第一章 (9) 毛玉?

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第一章 (9) 毛玉?

「きゃああああああっ⁉」  ティナの絶叫が木霊する。落ちた先はただの穴ではなく、壁に四方を囲まれていて管のように下へと伸びていた。そして真っ直ぐ下へと落ちるのではなく、次第に角度がついて背中や臀部(でんぶ)で滑るように落下して行く。  先はまだ暗く、どうなっているかも分からない。数秒が永遠にすら感じられる。  チャッタはなんとか体勢を変えると、自分の少し前を落ちているティナを腕で抱き寄せた。 「チャッタさん」  彼は安心させる様に、ティナに柔らかく微笑んだ。  どこに辿り着くのかは分からないけれど、彼女は無事に返さなければ。出口に罠がしかけられていないと良いけど。ついでに、僕の身体能力でなんとななる高さでありますように。  彼女には涼しい顔を見せながら、チャッタは内心、必死で祈っていた。 「あ」  短く声を発したのは、ムルだった。次いで、ガコンと何かが外れたような音が聞こえてくる。  アルガンが驚いて声を上げた。 「おいっ! 今ムルがどっか行ったんだけど!?」 「嘘だろう、この状況で!?」  チャッタは、片手で髪を押さえながら背後を振り返る。脱げないようにマントのフードを押さえていたアルガンが、片手で前方を指差し叫んだ。 「バカッ! 今はいい、それより、着地に集中しろ!!」  光が見える。どうやら出口ようだ。 「ティナちゃん! しっかり捕まっててね」  最後は運頼みである。チャッタはティナを庇うようにしながら、ぐっと奥歯を噛みしめた。 「ティナちゃん、どこにも怪我はない?」 「はい、大丈夫です」  幸い出口に罠はなく、チャッタでもなんとか着地することができたようだ。  痛みを覚える膝を軽く(さす)りながら、チャッタは周囲を見回す。 「うわー、何だココ? アンタなんか知ってた?」  アルガンも空間全体を見回しながら、座り込んだままのティナに尋ねる。  辿り着いた場所は、白く磨かれた石に囲まれた箱のような空間だった。広さはかなりあり、教会が丸ごと収まりそうである。天井は二階建ての住居よりも高い。  地下であるはずなのに、ぼんやりと明るい。不思議な場所だった。 「いいえ。今までこの町にこんな場所があったなんて……」  それにしても、まともにこの高さから落ちなくて良かったと、改めてチャッタは思う。  あの穴は天井ではなく横の壁へと通じていて、三人は滑るようにしてここに落ちてきたのだ。  落ちた人を害するような仕掛けではないということだろうか。思っていたより落ちた時の衝撃が少なかったのも、そのせいだろうか。 「おい。アンタ」 「え? アルガンさん、何ですか?」 「アンタの下、見てみなよ」 「下――きゃあぁぁっ⁉ な、どどど、どうしよう⁉」 「ティナちゃん⁉ 一体何が――」  突然上がった悲鳴にチャッタは振り返り、そのまま目を丸くして固まった。  ティナの下敷きになっているのは、見覚えのある薄紅色の毛玉なのである。 「ええっと、コレ? この子? なんですか⁉ も、もしかして潰れて」 「にょー」 「うん、とりあえず大丈夫そうだよ。大丈夫だから、早くよけてあげてティナちゃん」  弱々しいが、毛玉から奇声が漏れたのを聞きつけて、チャッタはティナを促す。  彼女が慌てて立ち上がると、勢いよくポンと毛玉が跳ねた。 「にょにょー‼」 「きゃあ⁉ ――え、あなたは」 「やっぱりニョンじゃないか。どうしてこんなところに?」 「え、チャッタさん、この子をご存じなんですか?」  ティナの言葉に、チャッタは苦笑を浮かべる。  「毛玉」は、手のひらに収まるくらいの薄紅色の球体で、手も足も口も体毛に埋もれてほぼ目立たない。垂れた小さな両耳ともう一つの毛玉のような尾、黒胡椒のようなつぶらな瞳が毛の隙間から覗いていた。  性別すら定かではなくその正体も不明、妙な奇声を発する生物の名は「ニョン」という。 「ご存じっていうか、一応旅の仲間、になるのかなぁ? それより、ムルにべったりなはずの君がどうしてこんな所に」  ムル、という名に反応したようで、ニョンは悲しげな声を上げて周囲を跳ねまわり始めた。  しきりにキョロキョロしているようなので、ムルを探しているのだろうか。 「ムルならいないぞ。あの管を落ちている、というか滑ってるうちに逸れた」 「にょー⁉」  アルガンの言葉に、ニョンは全身の毛を逆立てる。そしてすかさず、体全体を使って大きく跳躍し、管の出口に飛び乗った。 「あ、ああ⁉ ニョン⁉」  そのままいつもの奇声を発しながら、管を器用に登っていってしまった。ムルを探しに行ったのだろうか。  三人は、ニョンが登っていった管の出口を呆然と見上げる。まるで巨大な砂嵐が去っていった後のようだ。 「あ! 私ったら、あの子にお礼も言わずに……どうしよう」 「お礼?」  ティナはチャッタの問いかけに、深く頷いた。 「実は、昨夜襲われた時、あの子が部屋に飛び込んできて。そのおかげで相手の気が逸れて、アルガンさんが来るまで無事でいられたんです」  アルガンさんが来るまでに、あの子はまた出て行ってしまったんですけど。  ティナの言葉に、チャッタは目を丸くする。 「それに、チャッタさんと初めて会った時にも、いましたよ、あの子」 「え⁉ じゃあ、まさかあの時僕にぶつかってきたのは」  ニョンだった、と言うことか。あの時聞こえた気がした奇声は、幻聴ではなかったらしい。  思わぬところで真実が判明し、チャッタは唇を引き結んで眉を顰める。 「なぁ、もう良いじゃん、あの毛玉のことは。とりあえず、この部屋のこととか考えようぜ」 「そ、そうだね。それにしても、ここは何の目的で造られたのか」  意外と図太くなんでも器用にこなすあの子のことだ。ムルと合流するかもしれないし、放っておいても大丈夫だろう。  チャッタは気持ちを切り替え、部屋を徘徊する。床の妙に滑らかな材質に触れて、ハッと息を呑んだ。 「もしかすると、ここはあの場所では!?」  彼の瞳がキラキラと輝き、頬が果実のように色づき始める。胸を躍らせるチャッタを見て、アルガンは嫌そうな顔をして首を振った。 「またチャッタの病気が出たよ。放っておいて良いぞ。学者の性ってヤツだから」 「はあ……。チャッタさん、あの場所とはなんですか?」  ティナの問いかけに、チャッタは勢いよく振り返る。 「『オアシス』だよ! 遥か昔、水の蜂たちは各地に人工的なオアシスを造っていたと言われているんだ。ほら、この神秘的な雰囲気! まさに彼女らの作品に違いないよ!!」 「オアシスって……」 「カラッカラだけどな、この場所。外よりは空気が湿ってるけど」  アルガンの言う通り、オアシスと言う言葉からは想像できない場所である。 「そこなんだよねー。良し、もっとよく調べてみよう!」 「ま、待って下さい、チャッタさん! 町の人が大変なんですよ!? それに逸れてしまったムルさんだって」  慌てたティナに腕を掴まれ、チャッタは間の抜けた声を発した。そうだった、とバツが悪そうに目を伏せる。 「ごめん、そうだよね。つい我を忘れてしまって……」 「そうだよ、いい加減にしろよな。ムルのことは後回しでも良いけど、さっさと出口を探そうぜ」 「ちょ、ちょっと、ムルさんのこと心配じゃないんですか?」  アルガンの言葉にティナは目を丸くした。仲間が逸れたにしては、あまりにも冷たすぎるのではないだろうか。そんなことを言わんばかりの眼差しである。  しかし、アルガンは心底不思議そうな顔で瞬きをして、真面目な声色でティナに問いかけた。 「アンタさ。多分アイツの事、無口で無表情で何考えてるか分かんない、触感至上主義の変人だと思ってるだろ?」 「え、いえ、それは——」 「良いんだ、ティナちゃん。情けないことに、それで大体合ってるから」  二の句が継げずにいた彼女の肩に、チャッタが軽く手を乗せる。戸惑うティナの前で、アルガンが得意気にニヤリと笑った。 「安心しなよ。あんなだけどアイツ、一番強いから」  それは年相応の、少年らしい笑顔に見えた。
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