに眉を顰める。
確かに今、この空間には先程からの戦いで、水がそこら中に散っていたが。
「どうした、水が珍しいか」
「いや」
再び嘲笑混じりの言葉を浴びても、ムルは平然としている。
彼は片膝をついてその場にしゃがみ込むと、足下の水にそっと触れた。
「助かる」
指先で水を掬うと、ムルはそれを天に向けて放った。
揺らめき、僅かな光を反射して、一粒の滴がちらちらと輝いている。刹那、宙に浮いて、真っ直ぐ真っ直ぐ、ムルの手の中めがけて落ちて行く。
力強く彼は、水を掴んだ。
手のひらが一瞬、蒼く眩い光を発したかと思うと、その手の中で何かが形作られていく。彼は勢いをつけ、腕を真横にピンと伸ばす。
「な――」
イミオンとティナが目を見開く。
驚くだろうなアレは。チャッタはまるで遠くを見るように目を細める。いつ見ても、彼の力は綺麗だ。
チャッタたちの視線の先で、ムルは手に一本の針を携え泰然として立っていた。
二の腕ほどの長さもある針は、彼の手の中で透き通った輝きを放っている。腕を上げ、ムルは針の先をイミオンへと向けた。
「おい、髪がカチカチなお前」
ムルの声が、凛と強く響く。
「本物の蜂、見せてやる」
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