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気に入らなかったのならば実近はもう小牧にかまわないだろう――そう思ったのに、なぜか昼休みや終業後に姿を見せ、「小牧くん」と微笑む。
「暇なんですか?」
「忙しいよ」
「でしょうね」
女性社員達が頬を赤く染めて実近を見つめている。どうしてか小牧がいたたまれない。
「実近さん、あの……」
「ごめんね。今、彼と話してるから」
声をかけられてもすげなくかわして小牧に話しかける。謎すぎる。打てば響く女性達の相手をしているほうが楽しいだろうに。
「小牧くん、食事に行こう」
「行きません」
これ以上かかわりたくないので断るが、実近は表情を変えない。この態度が逆に燃えあがらせるのだろうか。
「つれないな。彼に誘われたら、どこにでも行くんだろうに」
「それは――」
そんなことはない、と言いきれないのが悔しい。彼女の惚気を聞かされるばかりになっても、まだ心が追うのが諒であるのはたしかだ。
表情を変えなかった実近が眉をさげた。
「悪い。墓穴を掘った」
「え?」
「なんでもない」
言葉の意味がわからず首をかしげる。言った当人は手で口もとを押さえて難しい顔をしている。
「とにかく、俺はまっすぐ帰りますから」
通勤バッグを持って部署を出ると、実近も追いかけて来た。めげないな、と逆に感心する。
「俺を好きになる気はない?」
「ないです」
「諒くんがいるから?」
耳もとでこそっと囁かれ、この声音で聞こえているはずはないが周りを見まわした。皆帰路につくのに忙しく、小牧達のことなど気にしていない。
「そうです」
まっすぐ目を見て答える。またなにか言いくるめるような言葉を発するのかと緊張したけれど、向かい合う男は複雑な表情をしているだけだった。
「実近さん?」
放って帰ってしまえばいいのに、そんな反応をされたら気になって仕方がない。
「どうして諒くんがいいの?」
徐に聞かれ、虚をつかれる。
「自信過剰なのを理解して言うなら、見た目で俺は負けてないどころか勝っていると思うし、きみを気持ちよくさせることもできている」
「それは……そうですが」
「じゃあなぜ?」
なぜ、と聞かれても。小牧にとってはそれがあたりまえで普通だった。あえて聞かれると戸惑う。
「俺にとって諒は絶対で唯一なんです」
隣を歩いていた実近が足を止める。
「絶対で唯一……」
呟きに振り返ると、眉を寄せた実近が踵を返す。その背はどこか寂しげだった。
「悪い。やっぱり今日はなしにしよう」
「はあ」
別に行くとは言っていないが。急な態度の変化に、なにか裏があるのでは、と訝る。
「実近さん」
エレベーターに向かう背をなんとはなしに呼び止める。小さく振り返った瞳は揺れていた。
「なに?」
「……いえ。お疲れさまでした」
「ああ。お疲れさま」
エレベーターの扉で実近の姿が隠れ、小牧も帰路につく。どうして自分は呼び止めたのだろう、と不思議に思いながら帰宅した。
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