第9話

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第9話

「黙れ外道!」  速玖而(はやくじ)阿流弖臥(あるてが)のわかり切った挑発に激怒し、殴り掛かろうとする。だが、敵兵たちがあっという間に臨戦態勢となって阿流弖臥を覆いかくし、速玖而に槍を向けた。 「やめろ、速玖而(はやくじ)!」  大王が長男をなだめるが、父の聲は怒り心頭の彼に届くはずもない。 「最後の一人になるまで戦い、この土地を守るのが我が候虎使いの一族の誇りだ! お前たちのような異端者に、我々の大地を穢させぬ!」  速玖而は向けられた槍を二本同時に掴み、力任せに押していこうとする。兵士たちのかかとの地面の土が盛り上がり、速玖而の力に少しずつ後ろへ通されていった。 「良い意気込みだが、今はその矜持は必要なかろう。お前一人が向かってきたとて敵わぬ。歯向かうというなら、一人ずつ村人を殺してやろうか? それとも田畑を焼こうか。それでも止めぬと言うなら、お前はうつけだ」  速玖而が女の挑発に見事に乗って、兵士にさらに突撃していった瞬間、兵士が一人の村人を引っ張り出して目の前であっという間に大刀で斬りつけた。速玖而は顔を真っ赤にして雄たけびを上げ、さらに突進していく。 「愚かな――放て!」  阿流弖臥の掛け聲が合図となって、白寿の稲が実る田に火がつけられる。油を撒いていたのか、田は見事に燃え上がって、炎の海となった。それを見て、速玖而は今度顔を青ざめさせた。 「な、なにをする……! 田を焼いては、冬を越せない!」 「お前が歯向かうからだ。焼いた方が、よく芋が育つぞ」  速玖而をなだめようと、縛られたままの大王と阿字多(あじた)が後ろから突進して、彼の大きな身体を地へ叩きつけた。しかし、怒り狂った速玖而はすぐさま立ち上がる。 「このっ……!」 「やめろ、やめるんだ速玖而!」  速玖而がさらなる雄たけびを上げた瞬間、藪から一陣の黑い疾風が現れた。耳を塞いでもなお聞こえる咆哮を上げながら、速玖而と阿流弖臥の間に稀葉が躍り出る。  稀葉の跳躍した背から、柰雲が阿流弖臥に向かって一直線に飛び降りた。手には、刀子(とうす)ががっちり握られている。  気がついた兵士たちが阿流弖臥を守ったため、柰雲は槍の先端をいくつも斬り叩いて、兵士たちの背中を蹴ってから地面に着地する。次の瞬間には地面すれすれを駆け出して、兵士たちの太ももを次々に斬りつけて倒していった。  途端、その場が怒号と悲鳴に溢れかえる。血のにおいが吹き出し、瞬きをする間に、バタバタと人が倒れて行く。柰雲が兵士たちの合間を縫って、どんどん敵兵を刺していく間に、稀葉はその場で、恐ろしい牙で兵士たちの胴体を噛み砕いて行った。 「愚かな……隊列を組め、立て直せ!」  柰雲は、指示を出す阿流弖臥の手前にいた兵士の首元に、刀子を食い込ませてなぎ倒す。同時に腰の大刀(たち)を引き抜いて、方々から突き出された槍の先をあっという間に切り落とした。 「そこまでだ、柰雲――!」  さらに目前の三人を斬り倒したところで、大巫女のよく通る聲が聞こえた。それを合図に柰雲はたたらを踏むと一歩後ろに飛び下がる。そして幾度か後ろへ跳躍を繰り返し、兵士を噛み砕いていた稀葉の隣まで来た。  柰雲に斬りかかって行こうとする兵士たちに、阿流弖臥が飛び出して「やめろ!」と殴り掛かりながら止めていく。 「止めろ、止めるんだ莫迦(ばか)ものが!」  まだ斬りかかろうとしている兵士に、阿流弖臥が掴みかかり殴り飛ばす。彼女の顔には、猟奇的とも思える笑みが乗っていた。 「まだ一人いたとは。しかもこれほどの手練れ……!」  阿流弖臥は口元を歪めながら、血まみれになった大地を見つめた。そしてすぐさま残った兵士たちに喝を飛ばす。 「ぼうっとするな。武器をしまって早く負傷者の止血をしろ。死んだ者は端に並べておけ」  くぐもった呻き聲が隣から聞こえて、柰雲はハッとして稀葉を見る。身体を牙に串刺しにされた兵士が、最期のうめきを上げているのが見えた。彼の顔は恐怖に固まり、見開いた目からは血の涙が流れている。 「……っ!」  兵士と目が合った瞬間、稀葉はうっとうしそうに敵の身体を牙から外して引きちぎり、ポイっと阿流弖臥の方に投げ飛ばした。稀葉は汚れた手足や顔周りを舐めとり始め、柰雲に褒めてもらおうと喉を鳴らしてすり寄ってくる。 「稀葉……」  血の滴る大刀を持った手を垂らすと、この惨状に急に寒気がし始める。稀葉の温かい鼻面に触れた瞬間、身体ががたがた震えた。大きく動揺し始めた柰雲を見た阿流弖臥が、猟奇的な笑みを顔面に乗せながら、一歩ずつ近づいてくる。  阿流弖臥が足を踏みしめたところから、ぱしゃん、と血だまりが飛び散る。柰雲の完全に色を失った顔を見て、阿流弖臥はさらに笑った。 「は、自分で殺しておいて、怖くなったか青年。二十……いや、三十以上は死んだぞ、そなたたちによって。あの短時間で、見事に多くの兵たちの急所を突いたな」  赤くなった地面を認識し、呆然と阿流弖臥を見つめた。彼女の後ろから、ごうごうと燃え盛る畑が見え、せっかく育て上げた稲たちが爆ぜていく音と、村人たちがすすり泣くのが聞こえてきた。  柰雲はいまこのすべてが、嘘であってほしいと願った。だが、敵の血に濡れた赤い手は、それが現実であることを思い知らせただけだった。
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