102人が本棚に入れています
本棚に追加
5
パパはあいかわらず、ママに任せっきりだ。ママがいちおう報告はしているけれど、父親としてその態度はどうなんだ。ただ聞くだけで、うんうんと相槌をうつなら近所のおじさんといっしょだ。ねえちゃんが母親になろうとしているのに、それじゃあ示しがつかないだろう。
ぼくとしては、ママみたいに親の責任というものをちゃんと見せてほしいのだ。ねえちゃんを心配して、ねえちゃんのために怒って、病院やら役所やらを駆けずり回るような姿を。
ねえちゃんのために、本気で泣くような姿を。
ママに全部押し付けて、一人こそこそと逃げ腰の父親の姿は見たくない。家族の顔色をうかがうような父親は見たくないんだよ。ねえちゃんだってそうなはず。
「いいのよ、アレは」
ママは放棄している。
「お金だけ出してればいいの。それしか価値がないんだから」
ママ、きびしい。パパ終わってるな。でも現実に、いろんなことを相談しなくちゃいけないのに、それはパパ抜きである。いまや完全に部外者扱い。
このままじゃ、家に帰ってこなくなるんじゃないかな。本気でぼくらを見捨てるかもしれない。身重のねえちゃんすらも。
いや、そんなのゆるしちゃダメだ。親としての責任を全うしてもらわないと。
夏休みに突入した。暑さに拍車がかかる。
――先生、人生相談です。
――この先どうなら楽ですか。
――そんなの誰もわかりはしないよ、なんて言われますか。
(引用 「ヒッチコック」ヨルシカ)
そんな歌詞が心に刺さる。
感動とは違う刺さり方。身につまされる刺さり方だ。誰か正解をください。
「こらー。そんなの飲まないの」
ねえちゃんが冷蔵庫の前に立って、モンスターエナジーをぐびぐびと飲んでいる。ねえちゃんはモンスターエナジーが好きだ。たぶん一日一本飲んでいる。部活もしていないし、勉強だってたいしてするわけじゃないのに、エナジー補給いらないだろ。
「エナジー必要よ。赤ちゃん育てているんだから」
開き直った。
「赤ちゃんは美結が食べたもので育つんだから、体にいいもの摂らないとダメよ。黄色い赤ちゃん産まれたらどうするの」
ママがおそろしいことを言う。ねえちゃんは眉間にしわをよせて、しばらくじっと缶を見ていたけれど、そのまま冷蔵庫に戻した。
信じたんじゃないだろうな。
「そ、そうだよね。ちゃんと栄養のあるものにしないとね」
「そうよ。冷たいジュースばっかり飲んでちゃダメよ。飲むんなら麦茶にしなさい。百パーセントジュースとか」
「う、うん。わかった」
ママが腹巻みたいのを買ってきて、ねえちゃんはそれをしている。ちょっと堅めの腹巻、あるいはやわらかめの腰痛コルセットみたいなやつだ。妊婦の大きくなったおなかをささえるんだそうな。
そんなものがあるんだな。
「これからもっと大きくなるんだから、腰に負担がかかるのよ」
もろもろバレて気が緩んだせいか、一気におなかが大きくなった気がする。今でも十分大きいが、もっと大きくなるのか。妊婦大変だな。
ねえちゃんはここ何日か、赤ちゃんのエコー写真や書き込んだ母子手帳をぼうっとながめてすごしていた。書き込んだ文字は、まるっとしたいかにも女子高生な文字だ。母子手帳には不似合いだ。
「アプリにすればいいのに」
おいおい。いや、ありか? もう誰かが開発しているかもしれない。
父親の欄は空白だ。
「ママ」
夏休みに入って一週間ほどたった晩、夕飯を食べながらねえちゃんがママを呼んだ。
「あのね」
ああ、決めたんだな。そう思った。
「赤ちゃん、自分で育てたい。迷惑かけるけど」
ねえちゃんは、まっすぐにママの顔を見つめた。そうか。ねえちゃんはママになることを選んだのか。ふしぎなことに、ぼくはなんの抵抗もなくすんなりと受け入れた。
「そう」
ママの声も穏やかだ。
「ママもできるだけ手伝うから。大変だけどがんばろうね」
「うん」
ねえちゃんは素直にうなずいた。
ねえちゃんが写真や手帳を見る顔つきで、ぼくもママもなんとなくわかっていたのかもしれない。
「ぼくも、できることがあったら手伝うよ」
そう言ったらねえちゃんは、ははっと笑った。
「あんたは受験に専念してよ」
もちろんそのつもりだが、余裕があるかもしれないし。
「なるべくじゃまにならないようにするから」
そう言ったねえちゃんにぼくは胸をはった。
「それくらい余裕だよ」
翌日、ねえちゃんとママは学校へ行って、通信制への編入の手続きをした。
最初のコメントを投稿しよう!