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今日もまだ会えなかった。本当にこの街で合っているのだろうか。情報は多方面から収集してきた。大丈夫この街にいる。
ビジネスホテルでの生活を、出来るだけ休日のたびに繰り返してきた。もう明日には帰らなければならない。何としても明日の昼までに会わないと、約束を叶えられない。
母が逢いたいと願ったのは、幼なじみで初恋相手の公原潮海さん。
「潮海君は、どうしているかしら」
義父と実母の介護から解放された母は、葉桜の脇の道を俺と散歩している時にぽつりと言った。
「誰なの、しおみ君て」
母は笑顔で俺を見つめた。こんなに優しい笑顔を見せてくれたのは何年ぶりだろう。こちらもつられて笑顔になる。
「お母さんが子どもの頃にずっと一緒だったの。隣の和菓子屋の息子で。しおみは満潮の潮に海って書くの。私が小6まで住んでいた家の前には海が広がっていたの。どうしているかしらねえ、また2人で海を見たいわ」
母の笑顔が、言葉が息子の俺の心の奥深くを刺激した。母のとびきりの笑顔が見たい。
「母さん、もうすぐ母の日でしょ。俺が潮海さんを探す。それが母の日の贈り物って事で良いかな」
「えっ、章典が潮海君を探してくれるの? 」
笑顔で頷く。母の人生に彩りを添えてくれるのは潮海さんだと思った。出来るだけ毎週土・日に探していてようやく5月11日。母の日の前日に大きな手がかりがあった。
残念ながら母の実家は壊されていて、隣の和菓子屋もなくなっていた。そこ周辺で話をするうちに年配の方々と親しくなって情報をもらった。
「似ているね若恵ちゃんに」
何人かに言われて母似を実感した。早く母に潮海さんと逢わせてあげたい。
ホテルを出て電車で2駅。この駅前にある和菓子屋だというので探した。かなり広い商店街の真ん中辺りにあった。
お客は俺の他に年配女性と夫婦が1組でどちらとも知り合いらしく、カウンター越しで店名の入った白衣の女性と話している。
「いらっしゃいませ」
店の奥にいた男性が俺に声をかけた。母から、今もあるか分からないけれど、あれば購入してきてほしいと言われたお饅頭の名前を伝え探してもらう。
「申し訳ございません。今は製造していなくて。あっでも店主に確認いたします。そちらに掛けてお待ち下さい」
カウンターの女性と今の男性は夫婦のような印象だった。案内された椅子で待っていると、母と同年代の男性が、お茶とお団子を2本お皿二のせて運んで来てくれた。
「お客様お待たせ致しました。お探しの商品は先代の私の父が生み出した饅頭で今は製造しておりません。どなたからかお聞きなのでしょうか」
あぁこの方が公原潮海さん。母の幼なじみで初恋の。頭を整理してゆっくり話す。鞄の中から1枚の絵ハガキを出して手渡した。
「これは・・・・・・」
「私、旧姓木条若恵の息子で章典と申します。母が公原さんにお逢いしたいので探してほしいとの願いを口にしましたので」
俺が潮海さんに見せたのは、母が転校する日に貰った潮海さんが描いた絵ハガキ。
「若恵ちゃん持っていてくれた」
そう言うと、俺に団子を食べてと手で伝える。目が潤んでいた。
「私も逢いたいです。どちらかに御宿泊ですか」
2駅向こうのビジネスホテルで、明日チェックアウトすると伝えた。
「そうしたら、明日また来ていただけますか。父の味を再現して饅頭作って、私も一緒に行って若恵ちゃんに直接逢ってお渡し致します」
店一番の人気の大福を別れ際に貰い、俺は母の電話番号を教えた。
「ありがとう、ありがとう」
店の外まで出て手を振りながら言ってくれた。
「多分、緊張して昔みたいに話せないから。でも、今後の為に電話番号登録します」
笑っていた潮海さん。俺は逢ってもらえない事を考えていたので拍子抜けしてしまった。
駅に到着して電車をホームで待つ間、大福を食べた美味しかったので母に購入して行こうと思った。その夜は寝つきが最高だった。
翌朝チェックアウトして潮海さんに連絡。昼過ぎに、との事なので2人の実家のあった街へ行き、お話した方々へ気持ちばかりの品を渡すと、若恵ちゃんと遊びに来て、という声を何人からか頂戴した。
13時頃、店の前まで来ると白衣姿ではない潮海さんが立っていた。
「年甲斐もなくドキドキしてしまって。1人の女性を思い和菓子なんて作った事なくて。電車まで少しありますよね、中に入って下さい」
昨日の男女が俺と御挨拶。潮海さんが写真を見せてくれた。母の子どもの頃の写真を見たのはいつ以来だろう。
「父さん、そろそろ時間」
息子に声をかけられた潮海さんが腕時計を見た。まだ時間に余裕はあるけれど駅へ向かって歩いた。
「本当にありがとう。私なんかを思い出してくれた若恵ちゃんに感謝しなくては」
良い人だ。心の底から良い人だと思った。特急の切符を2人分購入してくれた。本当は普通電車で帰ろうとしていたけれど。
「私の分はお渡しします」
「いや払わせて下さい。私からの感謝の気持ちです。かなり時間と色々かけて探していただいたんでしょう。その経費の一部にしかならないと思いますが、このくらいはさせて下さい」
母が駅で待っていてくれた。家で待っていてと言ったのに、潮海さんが俺と撮影した写真を送信していたらしく、いてもたってもいられなくなったと言った。
「若恵ちゃん」
「潮海君、本当に私の目の前に潮海君がいる」
2人は車内で色々とお互いの人生を語り教えあっていた。家に到着して、潮海さんが紙袋を母に手渡した。
「これ、若恵ちゃんが大好きだった御饅頭。もう親父と交代してから製造していなくて。今回、章典君から若恵ちゃんが食べたいって言っているって聞いて再現してみた。味は親父のと少し違っていたら勘弁してほしい」
食卓に紙袋を置いて、そっと包みを取り出す。
「潮海君、立派になりましたね」
「いやいや、若恵ちゃんも立派だよ」
いまで3人で御饅頭の他、潮海さんが持参した店のおすすめの、おかきや煎餅などもお茶の友となった。
「緊張しますね何か」
「しなくても良いのよ、私と息子しかいませんから。足も崩して楽にして下さいね」
母の日のプレゼント。途中で購入したカーネーションを母が窓際に飾ってくれた。
「良い息子さんだね章典君は」
母はお饅頭を口にしながら涙ぐんでいた。そして頷いてから潮海さんを見た。
「これ、おじさんの味よ。再現出来ているわ」
「本当ですか。章典君が若恵ちゃんが食べたいって言っているって聞いて、慌てて仕込みして。でも嬉しかった。よく海辺で2人で食べていて他の奴に茶化されて」
「そうね。2人で海に飛び込んだわ」
2人で笑っていた。母が声を出して笑っている。茶化され誰かに飛び込めと言われ飛び込んだと母が教えてくれた。
「潮海君は泳ぎが苦手で。助かったけれどお互いの親に怒鳴られて.でも良い思い出」
頷いた潮海さんが母をハッとした顔で見た。
「あの海に飛び込んだ時に拾った石ある? 」
母は天井に視線を向け考えるようにしていたけれど、しばらくして首を振った。
「何だったかしら潮海君」
「ほら、海の中で俺を助けてくれた時、若恵ちゃんが浮いている石を見つけて。割って2人で持ち続けていれば、いつかは逢えるって海の中から聞こえたって教えてくれて。2人で歪に割れた石をずっと持っていようって」
母は今度は俯いてしまった。どうか母が思い出しますように。ひたすら団子を食べて待ち続けていた。痺れを切らした潮海さんが、鞄の中から透明ケースに入った石を取り出す。
「あっ、その石」
母は慌てて2階に駆けあがって行き、和柄の古びた巾着を持って来た。その中に石。
「裏、見せ合おう。若恵ちゃん」
潮海さんの石に母の名前、母の石には潮海さんの名前が書かれていた。何回も書き直した形跡があった。
それぞれの石を合わせたら、眩いばかりの光が飛び出し2人を包み始めた。
(了)
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