第一章 (7) 形見

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第一章 (7) 形見

「本当に、ありがとうございました。お二人が気づいて下さらなかったら、私……。やっぱり旅をしている方は、凄いんですね」 「あー、別にぃ」  アルガンは、礼を言われるのは迷惑だと言わんばかりに、片手を振った。 「気にしないで! 僕だって気づけたのは運が良かっただけだからね。僕、水の蜂のことを考え過ぎて調子が悪くなっちゃって。気分転換しようと外に出た所で、怪しい男の襲撃に遭って――う、思い出したらまた気分が悪くなってきた……」 「それを正直に言っちゃう所が駄目なんだよな、アンタは」  口元を押さえるチャッタに、アルガンは白い目を向け、ティナは苦笑を浮かべる。  そこで突然、ティナがサッと顔色を変えた。 「おじさんとおばさんは……!!」 「あっ、ちょっとティナちゃん!?」  チャッタの静止する声も聞かず、ティナは部屋を飛び出してしまう。  追いかけようと部屋を出ると、ティナは部屋を出たところの廊下で立ち止まっていた。彼女の目の前にはムルが立っていて、静かに彼女を見つめている。 「ムル」 「ティナちゃん! 無事だったかい⁉」  少し遅れて、ムルの後ろからおじさんたちが駆けつけてくる。二人ともかなり動揺しているが、どこにも怪我はなさそうだ。 「こっちにも怪しい奴がいた。追い払ったら逃げて行ったけど」  ムルが聞いたもう一つの物音は、ティナの叔父たちの部屋へ侵入してきた不審者のものだったらしい。 「そうか。助かったよ、ムル。ここに帰ってくる前に、君と合流できて良かった」  チャッタが笑顔でそう言うと、ムルは無言で首を横に振る。 「ラクダが、いて」 「らくだ?」  チャッタたちは思わず首を傾げた。何故ここでラクダが出てきたのだろうか。 「隣の家のラクダの毛を堪能してたら、アルガンの姿を見かけた。それで、ここに戻った」 「……」  ああ、なるほど。ムルの()()はそれだったかー。  チャッタは言葉が見つからず、乾いた笑い声を漏らす。ティナも額を押さえて俯いていた。  そんな彼女の肩に軽く手を置いて、アルガンが首を横に振る。 「あのな。誤解しない様に言っとくけど、この中では俺が一番マトモだからな」 「ええっと。何となく、分かった気がします」  妙な空気になってしまったからか、ティナの叔父が咳ばらいをしてから口を開く。 「と、ところでティナちゃんは、大丈夫だったんだな」 「良かった。気が気じゃなかったんだよ」  安心した様子の叔父たちに言われ、ティナは二人に向き直る。 「おじさんおばさん。あの人達、私のペンダントを」 「ああ。私たちの所に来た奴らも、ティナちゃんのペンダントを狙っていたよ」  彼女の叔母がそう言って頷いた。ティナは自分の胸にあるペンダントへ視線を落とす。 「これが、どうして?」  失礼ながら、チャッタの目から見てもそれは何の変哲もないものに見えた。今もティナの胸の上で、鈍くぱっとしない輝きを放っている。  わざわざ侵入者が狙うほどの価値があるのだろうか。 「なんか曰く付きのモンなのか? それ」  アルガンがペンダントに視線を注ぎながら問いかける。チャッタが彼を止める前に、ティナが小さな声で呟くように言った。 「母が、私に遺したものです。もう十年も前になります。死ぬ直前にペンダントを私に握らせて、何か言おうとしたけれど、そのまま――。母は隠し事が多い人で、父と出会う前から一人でこそこそと出かけるような人でした。父が亡くなってからは、周りの人の不信感もあからさまになって、きっと裏で何か良からぬ事でもやったんだって噂が立って、中には娘の私も一緒になって何かしてたんじゃないかって言ってくる人までいて……」 「そんな――」  ティナがペンダントを憎しみにも似た眼差しで見つめていたのは、そんな事情があったのか。 「皆が危険な目に遭うくらいなら、こんなもの渡してしまえば良かった」 「ティナちゃん!? 何を言ってるんだいっ」  叔父たちが顔色を変える。顔を上げたティナは目に涙を溜めていた。感情を爆発させるように、彼女は声を裏返らせて声を荒らげる。 「だって、おじさんたちも知ってますよね!? あの人が皆からどういう目で見られていたか。死んでから、私が周りからどういう目で見られたか、どんな気持ちでいたか! 忘れようと思っても、これがあるせいで忘れられなくて――おじさんたちも危険な目に遭わせてしまうし、こんなモノさっさと」 「ティナちゃん、落ち着いて!」  チャッタは強い力でティナの両肩を掴み、自分と目を合わさせた。肩で大きく息をして、ティナはチャッタから目を逸らす。  彼女の叔父が苦しげに眉を(ひそ)め、口を開いた。 「私たちは、お前の母親をそんな風に言ったことなんて一度もない。そうだろう?」 「あなたのお母さんはね、確かに謎めいた所もあった。でもね、決して悪いことをするような人間じゃなかったよ」  叔母も優しげな口調で言って、ティナの頭に手を置いた。 「でも、そんなの……」 「――ティナちゃん。僕の母親の話、したよね」  チャッタはつい口を開いてしまった。微笑を浮かべ、彼女に言い聞かせる様な口調で言う。 「僕と僕の母親と、君と君のお母さんとは、全然違うと思うよ。叔父さんたちもこう言ってくれてるし、きっと人には言えない事情があったんだと思う」  ティナは少し驚いたように目を見開いた。  チャッタはハッと我に返る。自分の母親のことが頭に浮かび、つい口を挟んでしまった。彼は首を横に振ると、慌てて謝罪の言葉を口にする。 「ごめん。部外者が口を挟むことじゃないよね。まあ、とにかく、こんな時間だしティナちゃんたちはもう一度寝てきなよ。念のため、僕らが交代で見張ってるからさ」  チャッタは努めて明るい声を出し、彼女達に向けて明るく笑いかけた。 「えー、俺、もう寝たいんだけどー」  不満げな声を上げているアルガンとは違い、ムルは当然のように頷く。  チャッタの提案に、叔父たちはティナを気にかけながらも、一礼して寝室へ戻って行った。ティナは俯き、その場に立ち尽くしている。  すると、ムルが徐に彼女の下へと近づいていった。 「嘘」  ティナを見下ろしながら、彼は淡々とはっきりとした口調で告げる。 「渡せば良かったなんて、嘘」 「どうして、そんなこと……?」  ムルは手を伸ばし、指先が彼女のペンダントに触れる。慈しむようにそっと優しげな手つきで、彼はその石を撫でた。 「こんな良いペンダント、渡すなんて言うな」 「え――――」  ティナ目を大きく見開いた。ムルはそれだけ告げると、ペンダントから指を離してチャッタの下へ戻ってくる。 「見張るなら、ラクダの傍がいい」 「え、え? ら、らくだ? あー、ムルはラクダの毛も好きなんだっけ?」 「ふわふわじゃないけど、あのごわごわ感も……癖になる」 「うわ。節操ないな、アンタ」  のんびりと会話を交わしながら、チャッタたちは店の外へと歩いていく。  ふと引っかかりを覚えて、チャッタはムルに問いかけた。 「ところで、ムルはあのペンダントのどこが気に入ったの?」 「なんと、なく」 「そんなこと言って、どうせ触感だろ?」  なんとなく、ね。  ムルがあのペンダントに触れたのは、先ほどが初めてだったはずだ。ムルがペンダントを「良い」と言ったのは、ティナの気持ちを汲んでということだけではない気がする。 「これ以上、何も起こらなければ良いけどね」  胸騒ぎを感じて、チャッタは廊下の窓から、静寂を取り戻した夜闇を見つめた。
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