第二話

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第二話

 ようやく長いキスを終えると、心配そうな顔でセルヴィが絃を覗き込んできたので、絃は無言でコクリと頷いた。  セルヴィは確かに初恋の人かもしれないけれど、こんな形で再会し、さらにはキスまでされたくなかった。何よりも絃の為の栄養補給という意味も分からない。 「そっか、初めてか。悪いことをしてしまったかな。誰か意中の人が居た?」 「居ない……けど……」  思いの外ショックだったようで、気づけば絃の目から涙が溢れ出した。そんな絃を見てセルヴィはギョッとしたような顔をして慌てて慰めるように抱きしめてくれる。 「ああ、泣かないで絃ちゃん。怖くない、怖くないから」  まるで子どもをあやすように絃の背中をポンポンと叩いてくれるセルヴィは間違いなくあの時の人だ。鼻をすすってセルヴィを見上げると、あの時と同じようにセルヴィは少しだけ微笑む。 「説明、して。どうしてあなたがここに居るの? あなたは誰なの?」 「それはさっき言ったと思うけど」 「あれだけじゃあなたの名前、年齢と人間じゃないって事しか分からない。私の栄養補給って何?」 「おかしいな。冴子から聞いてないの?」 「冴子? 冴子って、おばあちゃんの事?」 「そうだよ。君の事は全て冴子に話したんだけどな。何も聞いてない?」 「……聞いてない」  冴子というのは祖母の名前だ。両親が蒸発してからずっとずっと絃を育ててくれていた、たった一人の家族だ。そんな祖母をどうしてセルヴィが知っているというのか。  戸惑う絃にセルヴィも困ったように腕を組む。 「参ったな。冴子は本当に君に何も知らせてないのか。どこから話せばいいのかな。まず君はあの事故の時に本当は死んでたんだよ」 「……え?」  思ってもいなかったセルヴィの言葉に絃の涙は完全に引っ込んだ。今、何て言った? 絃はもう死んでいると、そう言ったのか? 「あの事故は君にとってとても怖かったと思う。何せ崖から落ちてそのまま濁流に飲み込まれてしまったんだから。僕が見つけた時には君はもう殆ど息をしていなかった。だから僕は君に痣を渡したんだ。お守りだよ、ってね。そうしないと君はそのまま死んでしまっていただろうから」  セルヴィの言葉に絃はうっすらと、すっかり忘れていたあの時の事を思い出す。  幼い頃、家族でハイキングに出かけて絃は崖から落ちたのだ。最後に見たのは崖を神妙な顔で覗き込む両親の顔だった。 「私……もしかして落とされた……の?」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。事故だったか故意だったのかは今となってはもう誰にも分からないよ」 「どうして? 二人共まだ生きてる――」 「死んでるよ。二人共もう居ない。絃にとって怖い人達はもうこの世のどこにも居ないんだ」  何故かはっきりと言いきったセルヴィが一体何を知っているのかは絃には分からないが、その先を知りたいともあまり思わない。  祖母と二人きりになった時も両親の事など何故か考えもしなかった。不思議にも思わなかった。その理由が今なんとなく分かった気がする。  絃は俯いて拳を握りしめた。震える拳をそっとセルヴィが握り締めてくる。 「こうなるから冴子には伝えておいてって言ったんだけどな。もしかしたら冴子も信じたくなかったのかもしれないな」 「……私だって信じてないよ。そんな話、突然信じられるわけない!」 「そうだろうね。でも君は本当にほぼ死んでいるし、僕の痣のおかげで今まで生きて来る事が出来たんだよ。何よりも僕達が人助けをするなんて滅多にない事なんだからね!」  まるで恩を売るかのようなセルヴィを睨みつけると、そんな絃を見てセルヴィが笑う。 「そんな目で見ないで。まぁ本当の所は僕にも打算があったんだよ。君に痣を預ければ、もう餌に困る事はないかなって」 「餌」 「そう、餌。君たち人間は僕たちにとっては餌でしかない。吸血鬼が人間を助けた理由なんて、それしか無いと思わない?」 「……」  はっきりと言い切られるといっそ清々しいが、面と向かってこんな事を言われても「ええ、そうですね」とはならない。 「このご時世ね、君が思ってるよりも僕たちは生きにくいんだ。だから仲間は大抵誰かを飼ってる。そうでもしないと食事にありつけないんだよ」 「だから私を見殺しにしなかったの? いつか飼う為に? だから両親を殺した?」 「いつか飼う為にってのは正解かな。でも君の両親を殺したのは――どうしてだったかな。もう忘れちゃった」  そう言ってにこやかに笑ったセルヴィを見て、絃の背中に冷たいものが流れ落ちる。セルヴィは本当に人間を餌だとしか思っていないようだ。 「それじゃあどうして今まで私を放っておいたの? 機会ならいくらでもあったでしょ?」 「あったね。でも僕は生憎、少女愛者じゃないんだ。今ぐらいの年齢が丁度良い。それも冴子に伝えておいたんだけどな。さては冴子、時期が来たら絃を隠すつもりだったのかな? うん、それはそれで楽しかったかもしれないね」  セルヴィはおかしそうに笑って絃の頭を撫でる。そんなセルヴィが怖くて仕方なかった。 「他にも何か聞きたい事はある?」 「……私の栄養補給ってなに? 私は餌なんでしょ?」 「さっきも言ったけど、君は僕の痣のおかげで今まで生きてたんだよ。その痣が無くなったら、毎日最低でも一回はさっきみたいに栄養補給をしないと君は動けなくなってしまう。餌が死んじゃったら僕の人助けも無意味になっちゃうからさ」 「つまり毎日さっきみたいなその、キ、キスをその、しないと私は死んじゃうって事?」  真っ赤になった絃の言葉に何故かセルヴィがはしゃぐ。 「そういう事。ねぇ、キスって単語だけでそこまで真っ赤になるの? どうしよう、嗜好生物って凄く可愛いな」  嗜好生物という単語が妙に引っかかるが、今はそんな事よりもこれからの事を考える方が先だ。  絃はそんな事を考えながらセルヴィから顔を背けたが、次の瞬間にはセルヴィにベッドに仰向けに押し倒されていた。 「ねぇ絃ちゃん、ちょっとだけ味見しても良い? 空腹でそろそろ限界なんだ」 「な、なに? 味見ってなにす――」 「吸血鬼が味見って言ったら一つしか無いと思うけど。大丈夫、すぐに気持ちよくなるよ」 「や、やだ! おばあちゃん、誰か! たすけ……っ!」  絃は何をされるのか分からなくてセルヴィを押し返そうとしたけれど、首筋に柔らかくて温かい物が触れる。そして次の瞬間、首筋に歯を立てられた。  何かを突き破るような痛みに背筋がゾクリとして頭の芯が痺れるような何とも言えない感覚に思わず絃が息を呑むと、首元で何かをすする音が聞こえてくる。それと同時に全身から力が抜けていく。  どれぐらいセルヴィに体を預けていただろうか。ようやくセルヴィは絃の首から顔を離して満足げに舌なめずりをした。 「うん、やっぱり生かしておいて良かった。ずっと楽しみにしてたんだ。君を食べるの」 「……」  そう言ってセルヴィは満足げに笑うが、絃はさっきよりも強い倦怠感と浮遊感で何も考える事が出来ない。そんな絃に跨ったままセルヴィは妖しい笑みを浮かべた。 「僕ばっかりが消費しちゃ駄目だね。君を最後まで味わい尽くしたいから大切にしないと」 「ん……」  無抵抗な絃にセルヴィは遠慮なくキスをしてきたけれど、絃の意識はまた途切れてしまった。
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