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王子は、買ったばかりのリンゴを一口かじると笑顔になった。
王宮にほど近い場所にある商業区は、日用品から食料品、衣服に服飾品、本や娯楽品など必要なものを買い求める市民たちでごった返していた。
「いやいや、相変わらずすげぇ人だな。王宮の中にいると静かなもんだが。王子なんてさっきから手当たり次第に食べまくってるぜ」
「王子は味を確かめているのでしょう。王宮で口にするものは、もう一流のシェフによって作られた料理。こうして市民が食べるものを自ら食することで、その質と安全を確かめているのです」
「ふーん、そんなもんかね。俺はお固い行進が面倒くさかっただけなような気がするが。おっと、つい王宮や王子の話をしちまう……そうだな。ティナは、確か市民出身だったか? 城下町の話をしてくれないか?」
ディンブラ殿の言うことは最もだ。共通の話題と言えば王宮か王子の話題になってしまう。
「承知しました。では、まず第一に城下町の構造ですが、主に3つの構造に分かれています。一つは、ここ商業区。二つは、ギルド区。職人たちのエリアですね。冒険者御用達の場所でもあります」
「王宮で扱う武具や紋章なんかもここから仕入れてるって聞くぜ。まあ、俺たちはただ与えられた武器を使うだけだが。……おっと、うまそうなステーキがあるぞ。おっさん、この肉はいくらだ?」
ガハハハハ、と笑いながら牛肉のステーキを購入すると、分厚い肉にフォークを刺してその場で食べ始める。
「……ディンブラ殿」
「わかってるって! だけど、ずっと後をつけてるのも変だろ! それに、その呼び方はやめようぜ。アーダンで呼んでくれよ」
「……承知した」
実に美味しそうに分厚い肉の塊を口の中に放り入れるディンブラ殿──もといアーダンを置いて先を急ぐ。この人混みの中で王子を見失うわけにはいかない。
満腹になったのか、今度は書店の表へ出された本棚から本を物色する王子。キラキラとした瞳が子犬のようにかわい──。
「ゴホン」
集中しろ、ティナ・アールグレン。今は少人数での視察。賊がいつ襲ってくるかもわからない。
怪しまれないように辺りを見回す。私が王宮に仕えてから何年経っても、変わらない景色がそこにはあった。子どもの頃は月に一度、両親と手をつなぎ、この通りを歩くのが何よりも楽しみだった。
いつからか私の手をつかむのは両親ではなく神父様やシスターに代わり、やがて私よりも幼い孤児たちに代わった。そう言えば、王子と歩くのも子どもの頃からの夢の一つだ。
王子は、あの頃より立派になられた。背は私よりも低かったものだが、今は私よりもぐんと伸び、ほどよい筋肉が体を引き締めておられる。
「おっ? どうした、今度は怖い顔をして」
「いや、少し過去を思い出していただけ。さっきの続きだが、商業区とギルド区を真っ直ぐ進んだその先にあるのが住宅区だ。目印はあの高い教会」
そう、両親が殺されたあとに私が引き取られた場所だ。あの日のことは忘れられない。私の人生の全てが変わった日だ。
あの日、あの夜。私たちは、黒い影の怪物と咎人に襲撃された。生かされたのは私だけ。あの感覚は今でも──。
全身に鳥肌が立った。振り返れば喧騒に包まれた住宅街が変わらずそこにあった。だが。
「どうした?」
一瞬。一瞬だけだが黒い影が人々の間をすり抜けて店の奥へと消えていくのが確かに見えた。
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