アレクサンドラ王女

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アレクサンドラ王女

 *  イライラする。何もかもが思いどおりのはずなのに、何かが足りない。満たされない。  マネルーシのアレクサンドラ王女は、ここ最近ずっと気が立っていた。  気に入らない元婚約者を野蛮な隣国へ追いやり、見目麗しい新たな婚約者はアレクサンドラの望みのまま。彼女がどんな我儘を言おうと笑顔で受け止めてくれる。誰がどう見ても幸せそのもののはずだった。  ガチャン! 「なによ、このお茶は! 苦いったらないわ! この私にこんなものを出すなんて!」  敷き詰められた絨毯に、紅茶のシミが広がっていく。 「も、申し訳ございませんっ」 「淹れ直してきなさい、すぐによ!」 「はい、かしこまりましたっ」  メイドの一人が後片付けを、もう一人が慌てて部屋を出て行く。お茶を淹れ直すためだ。  ふかふかの絨毯で、落ちたカップは無事である。それが、不幸中の幸いだった。このカップは、アレクサンドラのお気に入りなのだ。  しかし、そんな大切なカップを薙ぎ払ってしまうくらい、彼女の心は荒んでいた。 「ったく、どいつもこいつも使えない」  王女らしからぬ言葉を呟き、表情を歪める。  何が足りないのか。何故満たされないのか。  目を背けていても、彼女にはわかっているのだ。  ただ、見たくないだけ。自分の決定が誤っていたと認めたくないだけ──。 「グレンが悪いのよ。いつも困ったような顔しかしないし、エスコートやプレゼントも、婚約者として必要最低限だし。それに、ホレスと一緒にいても、どれだけ仲睦まじい姿を見せても、全く心を乱さないし! 私を愛しているなら、ホレスと敵対してでも私を力づくで奪ってくれるはずでしょう!?」  アレクサンドラは、いつも冷静で穏やかなグレンが気に入らなかった。婚約者として最低限のことはしてくれるが、それだけ。決して愛してはくれないのだ。  アレクサンドラは、奪い奪われるような激しい恋に憧れていた。それをグレンに求めていたのに、満たされることはない。  それならばと、婚約者をホレスに挿げ替えた。  ホレスは、アレクサンドラの望むことをしてくれる。演劇やコンサート、豪華なディナー、アレクサンドラを頻繁にデートに誘い、毎日のように贈り物を届ける。会えばいつも甘く愛を囁き、アレクサンドラを蕩けさせる。  ホレスと会っている間、アレクサンドラは満たされる。「愛されている」と強く実感できるのだ。  しかし別れた後、いつも虚しい気持ちに囚われる。  ──私が本当に欲しいものは、。  アレクサンドラにはわかっていた。  ホレスは、本心から愛しているのではない。彼はただ、婚姻後に公爵位を賜り臣下に下るアレクサンドラの夫になりたいだけだ。  マネルーシ王国は、女性が爵位を継ぐことができない。  つまり、公爵になるのはアレクサンドラの夫なのである。  ホレスはパーカー侯爵家の次男であり、爵位を継げない。彼は、パーカー家が持つ下位の爵位を貰うか、何らかの功績をあげて王家から爵位を賜るか、跡継ぎのいない貴族の家に婿入りしないと、平民になってしまう。  高位貴族のままでいたいなら、伯爵位以上の家に婿入りするのが一番手っ取り早い。婿入りした時点で、未来の当主となれるのだから。  その婿入りでもっとも優良物件なのが、アレクサンドラ王女だ。彼女と結婚すれば、公爵になれるのだから。ただし、彼女の性格や気性を受け入れる覚悟は必要だが。  だが、ホレスにとってはたいした問題ではない。  彼は女性の扱いに長けていた。整った容姿で令嬢たちの人気を集め、数々の浮名を流していたのだから。  もちろん、アレクサンドラに照準を定めてからは彼女一筋である。それまでの付き合いは綺麗に清算し、彼女だけに尽くしている。  ただそれは、上辺だけのものだろう。  一方、グレンは── 「勉学や仕事に熱心で、女性に興味はない。でも、どんな人間に対しても誠実で、穏やかで、優しくて……」  彼に愛を向けられたら。彼の唯一になれたなら。 「もうずっと前から、私にはグレンだけだったのに……! ふん、いい気味だわ。今頃きっと、獣人国で後悔していることでしょう。あんな野蛮な国で暮らすなんてありえないもの! ……私を愛さなかった罰だわ。マネルーシに戻りたいなら、私に心からの謝罪をして、一心不乱に愛を捧げるのよ! ……そうすれば、許してあげなくもないわ」  いつの間にか淹れ直されていた紅茶を飲み干し、アレクサンドラはカップをソーサーに戻し、立ち上がる。  彼女の苛立ちを示すかのように食器が大きな音を立てたが、メイドたちはそんな無作法に見て見ぬ振りをし、そそくさと後片付けを始めるのだった。
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