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 パパはあいかわらず、ママに任せっきりだ。ママがいちおう報告はしているけれど、父親としてその態度はどうなんだ。ただ聞くだけで、うんうんと相槌をうつなら近所のおじさんといっしょだ。ねえちゃんが母親になろうとしているのに、それじゃあ示しがつかないだろう。  ぼくとしては、ママみたいに親の責任というものをちゃんと見せてほしいのだ。ねえちゃんを心配して、ねえちゃんのために怒って、病院やら役所やらを駆けずり回るような姿を。  ねえちゃんのために、本気で泣くような姿を。 ママに全部押し付けて、一人こそこそと逃げ腰の父親の姿は見たくない。家族の顔色をうかがうような父親は見たくないんだよ。ねえちゃんだってそうなはず。 「いいのよ、アレは」  ママは放棄している。 「お金だけ出してればいいの。それしか価値がないんだから」  ママ、きびしい。パパ終わってるな。でも現実に、いろんなことを相談しなくちゃいけないのに、それはパパ抜きである。いまや完全に部外者扱い。  このままじゃ、家に帰ってこなくなるんじゃないかな。本気でぼくらを見捨てるかもしれない。身重のねえちゃんすらも。  いや、そんなのゆるしちゃダメだ。親としての責任を全うしてもらわないと。  夏休みに突入した。暑さに拍車がかかる。 ――先生、人生相談です。 ――この先どうなら楽ですか。 ――そんなの誰もわかりはしないよ、なんて言われますか。     (引用 「ヒッチコック」ヨルシカ)  そんな歌詞が心に刺さる。  感動とは違う刺さり方。身につまされる刺さり方だ。誰か正解をください。 「こらー。そんなの飲まないの」  ねえちゃんが冷蔵庫の前に立って、モンスターエナジーをぐびぐびと飲んでいる。ねえちゃんはモンスターエナジーが好きだ。たぶん一日一本飲んでいる。部活もしていないし、勉強だってたいしてするわけじゃないのに、エナジー補給いらないだろ。 「エナジー必要よ。赤ちゃん育てているんだから」  開き直った。 「赤ちゃんは美結が食べたもので育つんだから、体にいいもの摂らないとダメよ。黄色い赤ちゃん産まれたらどうするの」  ママがおそろしいことを言う。ねえちゃんは眉間にしわをよせて、しばらくじっと缶を見ていたけれど、そのまま冷蔵庫に戻した。  信じたんじゃないだろうな。 「そ、そうだよね。ちゃんと栄養のあるものにしないとね」 「そうよ。冷たいジュースばっかり飲んでちゃダメよ。飲むんなら麦茶にしなさい。百パーセントジュースとか」 「う、うん。わかった」  ママが腹巻みたいのを買ってきて、ねえちゃんはそれをしている。ちょっと堅めの腹巻、あるいはやわらかめの腰痛コルセットみたいなやつだ。妊婦の大きくなったおなかをささえるんだそうな。  そんなものがあるんだな。 「これからもっと大きくなるんだから、腰に負担がかかるのよ」  もろもろバレて気が緩んだせいか、一気におなかが大きくなった気がする。今でも十分大きいが、もっと大きくなるのか。妊婦大変だな。  ねえちゃんはここ何日か、赤ちゃんのエコー写真や書き込んだ母子手帳をぼうっとながめてすごしていた。書き込んだ文字は、まるっとしたいかにも女子高生な文字だ。母子手帳には不似合いだ。 「アプリにすればいいのに」  おいおい。いや、ありか? もう誰かが開発しているかもしれない。 父親の欄は空白だ。 「ママ」  夏休みに入って一週間ほどたった晩、夕飯を食べながらねえちゃんがママを呼んだ。 「あのね」  ああ、決めたんだな。そう思った。 「赤ちゃん、自分で育てたい。迷惑かけるけど」  ねえちゃんは、まっすぐにママの顔を見つめた。そうか。ねえちゃんはママになることを選んだのか。ふしぎなことに、ぼくはなんの抵抗もなくすんなりと受け入れた。 「そう」  ママの声も穏やかだ。 「ママもできるだけ手伝うから。大変だけどがんばろうね」 「うん」  ねえちゃんは素直にうなずいた。  ねえちゃんが写真や手帳を見る顔つきで、ぼくもママもなんとなくわかっていたのかもしれない。 「ぼくも、できることがあったら手伝うよ」  そう言ったらねえちゃんは、ははっと笑った。 「あんたは受験に専念してよ」  もちろんそのつもりだが、余裕があるかもしれないし。 「なるべくじゃまにならないようにするから」  そう言ったねえちゃんにぼくは胸をはった。 「それくらい余裕だよ」  翌日、ねえちゃんとママは学校へ行って、通信制への編入の手続きをした。
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