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冒険
其処は既に鏡の中だった。
パパのお土産の鏡は、やはり本物の魔法の鏡だったのだ。
(鏡よ鏡よこの世で一番美しいのは誰?)
心の中で叫んでみた。
(私の筈はないか?)
照れ笑いをしている筈の顔を見て、九歳の私が笑っていた。
そう。まだ九歳なのだ。そう、あれは確か十歳になる前日。
突然現れたお・ね・え・さんと冒険した。
小さな小さな冒険だと思っていた。
でもパパを探し出すための、大きな冒険だったのだ。
今改めて思う。
心の何処かに置き去りにして来た思い出が始まった事を。
小さな私と大きな私。
(正に運命の出会いだ)
そう思いながらも言えなかった。
私が未来から来た十年後のあなただって言うことを。
この時居なくなったパパは二十歳前夜までは帰って来ない。そんなこと言えるはずもない。
でも何故私はパパを忘れていたのだろう?
あの鏡の魔法なのだろう。それ以外考えられない。
あんなに大好きだったパパを、今の今まで忘れていたなんて。
チビを見て、パパがどんなに大好きだったかを思い出すなんて……
なんて罪作りな娘だったのだろう。
家の外に出てみる。
何時もの風景が其処には広がっている。
でも決して普通ではない。鏡の中では全てが反対だった。
当たり前と言えば、それまでだけど。
でもそれが厄介だった。
頭の中がパニックになる位大変な冒険だったのだ。
行方不明のパパの船を探すために海へと向かう。
パパは海の様子を確かめに行った後で行方不明になっていたのだ。
(そうだ、思い出した。私にはやはりパパがいたのだ)
私は鏡の中の海を見ながらパパに謝った。
鏡の中はさながら迷路のようだった。
あの階段を思い出す。
家の外に出る為には屋根裏部屋から二階へと続く収納階段を降りなければいけなかった。
(収納階段か……? そう言えば最近使っていなかった。だから懐かしく感じたたのか?)
私はパパの存在を確かにさっき感じた。
(パパ屋根裏部屋で又絵本を読んで……そうだ、そのためにも頑張ろう)
私はお・ね・え・さんとしての使命を果たそうと改めて誓った。
知っている道の反対を行く。それ以外方法はない。
解っているけど、頭がこんがらがる。私は自分で認識する程の方向音痴だったのだ。
「えーと、お茶碗を持つ方が左」
そう言いながら、お箸で食べる真似をする。
「お姉さん。それは右手だよ」
チビが素早く突っ込みを入れる。チビに指摘されながらも……解っていながらやってしまう。頭が悪いせいもあるけれど、鏡の中はやはり迷路だった。
徒歩で学校に通っていた頃までは右と左の区別はついた。でも自転車で左側を通行している内に解らなくなっていた。
それに追い討ちを掛けたのが自動二輪の小型免許を取得してからだった。右と左どっちを歩いているのか判断がつかなくなってきたのだ。
私の家は少し高台だけど海の傍だった。
パパとの記憶は忘れていたけど、海にはよく来ていた。それはきっとこの日のためなのかも知れない。
頭の中で整理してみる。でも出来るはずがない。
だから私は方向音痴だってことを隠して、チビに頼ろうと考え始めていた。それでも此処で私が頑張るしか道はないのだとも思っていた。
チビを頼りにしたいけど、きっと似たり寄ったりの事しか出来ないと思う。
だって、まだ右と左の区別がつく年齢だとしてもチビは元々私なのだから……
確証はないけど、十年前の私なのだから……
昼と夜ではいくら住み慣れた街中でも勝手が違う。まして此処は鏡の中なのだ。右左逆転だけでは済みそうもない。それでも行くしかなかったのだ。
鏡の世界に手間取りながら、どうにかこうにかたどり着いた海。
出来の悪い頭で必死になって考えた末に、やっとここまで来られたのだ。
十年前にお・ね・え・さんと探検した鏡の中にいたパパ。
詳しい経緯良くは覚えていない……
それでも……やはりパパの手掛かりは海しかないのだ。
だってパパは外国航路の船長なのだから。
パパは客船が海賊らしき船に襲われた事で、行方不明になっていたのだから。
(此処しか……この海しかない)
マジでそう思っていた。
まるで万歳のコントのような調子で、其処まで来た私達。
そんな二人を待っていた物は、小さな手漕ぎボートだった。
他には何もなかった。
「此処海だよね?」
私が言った。
「なんで海に船が無いの?」
私は震えていた。
「これで来いって言うことだねきっと」
珍しくチビが言う。
「そうみたいだね」
「パパ、きっと待っているね。早く行こうよ」
チビは積極的だった。
(チビ……アンタどうかしてる。だって泳げないんだろー)
そうなのだ。
私は泳ぎが超苦手だったのだ。
何時か行ったアトラクションだと思っていた。
そう遊園地の海エリアの……
だから楽しい思い出しか覚えていなかったのか?
(今日私達が助けに行くことをパパは知っているのだろうか? パパ解るかな私が……)
考えれば考えるほど怖くなる。
心配だった。
私がパパを忘れていたように、パパも私のことなど忘れてしまったのではないだろうかと。
いやパパは私のことなど知らないはずだ。
だってこの時代に私はまだ居ないのだから。
私ははしゃいでいるチビの目を避けるように、陰で泣いていた。
もっと心配なこと……
ボートが怖かった……
若草物語の女子会四人で遊びに行った湖でボートに乗ったことがある。何故か背筋が凍り付いた。まるで湖に引き込まれてそうに見えたからだった。私はそれ以来ボートが苦手になっていたのだ。
手漕ぎボートで荒海に乗り出す。
(どうせ鏡の中だ)
私は高をくくった。
(転覆なんてある筈もない)
そう思っていた。
その時にはもう相当の体力を使い果たしていたからだ。それはやはり方向音痴のせいだった。全てが反対の鏡のせいだけではなかったのだ。
遠くに船らしき物が見える。
必死にオールを漕ぐ。
でも行く手を遮るかのように何かが近づいて来た。
その背鰭に私は腰を抜かした。
(サメだ!)
恐怖のあまり私はパニックになった。
でもそれは良く見ると、イルカだった。
私達の行動を邪魔でもするかのように、イルカ達が遊んでいた。
「わぁーイルカだー!!」
思わず大きな声を出してはしゃいだ私。
(ヤバい! どうしょう、気付かれる)
そう思った。
(パパを助けに行くんだ。気付かれないようにこっそりやらなきゃ意味がない)
私は肝に命じた。
「シッ!」
私は人差し指を唇に近付け、イルカの群れを追い払おうとした。
その時だった。
イルカが一斉に暴れ出しボートはひっくり返り、船底を晒した。
私はチビを抱いたままで、それに這い上がった。
それを見つけたイルカが遊ぶ。
私は青白い顔を海に写していた。
バスルームでの水鏡が脳裏をよぎった。
(この暗示だったのか!? 引き込まれたら……。パパを助けに行けなくなる!?)
私は祈るような気持ちでイルカを見た。
イルカは図に乗ったらしく悪戯根性むき出しに近付いて来る。
(あれっ……? 十年前……転覆したっけ?)
思い出せない……
私は腕に抱えていたチビに気付いた。
チビはまだ眠っていた。
(えっ!?)
私は呆然としたまま、暫くそのまま固まっていた。
(そうだよね。急に起こされて眠いよね)
私は本当のお姉さんになったような心持ちでチビを見つめていた。
(もう駄目かも知れない)
そんな思いが脳裏をかすめる。
それでもヤケクソだった。
体当たりしてきたイルカの背鰭に手を伸ばした私。
でもそのお陰で、あの船の目の前に流されていた。
チビはまだ眠っていた。
でも本当は……
気を失っていたのかも知れない。
チビもやはりボートが怖かったのだろうか?
楽しい思い出。
だった。
お・ね・え・さんとの出逢い。
冒険。
それは、きっと楽しいことしか記憶して居なかったからなのだろう。
十年後の冒険に、出発させるために……
神様がチビに魔法を掛けたのだ。
そう思った。
イヤ違う……
チビは眠たかっただけなのだろう。
何しろ、この私に突然起こされたのだから。
「よしよしお休み」
私はこの時、母にも似た気持ちになった。
私のせいで気絶したように眠るチビ。
暫くそのままにして置こうと思った。
(でも何故私は全部忘れていたのだろう? 何故私は屋根裏部屋まで忘れていたのだろう?)
不思議だった。
楽しい思い出だったと、何故今言えるのかと……
手を伸ばせばその船に乗れると思っていた。
ところが、甲板に上がれる物は何もなかった。
(もう助からない!)
そう思った瞬間。
船の側面にロープに繋がれたゴンドラのような物が揺れているのを見た。
両端をロープて括った、一言で言うと大きなブランコみたいな物だった。
(助かった。これはきっと荷物の上げ下げに使うとね。でも良く考えてあるな)
私は関心しながら、まずチビをそのうえに乗せた。
現実だと認識していないせいか、何でも出来た。
ウンテイや棒登りはは苦手だった。
それでも必死に上を目指した。
良くビル掃除の時に使われるゴンドラ。
チビと二人で上がって行く。
でもチビはまだ眠っていた。
知らなかった。
お・ね・え・さんがこんなに苦労をしていたなんて。
私はただお・ね・え・さんに守られて……
眠っていた。
私はチビを船に乗せるために頑張った。眠っているチビの体は小さいくせに重かった。きっと無防備に力を抜いているからだろうと思った。
次は私の番だ。私は腕を思いっきり船の縁に掛けた。
その時体が浮き上がったように思えた。
(えっ!?)
私はその時、何か凄い力を感じた。勿論、それが私の力ではないことは解っていた。
それでも、その力で私の体は船に這い上がれることが出来たのだった。
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