食言植物

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 それから、あたしとこの植物との生活が始まった。  この頃、水面下でこじれていた職場の人間関係が浮上して露わになったこと、さらに繫忙期が尾を引いていたこともあり、あたしのなかにモヤモヤやイライラが膨らみ続けていた。まるでヘリウムを想定以上にたくさん詰め込まれた風船の気持ちだ。  だから丁度いいとばかりに帰ってきて早々、あたしは鮮度の良い愚痴を、少しの水とともにグチクライソウに与えた。  あたしの愚痴を喰らうたびに、グチクライソウはにょき、と伸びる。最初は鉢の中央で縮こまるように小さかった双葉も、気付けば支柱をしないとバランスを保つのが難しいほどに高く大きくなっていった。  目に見せる成果というものは、人の心を満たすものだ。同時に愚痴を吐き出すのはあたしのストレス解消にもなる。  調子に乗って、毎日与えた。水は適量だったが、たぶん愚痴は与え過ぎたかもしれない。それでもグチクライソウは文句も言わないで、にょきにょき、にょきにょき。そうして、やがて掌くらいの大きな葉をつけ、同じくらいの大きくて細長い蕾をひとつ、てっぺんに掲げるようになった。  そうしてある日、ついにグチクライソウは花を咲かせた。  咲かせた、のだけれど。 「うわ……」  久しぶりに訪れた休日で、二日酔いに悩まされる頭のままリビングに足を踏み入れたあたしは、咲いたグチクライソウをみて思わず低い声をあげた。  その花は、以前彼氏がこの家に持ち込んでいたハエトリグサに酷似していた。ハエトリグサをあたしはワニのようだと思っていた反面、なんだか好きになれない見た目だなあと思っていた。けれど、あたしはたぶん、この一ヶ月一緒に過ごしてきて愛着も湧いていたこのグチクライソウの花の方が、もっと好きになれないかもしれないと思ってしまった。  ぱかり、と左右に分かれて大きく開いた二つの大きな赤い花弁。花弁の端は厚みがあって、指先でつつけばぷるぷると震えそうに艶やかだ。内側には一定間隔を置いて、白いおしべとめしべが塊で束をいくつも作っている。  そして中央には、くるくるとロールのように巻かれたさらに濃い赤の花びらのような何かが生えていた、あたしが近づくと、それはゆっくりと巻物を解くように開かれて行って、肉厚の花弁から垂れ下がる。花の蜜のような透明な液体が、じわりとにじみ出て滴る。  花が咲いたら写真を送ってくれと言っていた友人のためにカメラのシャッター音を響かせてから、あたしはどうしてこの植物に嫌悪感を抱いたのか、理由を知った。 (……ああ、これ。人間の口にそっくりなんだ) 花弁は唇。おしべとめしべの塊は歯。それから、真ん中のびろびろは、舌。 一度思ってしまえば、もうそれにしか見えなくてあたしは顔を歪めた。  そうだ、ハエトリグサを愛していたあの彼氏の置き土産の時点で、なにより食虫植物という言葉を文字って食言植物なんて名前がついている時点で、この花が食虫植物の類であることに気付けなかった、あたしの落ち度である。最悪だ。綺麗な花が咲くと信じて疑っていなかった、あたしの期待を返してほしい。 (……こんな花が咲くなら、育てなかったのに)  思って、いつもみたいに口に出しそうになって、あたしは思わず飲み込んだ。愚痴を与えたことで育ったのがこの花だ。今更になって、この植物に言葉を与えるのが怖くなった。
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