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過去の出来事を思い出す。
あの日もこんな暗闇だった。視察に訪れた国王が帰った日、マリクが帰った日。
『あれ?』
階下から物音がして、私は、もしかしてマリクが戻ってきたのかと思い、階段を降りていった。ランプの灯りが照らすのは葡萄酒のような血溜まり。黒い影がお父さんの体を八つ裂きにしていた。そして、その後ろには母が倒れ、背中に突き立てられていたナイフを見知らぬ男が拾い上げる。
──あの日の光景、あの日の悲鳴は忘れることができない。幼い私は、目の前で両親が惨殺されるのにただ叫ぶことしかできなかった。男は私を見てにやりと嗤っていた。力の無さを嘲るように。
でも、今は違う。
「王子!! マリク王子!」
吸い込まれそうな暗闇の中で王子の名を呼ぶ。唯一残された大切な人の名を。
「ダメだ! 来るな、ティナ!!」
鈍い音が響いて、くぐもった別の声が聞こえてくる。
「言っただろ未熟な王子。喋るなって」
殴った? 今、マリクが殴られた?
「──貴様!!!!」
剣を抜き、走る。一刀で切り捨てる。釈明の余地も必要ない。しかし、王子の姿が目で捉えられたところで私の足は止まらざるを得なかった。
「懸命な判断だ。そこから向かってきたら、わかるよな?」
男は片手で王子の頭を持ち上げ、ナイフを首筋に当てていた。
「今すぐその手を離せ! 王子には傷一つつけさせない!」
くぐもった笑い声が上がる。
「威勢がいいな。子どもの頃とは大違いだ。……王子の秘書官か。強い力も得て、随分と出世したらしいな」
なんだ……? どういうことだ? 子どもの頃の私を知ってる……?
「話を聞いてくれティナ! 君はここにいてはいけない!」
「黙れって言ってんだろ!」
男の拳が王子の顔面を殴り飛ばす。王子の綺麗な顔が痛みに歪んだ。
「貴様!!」
今すぐに王子を助けたかった。この距離ならば一足飛びで男の懐に到達し、ナイフをはたき落とすことができる。だが、再び男はナイフを王子の首元に突きつけた。
「傷一つつけないんじゃなかったのか? ……まあ、いい。そうやって動かないのは懸命な判断だ。大事な王子の首から血が吹き出し、あっという間に命が失われる。ちょうど、あのときと同じようにな」
あのときと同じ? ──まさか!?
暗闇を凝視する。下卑た笑みを浮かべる男の口元が薄っすらと見えた。この顔を知っている。
幼い悲鳴が聞こえた。
「久しいな。裏切者のアールグレンの娘。お前の力がほしい。咎人の血が流れているお前のな。我々のところへ、こちら側へこい」
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