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6
「はあ? うそだろ?」
パパは素っ頓狂な声をあげて、ねえちゃんをまじまじと見つめた。
「うそだろ?」
もう一回言って、今度はねえちゃんのおなかを見た。ねえちゃんは片手でおなかをかばうように抱えていたけれど、ぽっこりは十分見てとれた。
パパはしばらく呆然としたあと
「ちゃ、ちゃんと調べろよ」
目をそらしてそう言った。
「なにかの間違いかもしれないし」
そのまま「あー、暑かった」なんて言い訳めいたこともごもごとつぶやきながら、二階へ行ってしまった。ママとねえちゃんとぼくを残して。
ぼくらはその場に立ちつくすしかなかった。
うそだろ。
今度はぼくがつぶやいた。この期に及んで逃げるのか。自分だけ。
置き去りにされたねえちゃんの涙は止まってしまった。ママの深いため息は、あきらめというには切なすぎた。
パパ。
いや。
クソオヤジ。
死ねよ。
朝起きたらあごが痛かった。口が開かない。無理に開けようとすると、ごりっと音がして激痛が走った。ぼくは口を開けるのをあきらめて、かろうじて開いた一センチほどのすき間で今日一日過ごすことにした。だいじょうぶ。水は飲める。
よく眠れず、ともすれば吐きだしそうになる悪態を、歯を食いしばって耐えていたせいだと思う。
人生で初めて、眠れない夜を過ごした。いつもはベッドに入ると次の瞬間には朝になっているのだが。タイムリープしているんじゃないかと常々思っている。
それが、夕べは腹が立ったりくやしかったり、ねえちゃんの行く末を案じたりで、いつになっても眠気はやって来なかった。ベッドの上で、あっちへごろごろ、こっちへごろごろ。そろそろ夜が明けるだろうと、何度思ったことか。ところがいつになっても部屋の中は暗いままだ。この部屋だけ時間が止まっているんだ、きっと。
気を紛らわそうとユーチューブを見たりしたけれど、全然気は紛れないくせに動画もイマイチおもしろくなかった。いつもは大笑いするゲームの配信すらクスリとも笑えない。動画は視界を滑っていくばかりだった。一時間ほど見て、スマホの電源を切った。
部屋の中が薄明るくなったころ、やっとすこしまどろんだ。
朝の食卓にはいつもどおりの朝食がならんでいた。ただそれはぼくとねえちゃんと、クソオヤジの三人分。ママの分は? と聞きたかったけれど、ママの醸し出す空気に恐れをなして聞けなかった。クソオヤジと同じテーブルにはつかない、と決めたのかもしれない。
クソオヤジは、ものすごい勢いでごはんと味噌汁だけをかき込むと、「いってきます」と席を立った。いつもの時間よりもずいぶんと早い。「そそくさ」のお手本みたいだった。
ぼくもママも「いってらっしゃい」とは言わず無言のまま背中を睨みつけた。
すぐにねえちゃんがリビングへ降りてきた。たぶんクソオヤジが家を出ていくのを待っていたんだろう。ちらっと顔を見たら、ひどく目が腫れていた。一晩中泣いていたんだろうな。ちょっとかわいそうになった。
いや。自業自得だが。
ママの目も腫れている。夕べこの家で眠ったのはクソオヤジだけだろう。
「美結」
もすもすとごはんを嚙んでいるねえちゃんをママが呼んだ。
「きょうは学校休んでね」
ねえちゃんは箸を持ったままぴくっと動きを止めた。
「……病院に行くの?」
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