第一章 (15) 約束

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第一章 (15) 約束

 あの日から一週間ほどが経った。  ムルが取り返してくれた水と、遺跡にあった()()()()の水を使い、町の人々はすぐに元気を取り戻した。また、事態を知った国から急遽追加の水の供給もあり、町はたった数日で元の活気を取り戻すことができた。  しかしアルガンの怪我のことや、チャッタのオアシスを調べたいという希望もあり、彼らはもう少しこの町に滞在することになったのである。  そしてアルガンの怪我も完治した今日、三人はこの町を発つことになった。 「本当に、いろいろとありがとうございました」 「いや、こちらこそ。滞在中の衣食住から何まですっかりお世話になってしまって……有難いけど本当に良かったのかな、ラクダ。ムルは幸せそうだけど」  チャッタたちは、町の人からお礼にとラクダを三頭譲ってもらったのである。砂漠の旅が少しでも楽になるようにとの配慮だ。決してムルの癒しの為ではない、はずだ。 「もう出発できるって何度も言ってたのにさ。一週間も大げさだよな」 「ちゃんと治しておかないと、旅先で悪化したらどうするんだ! むしろ一週間で完治したことが驚きだよ」  拗ねたようなアルガンを、チャッタが母親のように嗜める。ティナはそんな二人を見て、可笑そうに笑って言った。 「私、お母さんみたいに、あのオアシスを守っていこうと思ってます。大変だけどきっと大丈夫です! だって、一人じゃないですから」  ティナの母は秘密を守るため、たった一人であのオアシスを守っていた。  しかしティナはチャッタたちとも相談し、叔父や叔母を始め信頼できる人には話そうと決めたのである。あのオアシスは、この町みんなのモノなのだから。 「そっか。ティナちゃんたちなら、きっとオアシスを守れるよ」  チャッタが微笑むと、ティナも晴れやかな笑顔を返してくれた。彼女の胸では、あのペンダントが緩やかに揺れている。穏やかな雰囲気の中、ムルがポツリと俯きがちに呟いた。 「俺の、探し物」 「あ」  思い出した。ムルは確かこの町で、大切なものをなくしたと言っていたはず。一緒に探すと約束していたティナは、焦った様子で視線を泳がせる。 「ご、ごめんなさい! うっかりと言うか、すっかりと言うか……。い、今からでも間に合いますか!?」 「えー、もう良いだろ。忘れてたってことは、それほど大事じゃないってことじゃん。行こうぜー」 「……大切なんだ」  アルガンに反論するムルは、少し不満そうに見える。チャッタは二人をなだめようと口を開いた。 「にょっ!?」 「――あれ?」  もちろんその奇妙な声は、彼の口から出てきたものではない。聞き覚えがあるあの奇声だ。 「ニョン⁉」 「にゅにょにょにょにょお!」  チャッタの後ろにいたのは、毛玉、ではなくニョンだった。ニョンは激しく跳びはねながら、ムルの下へ飛んでいく。風変わりな奇声はどこか、歓喜に満ちているように思えた。  ムルは無言でニョンを食い入るように見つめている。やがてその場に座り込み、体毛をかき混ぜるようにして撫でた。そこでピタリと動きを止め、ムルは無表情のまま思いきり、その毛玉を抱きしめる。 「――ニョン」 「にょおおおーっ!!」  ニョンも一際大きく喜びの声を発した。 「まさかムルさんの、大切な探し物って……」  ティナが目を丸くしながら尋ねると、ムルは毛玉を彼女の目の前に突き出した。 「迷子になっていた。名はニョン、と言う」 「やっぱりっ!!」  思わず同情してしまうほど切なげに呟かれた『大切』は、ニョンのことだったようだ。 「あー、なるほどね。僕の嫌な予感は当たってたわけか」 「そう言えば、この子、何なんですか?」  ティナの問いに、チャッタとアルガンの二人は顔を見合わせる。同時に思い切り首を捻った。 「んー、僕とムルが出会った頃には、既にムルの傍にいたんだけど、飼ってるわけでもないし、部下でもないし、友達……?」 「ムルの恋人だろ」  確かに。あれは、相思相愛だ。チャッタは妙に納得し、未だ抱き合う一人と一匹に視線を向ける。  二人の背後に、キラキラと輝くオアシスが見えた。 「あはは、完全否定できない所が恐ろしい。えっと、とにかく良かった――ってアレ」  チャッタはそこで言葉を切り、勢い良く振り返った。彼の後ろには白々しく口笛を吹くアルガンの姿がある。 「アルガン!? 君ムルの探し物の正体知ってただろ!?」 「えーなんのことー?」  この町で再会した時、アルガンは「ちょっとした問題が起きて、この町に来た」と言っていた。このちょっとした問題とは、ニョンが迷子になったことではないのか。  それによく考えれば、ムルと行動を共にしていたアルガンが、彼の探し物を把握していないわけがない。 「知ってたんなら早く言ってくれよ! お陰でややこしいことになっただろ」  チャッタの指摘にアルガンは口を尖らせる。 「そっちが勝手に勘違いしたんだろ。それに俺、あの毛玉好きじゃないし!」 「それは、分かるけど」  ムルとアルガンは相思相愛だが、アルガンとニョンの仲は非常に悪いのだ。チャッタはやれやれと首を横に振る。 「ティナ」 「あ、えっと、ムルさん。何ですか?」  気づけば、珍しくムルが自分からティナに話しかけていた。どうしたのだろうと、チャッタは思わず目を向ける。 「頼みがあるんだ」 「私に、ですか?」  ムルはチャッタに背を向けており、声も小さく話の内容までは分からない。  しかし、彼が話をした途端、ティナが目と口を大きく見開いた。酷く驚いて、声も出ないようである。話し終えたらしいムルは、そんなティナをそのままにして振り返った。 「行こう。町の入り口で、ラクダが待ってる」  ムルは荷物とニョンを担ぎ、さっさと歩き出す。暫し遅れて、チャッタとアルガンはハッと我に返る。 「はっ! え、ちょっ、待ってよムル」 「置いて行く気!? 置いて行くなら、その毛玉にしろ!」  慌ただしく荷物をまとめ、ムルを追いながらチャッタはティナを振り返る。 「じゃあね、ティナちゃん。いつかまた会いに来るよ! 元気でね」 「……じゃ」  チャッタは手を大きく振った。アルガンも軽く手を上げて、彼なりにティナに別れの合図を送る。 「はい! またいつか」  ティナは大きな声を上げ、両手を振ってくれた。晴れやかな笑顔に、こちらまで嬉しくなってくる。 「全く、慌ただしい別れになっちゃったな」  チャッタはそう苦笑して天を仰いだ。  今日も太陽は憎らしいほど輝いている。しばらくするとまた暑さで、外を歩くことすら困難になるのだろう。 「また会えると良いね」  その時には、あのオアシスをまた見せてもらおう。きっと今以上に美しく輝いているはずだ。チャッタは軽く後ろを振り返る。小さくなってしまったティナはいつまでも、こちらに大きく手を振っていた。 「色々大変だったし、アルガンには怪我させて申し訳なかったけど、思わぬ収穫があったよね! あー僕に絵の才能があれば、あの素晴らしい空間を余すことなく描き残すことができたのに!」 「文章に残すだけでも丸一日かかったじゃん。やめてくれよ」  三人は砂の上でラクダの背に揺られ、太陽の下でのんびりと会話する。  一歩先を行くムルは、ラクダとニョンに挟まれすっかりご満悦だ。相変わらず表情には出ていないが。 「でもこれから大変そうだよね。イミオン、僕らのこと喋りそうだし、ムルの事は冗談だと思われそうだけど……アルガンがなぁ」  チャッタは中央の役人に引き渡したイミオンを思い出し、苦い顔をする。炎の魔術を操る人間のことがバレるのも、時間の問題だろう。それを知った時、この国の人間はどう動くのだろうか。  アルガンはフードの中で舌を出して唸った。 「うげ。俺、どんなにご馳走出されても、絶対にフード取らないようにしよ」 「取らないのか?」  珍しく反応したムルが、弾かれたように振り返る。 「当たり前だろ? 俺の髪目立つもん。全部片っ端から燃やして良いなら自由にするけど」 「とぅるとぅるが……」  どうやらアルガンの髪の毛が隠れるのがお気に召さないようだ。どこか悲し気なムルを見て、チャッタは苦笑する。  そこでふと思い出したことがあり、彼はムルへと問いかけた。 「そう言えば……ムル、別れ際にティナちゃんと何を話していたの?」  ムルは再び前方へと視線を戻し、短く答える。 「頼み事をしてた」 「『頼み事』?」  暫しの沈黙。ラクダが砂を踏み締める音だけが響く。 「いつか、この国に雨が降る。その時にもう一度、あのオアシスの扉を開けて欲しいって」 「雨!?」 「はぁ? 雨なんて、生まれてこの方見たことないけど!?」  チャッタとアルガンは思わず空を見上げる。雨どころか、雲すらこの国では珍しい。  それなのに、雨とは。 「それはもしかして——水の蜂に関すること、君の記憶に関すること、かい?」 「はぁ!? 何か思い出したわけ!?」  ムルはラクダの足を止め、振り返る。俯いたまま、彼は首を横に振った。 「思い出した、と言えるほどのことじゃない。ただ」  言葉を濁し、ムルは天を仰いだ。  乾いた風が砂を巻き上げ、何処までも青い空に舞う。 「俺は何か大切な約束を、していた気がするんだ」 第一章 完
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