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 ものすごい剣幕でママが怒った。でも中学生、高校生が想像できる命なんて、犬や猫がせいぜいだ。人の生死なんて身近にある事じゃない。お葬式だって出たことがないんだもの。  交通事故で死ぬかもしれない。災害で死ぬかもしれない。そう言われても、ママやパパやねえちゃんが、あるいは学校の友だちが死ぬことなんて想像もできない。 「やだあ」  ねえちゃんは子どもみたいに、わんわんと泣いている。鼻水と涙でぐじゅぐじゅだ。  怖かったんだろうな。誰にも言えなくて、日に日に大きくなるおなかを抱えて、どうすることもできずにただ見ているしかできなかったんだな。  今日、ぼくが気づいてよかった。 「向こうのおうちとも話し合って、これからのことを決めないと」 「こ、これから?」  ぐじゅぐじゅの顔でねえちゃんが聞いた。 「そうよ! あんた、十七才でシングルマザーになるの?」  ……シングルマザー? きょうは別世界のワードがぽんぽんと飛び出すな。 「けっ、けっ、けっ」  ……ねえちゃん。 「結婚ってこと?」  ママはムッとして、つっけんどんに答えた。 「そうよ」  聞いたねえちゃんは、また盛大に泣きはじめた。 「やだあ」  いやなのかよ。しょうがないか。高校生だもんな。学校辞めて、結婚して子ども産む。学校辞めるのか? 高校中退? マジか。さっきまでの常識が覆されていく。高校中退っていったらあれだ。ヤバ目の高校に入ったヤバ目のやつが、ヤバ目の人たちとつるんでフェードアウトしていくやつ。新宿あたりにたむろしているやつら。  マジ? ねえちゃん、そのカテゴリーに入るの?  高校卒業して、大学に行って、どこかの会社に就職して、結婚して子どもが産まれる。  それがフツーだろ?  ねえちゃんはフツーじゃなくなる。その弟のぼくもフツーじゃなくなるのか?  不倫して家庭を顧みないパパもフツーじゃないのか?  じゃあ、うちはフツーの家庭じゃないのか。  え? フツーってなに。 「ごめんね、こんなになるまで気がつかなくて」  ふいにママが言った。えずきながらねえちゃんが顔を上げた。 「どうするのが一番いいのか、ちゃんと考えよう」  泣きながらねえちゃんはうなづいた。ぼくはなにをすればいいんだろう。  ぼくは無力な子どもだ。きょうはじめて思い知った。 「ただいま」  突然声をかけられて三人とも飛び上がった。パパが帰って来た。こっちの話に気をとられて気がつかなかった。  パパはリビングのドアに手をかけたままつっ立っていた。  もう十一時を過ぎていた。 「……どうしたんだ」  しゃくりあげるねえちゃん。半泣きで青ざめたママ。ことばをなくしたぼく。この惨状にパパも呆然としていた。  ぼくはママの顔を見た。どうしよう。なんて説明すればいいんだ。ママは気持ちを落ち着かせるように、ふうっと息を吐いた。 「美結が妊娠した」  そう聞いてもパパはしばらく動かなかった。 「え?」  聞き返したパパの顔はひどく間抜けに見えた。この中で、パパだけが異質だった。完全なる部外者。 「美結が妊娠した」  ママはもう一度言った。
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