食言植物

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 そのあと、試しにいくつか職場の愚痴を呟いてみたけれど、さっきみたいに双葉がにょきっと育つことはなかった。流石に見間違えかと自分に呆れてしまったけれど、それでもあたしはこの双葉を育てることに決めた。  なんていったって、彼の唯一の置き土産だ。これが本当に「グチクライソウ」とかいう植物でも、そうじゃない別の花を咲かせる植物だとしてもいい。たくさんの植物を開花に導くことに長けていた彼と違って、サボテンやミントさえ枯らすくらいに植物と相性の悪いあたしだけれど、もしこれをちゃんと咲かすという奇跡を起せれば、もしかしたら彼がこの部屋に帰ってくる奇跡だって起こせるかもしれない。そう思った。  にょき、が、幻覚じゃなくて現実なのだと理解したのはその次の日だ。  仕事に復帰し、今日もたくさん社会の荒波に揉まれて一日を終えた。このままでは塩辛いきゅうりの浅漬けになってしまう。そう思いながらぐたっとリビングの机の上に、着替えもそこそこのまま上半身を投げ出した。 「確かに急に休んだのはあたしだし申し訳ないなーとは思うけど、それでもあんなあからさまな態度取らなくてもいいのに、あのお局め」  ため込んで内側から腐っていくのなら、吐き出してしまったほうが良い。少なくともあたしはそう思っている。そうやって、今日の職場でのもやもやしたものを脱力した身体からだらだらと垂れ流しにしたときに、それは再び目の前で起こったのだ。  ベランダからリビングの机の上に場所を移した、グチクライソウの小さな鉢。それが、あたしの視界の端っこで、やっぱり、にょき、と伸びた。  さっきまで疲労困憊で着替えさえ億劫だった身体が、驚きで飛び跳ねる。それから、あたしは双葉をまじまじと見つめて、今日は声を失った。  双葉が、四つ葉に増えていた。 『ああ、なんか聞いたことある。しょくげんしょくぶつってやつじゃない?』 「しょくげんしょくぶつ?」 『食虫植物ってあるじゃん? その虫ってところを、言語の言に置き換えて、食言植物』 「初めて聞いた」 『まー、つい最近流行り始めたばっかりみたいだしね』  乾かした髪の毛にヘアミルクを塗り込みながら、机の上に置いたスマートフォンに話しかける。わたしも今朝テレビで初めて見た、なんて笑う友人の声がスピーカーを通して拾い部屋に広がった。 『なんか種類もいっぱいあるみたいだよ。アンタのとこみたいに愚痴を聞いてくれて育つとか、逆に楽しい話を聞いて育つとか、そんな感じの』  この友人は、彼氏が蒸発したその夜から、こうして少しの時間だけ電話を繋いでくれていた。あたしのことは勿論、あたしの彼氏のこともよく知っていたいわば共通の友人で、一緒に海やバーベキュー、ダブルデートでテーマパークにも行った仲だ。けれどそんな彼女も彼の行方のことは知らないようだったし、何も言わずに蒸発したと聞いて心底驚いていた。 『ま、同時期に彼氏にフラれたもの同士、傷口に砂糖でも塗り合っていこうよ。アンタは植物育てて、あたしはしらたまの世話してさ』  間髪入れずに、電話の向こうから「にゃーん」と猫の鳴き声が聞こえた。その声に若干癒されつつ、あたしはけらけらと笑ってみる。 「砂糖でも痛そうじゃん」 『確かにねー。あ、そうだ! 花が咲いたら、写真送ってね!』 「おっけー」
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