四 ケーキと日常

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四 ケーキと日常

 夜の仕事を生業とする八木橋にとって、昼こそが自分のプライベートな時間だ。帰宅して疲れた身体を休ませたあとは、昼頃に起き出す。それから、大抵は家のことをしたり、買い物に出掛けたりという具合だ。 (今日は駅ビルのスイーツを観に行くぞっ!)  洗濯を済ませて、八木橋は意気揚々と出かけることにした。街を歩くのは、少しだけ落ち着かない。中年男が歩いていると、『何をやってる人なんだろう』という顔で見られるのが常だった。その為、八木橋はプライベートな時間でも、シャツとスラックスというスタイルが多い。自分では会社員に見えるんじゃないかと思っているが、第三者からはそうでもないらしく、やはり不審な目で見られた。  駅ナカにあるビルに入ると、目的のスイーツ店を目指す。最近SNSで話題になっていた、入ったばかりの店舗らしい。目的の店の前に行くと、平日だというのに列が出来ていた。最後尾に並んで、今か今かと順番を待つ。 (うーん。迷うなあ。SNSではストロベリースペシャルが人気だったけど、メロンも良いし、ブルーベリーも捨てがたい。ああ、マンゴーも美味しそうだ)  フルーツがふんだんに使われたスイーツは、宝石のように美しい。食べるのが勿体ないほどの『映える』ケーキたちに、期待が高まった。 「フルーツも新鮮なんだけど、中のクリームもめちゃくちゃ美味しくて。ヤバいの」 「えー。迷っちゃう。二個買っちゃおうかな」  前に並ぶ少女たちの声に、八木橋は耳をそばだてる。 (なるほど。クリームか。うーん。六個……いや、この大きさなら八個行っちゃおうか……?)  やがて前の列がはけて、八木橋の番になる。ショーケースをじっと見ながらケーキを吟味する八木橋の頭上から、男の声が聞こえた。 「あれ……充さん?」 「ん?」  顔を上げると、そこに見知った顔があった。精悍な顔立ちの年若い青年が、販売員の衣装を着て立っていた。 「あれっ。紫苑(しおん)か? もしかして、バイト?」 「はい。お久し振りです。まさか八木橋さんが買いに来てくれるなんて」  体つきは随分大柄だが、ニカッと笑うと、まだ子供っぽく見える。最後にあったのは二年ほど前だと思ったが、その頃よりもぐんと背が伸びていた。 「新しいお店が出来たって聞いてね」  そう言いながら、ちらりと列の方を見る。長話をしていたら迷惑だ。早く選んでしまおうと、ケーキを指差す。紫苑は笑顔でケーキを箱に詰めていく。彼が持つと、ケーキがとても小さく見えた。 (若い男の子がケーキショップでバイトか。そう言えば、甘いものが好きだったな)  紫苑も、八木橋と同じく甘党だった。手土産にケーキを持っていくと、いつも喜ばれたものだ。 「それじゃあ、アルバイト頑張って」 「はい。また来てくださいね」  笑顔で見送られ、八木橋はケーキの箱を抱えて歩き出す。知り合いの少ない自分にとって、数少ない知人だ。またケーキを買うついでに様子を見に来ようと思った。 (ケーキも買えたし、今日は良い日だな)  仕事の方も、なんのトラブルもなければ最高だ。そう思いながら、八木橋はウキウキしながら、萬葉町へと向かうのだった。
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