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 うちにかかわらなくて結構! と突き放したのだが、意外なことに和馬がここで男気を発揮した。(いや、おそいが) 「せめて形だけでも責任を取らせてくれ」  と頭を下げるので、認知することだけはゆるしてやった。 「別にいらないけど、あんたが泣いて頼むからしょうがなく認めてやるのよ」  ねえちゃんは腕組みをして仁王立ちでそう言った。和馬は泣いたわけじゃないんだけど。 「わたしは翔と二人で生きていくから、あんたはじゃましないでよね」  和馬はおとなしく、ハイと言った。母は強し。  一度だけ翔を見せてやった。急に父親面されても困るのだが、やっぱり一度きりじゃあ、実感がわかないみたいだ。抱っこさせてやったけれど、おろおろするばかりだった。  おなかが大きくなっていく過程や出産の準備、お産がはじまったときの右往左往なんかをいっしょに体験しないと父親の実感てないんだろうな。  妊娠が発覚してからの一連の騒動を思い出しながら、ぼくは思った。たぶん和馬よりぼくのほうが父親に近い気持ちを持っている。  パパは、翔がかわいくてしかたがない。「目に入れても痛くない」というやつだ。仕事が終わると速攻帰ってくる。甲斐甲斐しくおふろだおむつだと世話を焼く。休みの日には喜んで離乳食をあげる。  ママはそれをどこか冷めた目で見ている。今までぼくらを放っておいて、急にいいおじいちゃんぶってもね、とママが言った。ぼくもそう思う。 「使えるものは使えばいいのよ。お金も出してもらわなきゃ困るしね」  翔の面倒を見てもらいながらも、ねえちゃんも冷ややかだ。看護学校を出るまでは、パパが面倒を見る。晴れて看護師になったら、自立する予定だという。しっかりしたな、ねえちゃん。  無理に出て行かなくてもいいのに。ママもパパもそう言う。ぼくもそう思うけれど、ねえちゃんいわく散々迷惑をかけた「けじめ」なのだそうだ。  だいたいこの先ママはどうなの? パパをゆるしたの? 「父親としてはゆるすけれど、夫としてはゆるせないわね」  そういうものか。ぼくはだいぶパパとはふつうに話せるようになったけれど、ママとパパの間にはいまだに壁が立ちはだかっている。  パパは、ママが築いた万里の長城並みに強固で巨大な壁の前を、どこかに隙はないかとずっとうろうろしている。たぶんそんなものはどこにもない。パパもわかっているはず。  パパ。ベルリンの壁は壊れたけれど、万里の長城は壊れていないぞ。  ママは離婚を考えているんだと思う。今は猶予期間だ。ぼくとねえちゃんと翔。三人になにかしらの目途がついたら離婚は執行される。その「Xデー」がいつであるかは、ママが決めることだ。  パパがいくらかわいそう面を下げてうろつこうが、ママの意思は壁くらい強固だ。たとえ富士山が噴火しても、首都直下地震が起きても揺らがない。  それでもなお、そのうちどこかにすき間ができるんじゃないかと、一縷の望みをかけてパパはさまよう。
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