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私がその海岸を知ったのは知人の紹介によってだった。比較的裕福な知人で、海岸は彼と一族のプライベートビーチだった。よい眺めによい気候の、すばらしい別荘地であるにも関わらず一族がここ数年に出入りした形跡はなく、最低限の手入れを施されながら廃れていた。
彼によれば数年前に宿泊した一族が夜の砂浜でバーベキューをした際にごっそり十数人行方をくらましてしまったことがきっかけで誰も寄り付かなくなったのだという。あまりに奇妙な失踪であったから捜査も進展せず、ただ避けるしかなくなったということだ。公的権威に縋らずオカルティズムに傾倒していた私に相談したのはそういう経緯あってのものだった。普段静かに慎ましく孤独に暮らすなか、二人で宿泊をして調査をしてみないかという願ってもない申し出に私は二つ返事で了承したのである。
居住地区から彼の荒い運転に酔うこと数時間、公共交通機関も跡地を見せるのみの長閑で美しい自然に別荘はあった。アール・デコの整然とした建物は都会的で、一等地の真ん中か、ヴェルサイユの庭園のように剪定された庭の中に建っていなければならないようだった。要するに――この美しい自然の中にあってあまりに不釣り合いに見えた。それが私の第一印象として確りした。
部屋に荷を下ろしたときにはすでに陽が水平線に差し掛かっており、もう夕食を摂って砂浜に監視のためにテントを張ろうかとなった。私たちは部屋がありながらも異変が起きた砂浜で過ごした。陽がすっかり落ちて星のない夜となった。月明りの下ちょうどキャンプのように炊飯し、コーヒーを淹れて最近のできごとについて悠々と語り合った。夜明けより前、薄ら明かりが差す頃になって眠くなり、朝日が昇る前に一度二人で眠った。
次に目が覚めたのは朝日がすっかり頭上にある頃だった。しまった、監視をするのに交互の見張りが必要だったか、と思い至ったものの一日目が無事に経過したことで、私たちは上機嫌になっていた。同じ地でオカルト的事象が起きながら自らの身に危険はなく、眺めも気候もよい素晴らしい別荘を二人だけで占拠しているのだから無理もない。どんなに大声で歌おうが陽気に楽器を弾き鳴らそうが咎められない状況に、若い私たちは羽目を外して遊びまくった。
二日目の夜、私はいちおう交代の見張りを提案した。眠れないなら話していればいいし、眠るならば眠ればいい。彼は快諾して私が最初の番になった。その日も一日目と同じように砂浜にキャンプテントを張って炊飯をした。私はコーヒーを二杯飲んで夜中に備えた。一方で彼はコーヒーを抑えて二時を回る前にはすっかり眠ってしまった。
二人でいるのにすっかり孤独になった私はふと空を見上げた。昨日が満月だったのだから、今日はほんの少し欠けて西へ傾いているはずだというのに昨日私たちをあたたかく照らした月の光を感じなかったからである。そこで私は小さく悲鳴を上げた。
月明りがあるはずの空には黒々と穴が開いていた。そればかりか満天の星空が揺らめき、私たちを見定めるかのようにぎらついて海に落ちてゆくのである。そうして海に落ちた星々は小さな波に乗ってザ…ザ……と浜辺に向かってきていた。
寝不足の夢ではないのかと思い、明晰夢への対処法をいくつか思い浮かべ、試してみたが何の効果もなかった。それどころか星々は海を纏って押し寄せようとしてくる!波打ち際から私たちのテントは満潮でも12フィートほど離れていたが今に飲み込まれてしまいそうだった。
慌てて私は眠りこけている彼を起こし、何か様子のおかしい波が差し迫っていると海を差した。彼も様子のおかしいことを理解し、慌ててランプを引っ掴んで二人で駆けだした。しかし、すぐにア!と短い悲鳴を上げて彼は倒れてしまった。駆け寄った時には彼の脚に奇妙な鬱血ができていて、星空に向かって引きずられ始めていた。
「助けてくれ、助けてくれ!これが、僕たちの」
言い終わらぬうちにあっという間に彼は星空の中に吸い込まれ、なにかいやな音がした。そうしているうちにランプがグシャリと音を立てるのを聞いた。私はあっけにとられていたが、何か影が私に向いてきたのを感じて悲鳴をあげながら慌てて踵を返して走り出した。つかまってはいけない気がした。
そこから日が昇るまでの記憶がない。気が付けば街のほうまで戻ってきており、親切な老人に介抱されているところだった。衣服はぼろぼろで、持ってきた荷物も何もかも失っていた。老人は古くからの住人だそうだが、彼の一族の名前を口にしても知らないと言われるばかりであった。
私は海もオカルティズムもこりごりに思って帰還後、まじめに生活した。彼の名前はもう思い出せない。だが、時折小波の音が耳につく。山のほうに暮らしているというのにあの浜辺の音が耳を撫ぜるのだ。
ザ…ザ……と。
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