第6話

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第6話

 大巫女の部屋を後にした柰雲は、なんだか恐ろしくなってしまい身震いした。黑い気持ちがひしめいた後、急に悲壮感と虚無が襲ってくるのはいつものことだ。  ガタガタと震えそうになる身体を抱きしめながら、早足に母屋の廊下を歩く。もはや、駆けだすに近い勢いで去った。  大地を紅く染めるという呪いの毒稲の噂は、以前から聞いていた。それを食べた家畜が死んでしまったということも、人間も穀物を食べられず、絶望にさらに追い打ちをかける現状になることもわかっていた。  訳のわからない不安に駆り立てられていた。  肌身離さず持っている大刀(たち)刀子(とうす)を確認すると、自室に戻らず厩舎に向かう。飼葉の匂いと生き物たちの気配を感じると、やっと柰雲のささくれ立っていた気持ちが落ち着いた。  厩舎の中を進み、一番奥に寝ていた大型の獸に近寄る。  獸は柰雲が来ると喉の奥を鳴らしつつ、ふさふさとした尻尾を振り始めた。暗闇に光る美しい(みどり)色の瞳が瞬きする。 「稀葉(まれは)、一緒に寝てもいいかい?」  柰雲の問いかけに応えるように、大型の獸は彼の頬をぺろりと舐めた。 「ありがとう、稀葉……いつも側にいてくれて」  候虎(こうこ)と呼ばれる猛獣は、虎と狼を掛け合わせたような外見を持つが、それらの獸よりも首がとても長い。  馬ほどの大きさの身体に、濡れた綠色にも似た輝く黑い毛を纏っている。長くてふさふさした尻尾が特徴だ。  候虎は見た目の凶暴さとは反対に、非常に賢く、子どもの時から育てれば育てた人間にとても懐いた。  柰雲たち一族は、候虎と共に生きる民だ。だから、厩舎には馬ではなくて候虎がいる。  厩舎は村の数か所にり、数多くの候虎がしまわれている。この厩舎には稀葉を含めて六頭の候虎がいるが、すべて柰雲が育てたのだった。  柰雲は部屋に戻らず、自分が育て上げた候虎の中でも一番親愛の深い稀葉と一緒に寝ることが多い。  彼女の大きい身体に身を預けると、とくんとくんと脈打つ心臓の音が心地好かった。稀葉の心音を聞きながら、柰雲は鼓動と温かさに安心が広がっていく。 「稀葉、和賀ノ実(わがのみ)を持ってきてくれた神様たちは、人間があまりにも身勝手なものだから、愛想を尽かせて実とともに去ってしまった……」  稀葉の首筋にある少し長いたてがみのような毛を撫でながら、柰雲は小屋の外から見える月を見ていた。まるで猫の爪のように細く光るそれは、夜空で笑っているかのようだ。 「和賀ノ実さえあれば……美爾(みしか)は死ななかったのかな」  稀葉が首を柰雲の方に向け、柰雲の頬を優しく舐めた。 「お前のことも、美爾は最初は怖がっていたのに、氣がつくと背に乗せて一緒に遊んでいたね」  今でも、あの時の光景が瞼の裏に鮮明に映し出される。  美爾を失ったことも、亡くなっていく村人が毎年増えてゆくことにも、柰雲は手足を切られるかのようなひどい痛みを感じていた。 「食べなくては死んでしまうのに、食べたくないんだ……わたしが食べなければ、村人一人が救えると思うと、食べ物が喉を通らない……」  柰雲は苦しくて稀葉にしがみついた。いったいどれだけの村人を失ったのだろうと、考えるだけでも怖い。その上、ハシリ一族に攻められでもしたら、村が滅んでしまいかねない。  速玖而(はやくじ)が言うように、戰うことを視野に入れなくてはならない。爭うのは良くないとわかっているが、いざ攻められたらどうすればいいのか明確だ。 「愚かだ。言葉があるというのに……」  結局お互いを牽制しあう手段は、圧倒的な暴力なのだ。
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