成人の儀と賊の侵入

3/11
22人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ
「王子のヒショカンだぁ? よくわからんがエラそうだな。その口ごと叩き割ってやる!」  予想通り、賊の一人は考えなしに片手斧を力任せに振り下ろしてきた。剣を斧の刃にかみ合わせると、切っ先を滑らせるように移動させて斧の一撃を避ける。そのまま大男の後ろへと回ると、頭を思い切り蹴った。  牢屋で身構えているのが残り3人。まだ牢の鍵は開けられておらず、加勢が来ることは考えにくい。そして、幸いにも部屋の隅に固められていた2人の看守は縄で縛りつけられているだけで目が動いている。つまり、意識がある。 「くそっ! あいつ、女で小柄のくせに強い! 行くぞ! 2人掛かりでやればなんとか!」  細身の男2人が走り寄り、剣を同時に切りつけてきた。認識が甘いと言わざるをえない。女のくせに強いのではない。小柄のくせに強いのではない。女で小柄だから強いのだ。  一度身体を沈み込ませると、目の前に2本の剣が現れたタイミングで一気に浮上する。下から軽く叩けば、剣は持ち主の手を離れて床へと突き刺さった。  体が熱くなるのを感じて、上空へと跳び上がる。顔の横を子猫ほどの大きさの小さな燃ゆる火球が通り過ぎていった。  この中で警戒しなければいけないのは、たった一人。牢へと続く扉を燃やした紋章士(もんしょうし)だ。  目深にフードを被った紋章士の右手の甲には、赤色の弓矢を模した紋様が刻印されていた。〈燃ゆる火の紋章〉。多くの紋章士が使用している炎を操る紋章の一種。  空中で体を回転させる。他にも紋章を宿している可能性はある。火球だけなら回避は容易だが──。いや、今、後ずさりをした、か?  その拍子に脱げたフードの下に(おび)えた表情が現れたのを見て、紋章は一つだと確信した。  そのままの勢いで突撃すると、フードを切り刻んだ。──って、ウソ、女の子!?   目の前に現れたのは、赤髪のツインテールのまだ年端もいかない少女だった。少女は、尻餅をついた。目から涙がポロポロと零れ落ちてくる。 「君は──いや、とにかく」  賊の体勢が整う前に、看守の縄を切った。すぐさま看守長が立ち上がると、「全員、引っ捕らえろ!」と怒りに満ち満ちた声を上げる。  騒ぎに気づいたのだろう、階段をドタバタと降りてくる複数の足音が聞こえ、瞬く間に賊の身柄を拘束していった。泣いたままの紋章士の少女も例外なく縄で縛られ、上階にある取調室へと連れていかれる。  少女の緩くまとめた髪の毛が揺れて目が合った。思わず目を逸らした私は、床の上に視線をさまよわせていた。  ──事情はわからないけど、何かあったのかな? 過去に、もしかして親がいない、とか……?  遠く、どこからか甲高い悲鳴が聞こえる気がした。それが過去の幻聴だということは、もうわかっている。  私は頭を振ると、剣を鞘に納めた。顔を上げれば、少女は真っ直ぐに前を向いて階段を上っているところだった。  * 「ふぅ……終わったよ。ティナ。そっちはどうだった?」  ──優しい王子の声が耳に心地よい。はぁぁあああ、こんな近くで王子の声が聞こえる! これが、これが秘書官の特権!!  私は、淹れたばかりの紅茶を王子の座るテーブルに2人分置くと、内心を読み取られないように固い表情のままに答えた。 「お疲れ様でした、王子。式は滞りなく終わったようで。こちらも首尾よく終えることができました」  簡素な召し物に着替えた王子は、ティーカップを持ち上げると軽く香りをかいで口をつけた。私の入れた紅茶が王子の柔らかそうな唇を経由し、口の中に入っていく。私も気づかれぬようそっと微笑むと、紅茶を口にした。 「美味しいね」 「ありがとうございます」  王子に紅茶を入れるようになってまだ数えるほどしか経っていないけど、この時間が1日の中で最も幸せな時間な気がする。っていうか幸せすぎる! 最高っ! 「でも、報告だと牢屋に賊が入ったって」 「はい。ですが適切に対処致しました。軽い怪我を負った者はいるかもしれませんが、死者は出ておりません」  王子の晴れ舞台に血を流させるわけにはいかない。 「そうか。だが──」  王子はなぜか神妙な面持ちで私を見た。瞳の中に多少の揺らぎが見える。──えっ、ええっと、え……? 「ティナ。君は無事なのか?」 「は、はい。問題ございません」 「そうか。それならいいんだけど」  ホッとした顔をすると、王子はまた紅茶を飲んだ。 「……王子、もしや──」 「ん?」  青い瞳と目が合い、慌てて視線を逸らした。 「いえ、なんでもありません」 「ならいいけど。ティナ、何かあったらいつでも言ってほしい」 「はい。ありがとうございます」  王子がまた紅茶をすする。私もティーカップを傾けた。  ずっとこうして向かい合って紅茶を飲んでいたい。できれば他愛もない話をしたり、声を出して笑い合って時を過ごしたい。  しかし、私は秘書官だ。これから始まる王子の公務を滞りなくサポートするのが私の役目。 「さて、王子。さっそく明日からの予定が入っています」 「う……お手柔らかに頼みます」 「はい。まずは、城下町の視察。それから、午後には各大臣との会議、夜には貴族の皆様との晩餐会が──」 「あーちょっと、ストップ」 「はい。いかがなさいましたか?」  王子はティーカップをソーサーの上に置くと、手の指を突き合わせて軽く目を瞑った。これは! 王子が何かを深く考えているときに出る仕草!  紙の束を机の上に置いて、紅茶を口に含む。甘みのなかにあるほのかな苦みが舌の上を転がっていく。茶葉から抽出された豊かな香りは、過去の記憶を思い出させた。  ──『この紅茶おいしいね!』、『うん! うちで採れた茶葉なんだよ!』──  王子は覚えてくれているのかな? いや、きっと覚えてなんかいない。それでも構わない。今、こうして(そば)にいられるだけでも神に感謝しなければ。いいや、この結果は私の努力の賜物だ。神がこんな私に祝福を与えてくれるなんて、絶対にあり得ない。  王子は目を開けて、指を元に戻した。 「明日の視察だが、お忍びで行くことはできないだろうか?」 「……と、言いますと?」  嫌な予感がする。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!