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最終話
男ってバカなのかな。パパにしても和馬にしても。
嫌われて当然のことをしておいて、あとから後悔して頭を下げる。ゆるすわけないだろう。ぼくは女心をわかっているわけじゃない。でもそれくらいはわかる。
ねえちゃんはたくさん泣いた。ママは泣くことすらあきらめた。きっとぼくが知らないところでたくさん泣いたはず。
「お金だけ出してくれればいいわ」
もしかしたらゆるしてもらえるんじゃないか。パパがそんな望みを持つ程度に、思わせぶりな態度をとって、ママはねえちゃんと同じこと言った。そうして着々と来る「Xデー」に向けて準備を進める。女ってしたたかだ。
高校で同じクラスになった佐倉さん。ちょっとかわいい。ちょっと気になる。カノジョになってくれたらうれしいなって思う。
「おまえのおねえさんに似てるよね」
淳が言った。そんなことは断じてない。似てない、絶対。……たぶん。
もし佐倉さんがカノジョになったら、ぼくは何があっても佐倉さんを泣かせない。
高校に入って、ぼくと淳は引き続きバトミントン部に入った。入ってすぐの高総体の地区予選は一回戦敗退。
「やっぱ、ちょうどいいよな」
午前中で試合が終わり、ヒマを持て余した午後、スマホゲームをしながら二人でそう言って笑った。
あと三日で夏休み。自転車通学のぼくと淳は、汗をかきながら家にむかってペダルを漕いでいた。幹線道路をはずれ、小さな川を渡ったところでじゃあな、と手を振って右と左に別れた。
ぼくは川沿いの道を、鼻歌を歌いながら自転車を漕いでいく。
――先生、人生相談です。
――これでも、ほんとにいいんですか。
――このまま生きてもいいんですか。
――そんなのきみにしかわからないよ、なんて言われますか。
(引用 「ヒッチコック」ヨルシカ)
教えてくれる先生はまだ見つからない。ずっと見つからないのかもしれない。なにしろニーチェもフロイトも教えてくれないんだから。
――青空だけが見たいのはわがままですか。
「わがまま、上等ぉ!」
突然、わけのわからない衝動にかられて叫んだ。やけくそ気味に出した大声が、なんの引っ掛かりもなくすんなりと喉から出たのに、自分で驚いた。
ここ数か月、ガラガラだったぼくの声は、変に裏返ったりしない、ちゃんとした若い男の声になっていた。
ぼくの声変りは完了したようだ。
気づいたらちょっとうれしくて恥ずかしかった。
言ってみたいことばがある。立ち漕ぎに変えて勢いをつける。すうっと目いっぱい息を吸い込んだ。それから一気に吐き出した。
「俺ぇーーー!」
ずっとあこがれていたんだ。ちょっと大人になった声で言ってみたかった「俺」。
すれ違う人々がビクッと跳ねてぼくを見る。たぶん中二病の痛いヤツだと思われたんだ。かまうもんか。
いつのまにか、ぼくの目の高さはねえちゃんとママと同じになっていた。もう家族で一番のチビじゃない。
ぼくは大人に一歩近づいたんだ。
……でも、ぼくはママのためにもう少しだけ子どものふりをする。
汗まみれのぼくは、やけに晴れ晴れとした気分で、刻々と濃くなっていく茜色の空にむかって、力いっぱいペダルを踏んだ。
おしまい
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