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ついにその森にも、人間の手が伸びてきました。
緑も青々と生い茂り、時には色鮮やかな花や甘い香りを漂わせる果実もある森。そこは、そこに住むたくさんの動物のものでした。
ところが人間が来てしまったのなら、森はたちまち人間に奪われてしまうことを、動物達は知っていました。遠くの森も、近くの森も、人間達がやってきたかと思えば、緑は消え失せ、そこに人間の建物が出来上がったのを見聞きしてきたからです。
人間は、森をなくし、そこを人間の土地にしてしまうのです。もちろん、そこに住んでいた動物は追い出されてしまいます。
人間達がこの森に手を出そうとしている――そう知った動物達の多くが、森を諦めてしまいました。
ところが、諦めなかった動物達もいました。
「僕達が弱いと思われているからいけないのさ」
それは狐達でした。狼も熊もいないこの森では、狐達が森で一番強く、賢い動物でした。
「強い動物がいるように見せかけたらどう?」
集まった狐達の一匹が言います。
「狼がいるとか、熊がいるとか」
「だめだだめだ、狼がいても、熊がいても、よその森はなくなっちゃったよ」
別の狐が頭を横に振ります。
「もっと人間がびっくりする生き物がいることにしないと……」
そこでぱっと声が上がりました。
「じゃあ、竜がいることにしよう!」
――何匹もの狐がくすくすと笑い出しました。
「さすがに竜は無理があるよ! だって竜なんて、お話の中の生き物じゃないか!」
「でも、竜がいるとなると、人間も手を出せなくなるね……きっと怖いだろうから!」
それからというもの、狐達は、冗談半分で嘘を言い始めました。
例えば、人間が森を調べに来た時。
「おいおい、何してるんだい? この森を拓こうっていうのか?」
まとわりつくように一匹の狐が人間に近づきます。人間は、
「しっしっ、邪魔をするな。この森はもう俺たち人間のものなのだ。殺されたくなければさっさとこの森から出て行くといい」
「それで? どこに行けって言うんだい? 森はほとんどなくなっちゃったじゃないか。あんた達人間のせいで」
そう途中までふざけた調子でしたが、不意に狐はぴんと尾を立てます。
「おっと! それ以上進まない方がいい……僕は警告したぞ。それじゃあな」
そう言われたのなら、人間は驚きます。
「おい、どうしたんだ? この先に何があるんだ?」
だから狐は、もったいぶったように答えるのです。
「――竜だよ。竜がいる。下手に縄張りに入ったのなら、食われるか燃やされるか、だ」
――そんな具合に、狐達は人間に「この森には竜がいる」と教えたり、ほのめかしたりしていきました。
森を拓きに来た人間に対しても。通りすがりの商人にも。近くの村から山菜を採りに来た村人にも。
ただ、狐の話は簡単には信じてもらえませんでした。
「森を奪われたくないから、嘘を吐いているのさ」
企みはばれてしまっていたのです。
* * *
ある日のことです。
「マッチだ!」
子供の狐達が、人間の落とし物を見つけました。
「マッチって?」
「火がつくんだよ」
「どうやって?」
「えーっとね、確かこうやって……」
それは子供の狐達の、無邪気な好奇心からでした。
――試しにマッチをすってみたところ、当たり前ですが、火がついたものですから大慌て。火がついたまま、ぽいっと、投げ捨ててしまいました。
するとどうでしょう。小さかったマッチの火は、たちまち大きくなってしまいました。
「お父さん、お母さん! どうしよう!」
森の異変に、大人の狐達が集まります。集まった狐達は、ひとまず子供達をつれて避難します。
残念ながら、狐達に火を消す方法、火を止める方法はありませんでした。
しかし森は広く、多くの水を蓄えたたくましい樹もあります。徐々に火は勢いを失いはじめました。
幸い、燃えたのは森のほんの一部。年月はかかりますが、やがて元に戻るでしょう。
子供の狐達は大反省。大人の狐達もきつく叱りました。すでに人間によって存在が脅かされている森であるにもかかわらず、自ら燃やしてしまったのです。もし全て燃えてしまっていたのなら――。
ところがこの事件が、思わぬことを起こしました。
「そういや聞いたか、この森で少し前、火事があったらしい」
「……なあ、そういえば、狐達が『森には竜がいる』って言ってなかったか?」
人間達の間で、妙な噂が流れ始めました。
「まさかその竜が?」
「いやいや竜なんて嘘だろう?」
しかし小さな疑問が生まれてしまえば、後は大きくなるばかり。『竜なんていない』なんて証拠は、簡単には見つけられないのですから。
いないという証明を、どう証明したらいいのでしょうか。
人間の心の中に、竜が生まれました。
「今の風は? まさか竜?」
森で強い風が吹いたのなら、それが竜のものだと勘違いします。
「急に空が暗くなった! 竜が飛んでる!」
太陽に濃い雲がかかっただけなのに、身を縮めます。
「いまのは竜の声! わあ! ごめんなさい!」
古い樹が倒れただけ、岩が転がっただけの音に謝ります。
もちろん、森に暮らす狐達は、それが自然のものであり竜ではないことを知っていますが、人間達の勘違いには唖然としてしまいました。なんて簡単な生き物なのでしょう。
徐々に森に入る人間の数が減っていきました。森を拓こうとする者の姿もなくなりました。
本当は竜なんて存在せず、ただ『竜がいる』と嘘を吐いた狐達がいる森であるのに。
* * *
「大きい影を見たんだよ! あの森の近くを通りがかった時に!」
森に入らなくなっても、人間達は勘違いや噂を口にします。狐達は暢気に森から彼らを眺めていました。
もう人間が森に入ってくる心配はないでしょう。本当ではないのですが、竜がいる森なのですから。
ただ不思議なことが起こりはじめました。
「お父さん! 竜が空を飛んでるのを見たよ! この森には本当に竜がいるんだね!」
人間だけでなく、子供の狐も言いはじめたのです。大人達は言います。
「本当は、この森に竜なんていないんだよ。人間達が入ってこないための嘘なんだよ」
「でも見たよ! 大きい影が歩いてたよ!」
大人の狐達が真実を見たのは、それから数日後。
ある狐が、森の奥の方へ出かけました。森の奥というのは、狐もあまり行かない場所です。慣れていなければ迷子になってしまうかもしれない場所なのです。
そこで狐は聞きました。ずしずしと、何か大きなものが歩いている足音を。
「――りゅ、竜だ!」
「あっ、狐だ!」
なんと、本物の竜がそこにいたのです。狐は驚きに転がってしまいました。竜は、
「ねえ! この森には竜がいるって聞いて来たんだ! ほかの竜はどこ?」
「い、いないよ、竜なんて……」
そもそも、竜という存在そのものがいないと狐達は思っていたのです。竜は続けます。
「えっ? でも竜がいるって聞いたよ?」
「それは人間を追っ払う嘘だよ!」
狐は竜に、これまでのことを説明しました。全てを聞いて、竜は少しがっかりした様子でした。
「そうだったんだ……僕、仲間を探しに来たんだ」
ところがすぐに竜は表情を明るくします。
「まあいいや! ここはすごく住みやすそうな森だし! ほら、森が少なくなってるでしょ……ここに住もう!」
「えっ! ぼ、僕達を食べたりしない?」
「しないよ。竜に必要なのはお日様の光と月の光、川のせせらぎや湖の揺らめき……あとは緑や花、果物の香りがあるといいなぁ!」
「……火を吹いたりしない? 暴れない?」
「そんなことしたら森が燃えちゃうよ! 暴れたりしたら森がぼろぼろになっちゃう!」
そうして森は、本当に竜がいる森となりました。
後々、同じように『この森には竜がいる』と聞いて、ほかの竜も集まりはじめました。
嘘が本当になりました。森は、狐をはじめとする動物と、竜の聖地となったのです。
もう人間が近寄ることのできない神聖な森として。
【終】
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