伸びゆく結末

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伸びゆく結末

静かな部屋にスマホの通知音が鳴った。 張り裂けそうな胸を抑えながら、恐る恐る画面を確認する。 「高梨さん、本当にごめん。やっぱり明日まで待ってほしい。」 大きな溜息と共に、思わずスマホをベッドに放り出す。 (また伸びた…。なんで?) 待ってくれってことは芽がない訳ではないのだろう。しかしあまり良くない状況であることは私にも分かる。 『大丈夫!きっと上手くいく!』 そんな風に考えられるポジティブな性格ならばどれだけ人生楽なのだろうか。 実際の私は根暗でネガティヴだ。 否応なしに様々な最悪な想像を巡らせてしまう。 私は目を瞑り考える。 『何かある…。』 それは間違いない。 この返答には何か裏があるのだ。 しかし、それを考えて良いのだろうか? 答えは開けてはいけないパンドラの箱。 そんな気がしてならない。 ……………。 全ての事の始まりが、まるで昨日の出来事のように瞼の裏に浮かんできた。 始まりは高校1年の夏休みを目前に控えた頃。 「由香!今度男バスの試合があるんだけど見に行かない?」 きっかけは、親友の夏希のそんな提案だった。 夏樹と私は幼稚園からの付き合いだ。 家が近所ということもあり、共に学校へ登校し、授業が終われば共に下校してそのまま2人で遊んでいた。 彼女は人懐っこく活発でバスケを好んでおり、家で映画を見たりまったりしたい私とは真反対な性格だった。 一緒に家で映画を見た後はバスケをする。 そんな風な譲り合いをすることで、真逆の二人の関係は不思議と成り立ち、違うクラスではあるものの高校生となった今では無二の親友となっていた。 「女バスの私としてはさ、色々勉強にもなるのよ!だからさ、由香お願い!」 先日は私のリクエストでとあるドキュメント映画を見に行った。 映画の途中で首がグラグラと揺れていたのを考えるに、あまり興味の無かった映画だったのだろう。 つまり、『次は夏樹に譲る番』であり、正直気は進まなかったが私も渋々了承したのである。 後日、眠気を抑えながら試合会場に着くとまさに試合が始まろうとしていた。 「な、なんとか間に合ったね!」 「夏樹が遅刻するからだよ…。」 まあ、好きなだけ遅刻してもらっても構わなかったのだが。 いっそのこと、試合が終わる時間に起きてくれれば、今日の予定は映画にでも変更できたのに…。 なんてことを考えているうちに試合が始まる。 そして間も無く、私は石川匠に目を奪われた。 石川匠とは同じクラスであったが、元々引っ込み思案で、他人に心を開かないことを自負をしている私だ。 彼に関しても、いつもお調子者のうるさい男子というイメージしかなかった。 しかし試合に出ている彼は、さながらアニメに出てくる主人公のようだった。 冷静沈着に敵のディフェンスの合間を縫ドリブルして抜いていく。味方との連携の中心となり、レイアップシュートやスリーポイントシュートを次々と決めていった。 真面目な顔で仲間とハイタッチをする彼は、クラスに存在する石川匠と同じ人物かと思うほど輝いて見えた。 「石川って1年なのにうちのクラブのエースなんだよね。」 私の心を読んだかのように隣で夏樹が言った。 1年でエースとはそれこそ本物のアニメの主人公だ。 私は人生で初めて高まる胸の鼓動を感じた。 それからの日常は、これまでの世界とはまるで変わってしまったようだった。 今まで耳障りだった彼の笑い声は、耳を通り越して胸の中まで響いてくるようだった。 ただの風景だった彼の一挙手一投足がやけに気になり、自然と横目で追ってしまう。 気づいた時には逃れぬ沼に落ちてしまっている。 これが恋なのだと直ぐに気づいた。 「石川のことが好き?」 「うん。誰にも言わないでね。」 これまで碌に人間関係を構築してこなかった私だ。 この止めようのない気持ちを相談できるのは、唯一無二の親友である夏樹しかいなかった。 夏樹はさぞかし驚いたようで目を見開き、口はポカンと空いていた。 しかしその後、私を応援すると言って笑顔で言ってくれた。 「でもさ…これからどうするの?」 「そこなんだよね…」 そう。恋をしたことは良くとも、問題はその次なのである。 私はこれまで彼氏が出来たことはない。 つまり、異性との心の距離の縮め方が全く分からなかった。 とりあえず連絡先を聞かねば始まらない。 そう思ってクラスで話しかけようと思ったが、常に取り巻き男子といる彼に近づく勇気は当然出なかった。 話しかけよう。どうやって?自然に声をかけよう。きっかけは? そんな自問自答のみで、月日だけが過ぎていき遂には夏休みに入ってしまった。 (ああ、これでもっと距離が出来てしまう。) 元々全く近くも無かった心の距離感だが、休みとり物理的にも遠いともなれば、それこそ手も足も出ない。 途方に暮れながらテレビを眺めていると、とある映画の宣伝が流れていた。 (そうか、これなら…!) 私はスマホを手に取り、夏樹にメッセージを送る。 3日後、私達は映画館に居た。 夏樹と私、そして同じクラスの石川匠とその友人でバスケ部の男子だ。 「ちょうどこの映画見たかったんだよね。」 石川匠は言った。 この夏、とあるアニメのバスケの映画が公開されていた。 私は映画が好きだし、他の3人はバスケ部だ。 この映画を見にいくと言う程でダブルデートを誘うのは口実としてとても自然だと思えた。 …いや、自然ではないことは分かっている。 年頃の男女。しかもあまり見知っていない異性とダブルデートに行くのに下心のない自然な理由など無いだろう。 しかしこの恋という感情は、そんな小さな事を思考の奥底に押し込めてしまうくらい強いものらしかった。 石川匠の連絡先は幸い夏樹が知っていた為、スムーズに話は進み、4人のグループチャットも開設された。 「俺さ、映画が始まる前の部屋が暗くなる瞬間が好きなんだよね。なんかワクワクしない!?」 隣に座った石川匠がヒソヒソ声で話しかけてくる。 「めっちゃ分かる!私も好き!」 本心でそう思ったのだが、彼が隣に座っているというだけで緊張して返答することが出来ない自分に腹が立った。 映画自体は自体はそこそこ面白く、それだけでも充実した時間だったはずだ。 しかし好きな人と隣で映画を見ているだけで、その楽しさは数倍に膨れ上がった。 映画を見た後、私達は喫茶店に行き、想を話し合った。 「だからあそこでスリーポイントなんて絶対狙わないって!」 「そうかな?私だったら狙うけどな。」 「そりゃ夏樹が強引すぎんだって!」 石川匠は熱く映画の感想を語っていた。 私は監督がどうとかストーリーの深掘りをしたいタイプなのだが、彼はあくまでバスケ部目線のものだった。 しかし、彼と話をしてるだけで幸せに思えた。 帰り道、私は彼と2人になった。 というのも私と彼、2人だけの帰り道になるような場所の映画館を夏樹が探してくれていたのだ。 「いや、でも今日は楽しかったな。いきなり夏樹から映画誘われた時はびっくりしちゃったけど楽しかった。」 「そうだね。本当に楽しかった。」 「夏樹から聞いたけど、高梨さんって映画好きなんでしょ?また4人で行こうよ。」 また4人で…。 その響きに切なさと謎の焦りを感じた。 『ここしかない』 私はこれまでの人生で最大の胸の鼓動を抑えながら言った。 「…今度は2人で。」 2人の間に静寂が流れる。 「え?」 私は人生で初の告白をしたのだった。 永遠に感じる数秒間。 世界の時が止まってしまったようだったが、夜風の冷たさが世界が動いていることを教えてくれた。 そして彼の回答を、一先ず貰い帰宅した。 私はベッドにそのままダイブをした。 (…疲れた。) 石川君の答えは「明日まで待ってほしい」だった。 思えば石川君と私の関係は今日始まったばかりなのだ。 一方的に私が思っていただけで、今までは特段仲の良くないただのクラスメイト。 いきなり付き合ってほしいとは時期早々だったのだろうか。 (焦り過ぎたのかな…) 私の意識は暗雲たる気持ちのままベッドへと吸い込まれていった。 次の日、彼は約束通りメッセージを送ってくれた。 しかし、その答えは昨日と同等だった。 「ごめん。答え、明日まで待ってほしい。」 幸い今は夏休みであり、直接彼と顔を合わすことはない。 しかし安定を好む私には、一か八かのこの期間は生き地獄に思えた。 (待つ?石川君は何を考えているのだろう…。何を迷っているだろう…。振られたら夏休み明けどんな顔をしていけばいいのだろう…。でももし付き合えたら…) 最高と最悪な想像が交互に頭を駆け回る。 そうして不安と共に何も手のつかない一日をやり過ごして、返ってきたメッセージがまたしても「本当にごめん。やっぱり明日まで待ってほしい。」だったのだ。 …おかしい。何か理由がある。 私は瞑っていた目を開け考える。 『石川君も何かを待っている?』 全ての答えが出そうだった。 いや、既に心の奥底では分かっていたのかもしれない。 しかしそれ以上考えると心が壊れてしまいそうな気がした。 私は再び目を閉じる。 次の日、スマホのメッセージ通知音で目が覚める。 「待たせてごめん。俺でよければ付き合ってください!」 これまでの待たせた理由も書いてはいない、やけにあっさりとした回答だった。 私はメッセージを打つ。 「今から会える?」 そして軽く支度を整え、家を出た。 私は1人、夜の公園のブランコに座って待っていた。 公園の静けさが私の気持ちを表しているようにも思えた。 そして遂に待ち人がやってきた。 「由香どうしたの?」 スエット姿の夏樹だった。 「ここ、昔良く2人で遊んでたよね?」 夏樹は戸惑っていたが、私が手招きをすると隣のブランコに腰掛けた。 2人の間に静寂が流れる。 「そ、そういえば由香、石川君とはどうなった?」 夏樹が静寂を破り言った。 「付き合うことになったよ。」 「…そう。良かった!」 夏樹の顔を見て確信する。 …ああ。やっぱりそういうことなのだ。 「ごめん、嘘。」 「え?」 「石川君とは付き合わない。」 夏樹が口をあんぐり開けている。 「何で!?せっかく…」 「それは夏樹もでしょ?次は私の番。」 昔からそう。 片方の気持ちを尊重した次は、もう片方の気持ちを尊重する。 だから次は…私の番のはずだ。 「私の番…。」 夏樹は確信をつかれ驚いた様子だった。 全てはこういう事だったのだろう。 石川匠が待っていたもの。 それは夏樹だったのだ。 彼は夏樹の事が好きだったのだ。 私に告白された彼は、その流れで自らの気持ちを夏樹に伝える。 そして夏樹に回答を待たされた。 では何故、夏樹は回答を保留したのか。 それは夏樹も迷っていたからだ。 私が石川匠を好きだと言う気持ち。 そして自らも、『石川匠の事が好き』という気持ち。 その難解な心の狭間で。 そう、夏樹は石川匠の事が好きだったのだ。 「石川って1年なのにうちのクラブのエースなんだよね。」 バスケの試合を見たあの日を思い出す。 思えば夏樹の目の奥はキラキラと輝いていた。 そんな彼から告白を受ける。 でもその男は、親友の思い人でもあったのだ。 石川匠の告白を受ければ親友との関係は壊れてしまう。 恋か友情か。 つまり私が彼から伸ばされたこの回答の期間は、夏樹がその選択を恐らく死ぬ程に悩んだ期間だったのだ。 結果、夏樹は私を選んでくれた。 対して石川匠はどうなのだろう? 夏樹のことを好いていながら、夏樹がダメとなった時のために、ある種の保険で私をキープをしていたのではないか。 それが必ずしも悪いこととは思わない。 でもそんな人との為に、こんな大切な親友との関係を崩して良いのだろうか? いや、良い筈がない。 「由香、ごめん。」 夏樹は俯きながら言った。 「由香の気持ちを知りながら、少し迷った。」 夏樹が悪い事など一つもない。むしろ謝るべきは私だ。私が居なければ、2人は付き合ってたかもしれないのだから。 「私こそごめん。」そう言いかけて、夏樹の顔を改めて見つめる。 ひどい顔をしている。2日間ろくに寝てないような顔。 「夏樹、あんた寝てる?髪もボサボサだし目の下のクマも酷いよ…。」 思わず減らず口が出てしまう。 「…は?それ言うなら由香も同じじゃん!」 しばしの静寂。 ここ最近、このような世界が止まってしまったような静寂があった気がする。 「ふふ。」 私は思わず吹き出してしまった。 「ははは!」 夏樹も笑い出す。 答えを待っていたこの2日間は、人生で最悪の2日間だったように感じていた。 でもこうして笑い合ってると、別に大したことのないような2日間にも思えてきた。 「あー、お互い恋人の居ない期間がまた伸びちゃったね」 夏樹は言った。 それはごもっとも。 とても深刻な話である。 しかしその分、一生の友達とこのネタで笑い合える時間が伸びたということで、まあ良しとする事にした。
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