狸と下級聖女~行方不明中の第三王子なら、私の隣で寝てますよ?~

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「第三王子のステファノさまが行方不明になって、どれほど経つかしら?」 「婚約者だった上級聖女のエミリアーナさまは、騎士団長のアントニオさまへ乗り換えたらしいわよ。きっと見つかるのを、待っていられなかったのね」  そんな噂話が聞こえる聖堂の裏手で、下級聖女のジゼッラは行き倒れている狸を見つけた。 「この狸、呪われてるわ」  ジゼッラは少ないながらもありったけの聖力を流し込み、狸から漂う禍々しいオーラを霧散させる。  それは僅かな量だったが、効果はてきめんだった。 『うう……腹が減った』  狸の思っていることが、ジゼッラへ伝わるようになったのだ。 「まあ、倒れていたのは呪いのせいではなかったのね」  安心したジゼッラは、自分の昼ごはん用のパンを分け与える。  香ばしい匂いに目を覚ました狸は、口元に差し出されたパンにがっついた。 『二日ぶりのまともな食べ物だ!』 「元気になってくれて良かったわ」  一心不乱に咀嚼している狸を、ジゼッラは微笑ましく見守る。  あらかたパンを食べ終えて、ようやく満足した狸は、そこで初めてジゼッラの存在に気がつく。 『パンをくれたのは、お前か?』 「私はジゼッラと言うの。下級聖女よ」 『ま、まさか……俺の言葉が分かるのか?』  狸の黒い瞳に、ぶわっと涙がたまる。 「呪われていたから、少しだけど聖力を流したの。そしたら、分かるようになったみたい」 『ジゼッラ、助けてくれ! 俺は第三王子のステファノだ! ある朝、起きたら狸になっていた!』  それからステファノは、これまでの数ヶ月に渡る苦労を、滔々と語った。 「よく生き延びていられたというか……」  ジゼッラはステファノに同情した。  王子という高貴な立場だったステファノにとって、野生は厳しすぎただろう。 『俺は王子と言っても三番目だし、母は平民出身だ。やんちゃに育ってきたから、外での暮らしは平気だったんだけど……人間に追われるのはさすがに傷ついた』  助けを求めて近づいては、害獣と見なされ駆除されそうになったステファノ。  早く人間に戻りたい気持ちが、それで次第に萎えていったという。 『もう諦めて、狸のまま生きようとした。そして空腹で死にかけたというわけだ』 「壮絶な数ヶ月でしたね」 『ジゼッラ、この呪いを解く方法はないか?』  下級聖女のジゼッラが知る解呪の方法は少ない。 「有名だとは思うんですけど、愛を込めた口づけは効きますよ」 『……俺もそう考えて、婚約者のエミリアーナを訪ねたら、箒で叩き出されてしまったんだ』  狸姿のステファノは、尻尾をぺしょりと垂れさせる。  ジゼッラは首を傾げた。 「ステファノさまの放つ禍々しいオーラに、驚いてしまわれたのかしら? ちゃんと事情を話して頼めば、大丈夫かもしれませんよ」  しかしそこで、ジゼッラは先程まで聞こえていた噂話を思い出す。 (そういえば、婚約者を乗り換えたとかなんとか? エミリアーナさまの気持ちが、すでに騎士団長へ移っていたら……)  ジゼッラは立ち上がり、ステファノを腕に抱えた。 「急ぎましょう。事態は一刻を争います!」 『うわ、一体どうした?』  本来、下級聖女が上級聖女を訪ねるには、煩雑な手順を踏まなくてはならないが、今は呑気にしてはいられない。  ジゼッラはお咎めを覚悟して、エミリアーナの居室へ踏み込む。  上級聖女らしい、広くきらびやかな部屋の中で、目的のエミリアーナはソファーに座りくつろいでいた。  許可なく侵入してきた人物に驚くエミリアーナの足元へ、ジゼッラは跪いて請う。 「エミリアーナさま、無礼を承知でお願いします。どうかこちらの狸に、愛の口づけを贈っていただけませんか? 実はこの狸は呪われていて、その正体は――」 「第三王子のステファノでしょう?」  ふんと鼻で笑うエミリアーナに、ジゼッラとステファノは目を丸くした。 「さすが、エミリアーナさま、すでにお気づきだったなんて……」  息せき切って駆けつけたジゼッラだったが、説明の手間が省けてホッとした。 (それならば、どうして最初に狸姿のステファノさまを、追い出したのかしら?)    そう疑問に思いながらも、腕の中のステファノを差し出そうとしたジゼッラだったが――。 「私が呪ったのだから、知っていて当然よ」  続いたエミリアーナのとんでもない告白に、ジゼッラは固まる。  同時に、手の中のステファノの体が、びくりと震えたのが伝わった。  それを可笑しそうに見て、エミリアーナはさらに追い打ちをかける。   「嫌だったのよ。平民の血が流れる第三王子の婚約者なんて。それに比べて、アントニオは最高だわ。歴史ある公爵家の嫡男で騎士団長、上級聖女の私の夫に相応しいと思わない?」  うっとりと語るエミリアーナは、誰の返事も求めていない。  そして、あ然とするジゼッラに、矢継ぎ早に愚痴をこぼした。 「この数カ月、王子を探すふりをしたり、見つからなくて嘆くふりをしたり、面倒だったのよ。ようやく国王陛下が婚約者の変更を認めてくれて……アントニオから、ぜひ妻にと求められたの」  だからね、と蠱惑的な笑みのエミリアーナは、ジゼッラヘ視線を戻す。 「ステファノは、狸のままでいいの。私は呪いを解かないし、誰も狸に愛の口づけなんて贈らない。私が幸せになるには、こうするしかなかったのよ」  あまりの衝撃で、ジゼッラはどうやってエミリアーナの部屋を辞去したのか、覚えていない。  気がつけばステファノを腕の中に抱えて、自室のベッドの上に座っていた。  項垂れた狸の後頭部に、漂う哀愁が痛ましい。 (生まれは、ステファノさまのせいではないのに……。愛の口づけをくれると、信じていたエミリアーナさまに裏切られたのだから、心は張り裂けんばかりでしょう)  ジゼッラは、ぎゅうとステファノを抱きしめる。 「ステファノさま、諦めないでください。私の僅かな聖力でも、注ぎ続ければいつかは、解呪できるかもしれません」 『エミリアーナは上級聖女だぞ? ジゼッラは……』  ステファノの言いたいことは分かる。  聖女の格付けは力関係そのものなのだ。  下級のジゼッラがいくら足掻いても、上級のエミリアーナの聖力には敵わない。 「でも、こうしてステファノさまと話すのは、可能になりましたよ」 『言われてみれば、確かにそうだ』  少し希望を感じたのか、狸の尻尾がふわりと膨らむ。 「毎日ステファノさまに、私の持てる聖力の全てを注ぎます」 『それでは、聖女の勤めが果たせないだろう?』 「私は毎日掃除や洗濯をするだけで、聖女らしい仕事は、聖堂に来てからしたことがないんです」  田舎町で生まれ育ったジゼッラは、聖力があると分かると、穢れを祓う仕事を任された。  やがてその噂が王都に届き、聖女として聖堂へ迎え入れられる。  しかし、いざ来てみると、ジゼッラ程度の聖力は、誰にも求められていなかった。  野良の聖女がいては寄付金が集まらないから、聖力がある少女を片っ端から聖堂へ囲っているだけだったのだ。 「エミリアーナさまのように多くの聖力があれば、求められて貴族へ嫁ぐこともあるでしょう。でも私みたいな下級聖女は、適齢期をすぎても、ここに居残り続けるしかないんです」  ジゼッラの声には諦めがにじむ。 「誰かの役に立てると思って、私は故郷を後にしました。だからどうかステファノさまのために、聖力を使わせてください」  じわり、とステファノの胸が熱くなった。  こんなにも自分のために、尽力しようとしてくれた者がいただろうか。  第三王子のステファノは、半分は平民の血だと蔑まれるのにすっかり慣れていた。  エミリアーナに投げつけられた言葉も、これまでにさんざん聞いたもので、狸にさえなっていなければ受け流せたのだ。 『俺の方こそ、よろしく頼む。狸から人間に戻ったら、そのときは――』  ステファノは続く言葉を飲み込んだ。 (ジゼッラに求婚して聖堂から出してやる、なんて言えないな)  こちらは助けてもらう身だ。  おこがましいにも程がある。  ただ、ジゼッラが聖堂に居続けるのが嫌なら、ぜひとも手を貸したい。 『そのときは何でも願いを叶える!』  ステファノは、別の言葉で誤魔化した。  ジゼッラが笑ってくれたので、ステファノの尻尾はまた膨らんだ。  ◇◆◇◆  こうして二人の奇妙な共同生活が始まった。  ジゼッラと同じく、下級聖女として集められた少女たちは、ステファノの存在を面白がる。 「ジゼッラったら、狸を飼い出したの?」 「でも、ちょっと変じゃない? 黒いオーラが出てるわ」 「もしかして呪われてるの?」  ジゼッラは隠すことなく真実を告げる。 「この狸は王子さまなの。呪いをかけられて、今はこんな姿をしているのよ」  すると少女たちは一斉に笑い出した。 「いいわね、その設定!」 「ジゼッラにしては、夢があるじゃない」 「いつ王子さまになるの?」  そこでジゼッラは狸を持ち上げて、ズイッと少女たちへ突き出した。 「みんな、余ってる聖力があったら、狸さんに使ってあげて。少しでも早く、人間に戻してあげたいの」  真剣に頼み込むジゼッラに、少女たちは気軽に頷く。 「どうせ使わないから、いくらでもどうぞ」 「まさか毎日、上級聖女の身の回りの世話をする羽目になるなんて、ここに来るまでは思わなかったわよね」 「街にいた頃は、こんな僅かな聖力でも有り難がられたのに……」  ここにいる下級聖女はみんな、ジゼッラと似た身の上の少女ばかりだ。  人助けになるからと言われて連れてこられたら、待っていたのは終わりのない雑用だった。 「私たちが聖力を持っていても、宝の持ち腐れだもの」 「狸さん、早く王子さまになって、ジゼッラを迎えに来てあげてね」 「そのときには、私たちも一緒に連れ出してほしいわ。もうここにいるのはうんざりよ」  口々に好き放題なことを言うと、少女たちはそれぞれの持ち場へ戻った。  今日も今日とて、下級聖女のジゼッラたちには、掃除や洗濯が待っている。 『ジゼッラたちは、仲がいいんだな』    枯れ葉を箒で掃いているジゼッラの足元で、全身が枯れ葉まみれになっているステファノがつぶやく。   「私たちは同じ境遇で、励まし合って過ごしているからでしょうか。助け合うのが、当たり前になっているというか」 『すごくいい関係だな』 「恵まれていると思います。実際そうしなければ、私たちはやりきれなかったでしょう」  聖堂は、人助けをする機関ではなかった。  それを知らされずに集められ、飼い殺しにされている下級聖女たち。  しかも一度その門をくぐれば、嫁ぐ以外は死ぬまで出られないのだ。 「生きる望みも、死ぬ勇気もなく、私たちは日々を繋いでいます。ここには、そんな下級聖女たちが山のようにいるんです」 『誰もそれを問題視しないのか?』 「聖女の持つ聖力を欲する者は、聖堂の行いを非難できません。それは貴族だけではないんです」  ジゼッラの含んだ言い方で、ステファノは自分が属する王族も、悪だくみに加担しているのだと分かった。  身をもって知った呪いだったが、上級聖女にもなると、穢れを自由自在に操れる。  権力者ほど、こうした異能を欲する機会もあるのだろう。   『父上が、悪者だったなんて。ごめんな、ジゼッラ』  欲にまみれた貴族や王族とは違って、無償で人助けをしたいと願うジゼッラや下級聖女たちの真摯な姿に、ステファノは感銘を受ける。  もしも人間に戻れたら、必ず苦しんでいる下級聖女たちの力になろうと決意を固めた。 (そのためにも、絶対に元へ戻らないと。たくさん聖力を注いでもらえるよう、俺も頑張るぞ)  その日から、ステファノは下級聖女たちを見ると、しっかり愛嬌を振りまくようになった。  みんな、狸がジゼッラのペットだと知っているので、撫でたり聖力を注いだりして可愛がる。  そうして数か月が経つと、ステファノに変化が現れた。 「ジゼッラ、俺だ。一瞬だけ人間に――」  戻れるようになった、と言い終わる前にステファノは狸へと変化する。 「本当に一瞬ですね」    あまりの短さに、ジゼッラはポカンと口を開けた。 『だが、これは喜ばしい変化だろう?』 「ええ、光明が見えてきました」 『その……ジゼッラの目には、どう映った? 人間の俺の姿は……』  恰好よかったか? とは聞けない。  惚れそうか? とも聞けない。  曖昧なステファノの質問に、ジゼッラは率直に答えた。 「大変、美しかったです」  そうなのだ。  ステファノは女優だった母に似て美しい。  第三王子として、これまで何もせずに怠惰に過ごせていたのも、国王の寵愛が母にあるからなのだ。 「聖堂に飾ってある、大聖女像よりも美しいなんて、ステファノさまは罪な方ですね」  ふふふ、とジゼッラに笑われて、照れたステファノはクシクシと顔をかく。   (悪くない反応だ。俺の長所なんて、顔しかないからな。ここでジゼッラに、アピールしておかないと)  いつしか自分の恋心を自覚していたステファノは、もっと長時間、人間に戻ることが出来たら、ジゼッラに告白したいと思っていた。 (うっかりジゼッラが俺を好きになってくれたら、く、口づけをもらえるかもしれないし!)  今はひたすら、下級聖女たちからお裾分けの聖力を分けてもらう日々が続く。  しかも数か月かけても、一瞬しか人間に戻れない茨の道だ。  それでも協力してくれる下級聖女たちに、ステファノは心から感謝していた。  だから毎日、熱心に愛嬌を振りまくのに余念はない。  ――そんなある日、ステファノに事件が起きた。  ◇◆◇◆   「だれか、狸さんを見かけなかった? 朝からいなくって……」  心細い声で、ステファノを探しているのはジゼッラだ。  いつも一緒の布団で寝ているステファノが、目を覚ますと定位置から消えていた。   「昨日は見かけたけどね」 「今日は聖堂が騒がしいから、どこかに隠れているのかしら?」 「なにしろ、エミリアーナさまがいよいよ、アントニオさまと結婚されるから、その準備で――」  聖女は、婚約しただけでは聖堂から出られない。  そのため婚約期間はしごく短めにして、さっさと結婚する場合が多い。  今回のエミリアーナもそうだ。  アントニオに求められて、数か月足らずでここを出て行く。 (行方が分からないのは、婚礼の準備と関係があるのかしら? ステファノさまの方から、エミリアーナさまに近づくとは思えないけど……)  ジゼッラの予想は的中する。  ステファノはエミリアーナによって捕らえられ、小さな檻に閉じ込められていた。   『何するんだ! ここから出せ!』 「あらあら、元気がいいのね。狸にされて、すっかりしょげていると思っていたのに」  ステファノの言葉は、エミリアーナには通じていない。  何人もの下級聖女たちに聖力を注いでもらったが、言葉が伝わるのはジゼッラだけなのだ。 「なんだか私の知らない内に、下級聖女たちの人気者になっていたみたいね。上級聖女の私がかけた呪いを、大した力もない彼女たちが解けるとは思っていないけど、念には念を入れよと言うし」  エミリアーナは小さな檻を持ち上げると、きょろきょろとベランダから外を見渡した。 「万が一にも人間に戻って、私の行いを暴かれては困るのよ。せっかくアントニオと結婚できるのだから、邪魔されたくないの」  分かるわよね? と言いたげなエミリアーナが、口角を上げて微笑む。  そしておもむろに、ステファノが入った檻を宙へ放り投げた。 『あ、あ、あ……』  きれいな放物線を描いて落ちていく。  その先にあるのは、濁って底の見えない池だ。 「さようなら、用無しの王子さま。あなたに私は、もったいなかったのよ」  貴族や王族から、下にも置かぬ扱いを受ける上級聖女のエミリアーナは、勘違いをしていた。  この世の全ては、なんでも自分の思い通りになると。  バシャン!  小さな檻が、水泡と共に沈んでいくのを見て、満足したエミリアーナは踵を返した。  これから花嫁を迎えにくるアントニオを、白いドレスに着替えて待たなくてはならない。 「きっと素敵な一日になるわ。ああ、アントニオ、愛しい人」  すでに池に背を向け、スキップをしていたエミリアーナは気づかなかった。  ステファノが投げ捨てられた池に、脇目もふらず飛び込んだジゼッラの存在に。  ◇◆◇◆ 「ステファノさま、しっかりして!」  水底に沈んでしまう前に、ジゼッラは檻を引き上げるのに成功する。  幸いなことに、檻の鍵は石で叩き壊せた。  だが、中から取り出したステファノは、ぐったりとして息をしていない。 「こういうとき、人間なら人工呼吸だけど、それって狸にも有効なのかしら?」  とにかく今は出来ることをするしかない。  顔を横にして水を吐かせてから、ジゼッラは心肺蘇生を始めた。  何度も狸のときに抱き上げていたから、心臓の位置はなんとなく分かる。  そこを圧迫しては、鼻から息を吹き入れる。  長く繰り返す内に、疲れと絶望がジゼッラを襲う。   「死なないで! ステファノさま! 目を覚まして!」  叫ぶジゼッラに反応したのか、ぽんと軽やかな音がして、ステファノが人間の姿に戻った。  そして盛大に咳き込むと、池の水を吐く。 「げっほ、げほ……げほ、おええええ!」  地に四つ這いになり、頭に水草や藻をつけたまま、ステファノは肩を激しく上下させている。  息をしているその姿に、ジゼッラの頬を、滂沱の涙がこぼれ落ちた。   「……生き返った?」 「ジゼッラ? 俺、死んでないよね?」  自信がなさそうに首を傾げて聞いてくるステファノに、ジゼッラは飛びつく。 「良かった! 助かった!」 「うわ! やっぱり死んだの? これは俺の妄想?」  しっかりジゼッラを抱き留めたステファノは、頬をつねる。 「痛い! 俺、生きてる!」 「生きてる! 生きてる!」  ずぶ濡れの二人は、ひとしきり生存を喜び合った。  そして気がつく。 「なんだか俺、ずいぶん長々と人間の姿じゃない?」  狸だったステファノは、もちろん全裸だ。  ジゼッラがハンカチを手渡すが、それで隠れる部分はほんの僅かで。 「いつ狸に戻るんだろう?」 「目のやり場に困ります」  しばらく待ったが、ステファノは狸には戻らなかった。 「どういうこと?」 「呪いが解けたのでしょうか?」 「死にかけたからかな?」  頭をひねるステファノに、ジゼッラはもう一つの可能性を隠す。  ジゼッラは狸のステファノに人工呼吸をした。  生き返って欲しいと、心からの願いを込めて。   (あれが、愛の口づけに該当したかもしれないなんて……言えないわ)    ◇◆◇◆  ステファノが人間に戻り、第三王子として復活してから、聖堂は大騒ぎとなった。  上級聖女のエミリアーナが聖力を悪用、婚約者だった第三王子を呪って狸にした凶行が明らかになったのだ。  監督不行き届きで司教たちにも飛び火したこの事件は、それだけでは終わらなかった。  次いで、下級聖女たちに関する労働の搾取や不当な囲い込みまで、広く白日のもとへ晒される。  これらは全て、国王の寵愛を独り占めしているステファノの母ベネデッタが、事態を重く見たことが発端だった。 「狸でいる間に何度も死にかけた。それを助けてくれたのが、下級聖女たちだった。その恩に報いるため、彼女たちを聖堂から救いたい」  という愛息ステファノの証言を聞くやいなや、国王の首根っこを捕まえ、「どういうこと!?」と恫喝したらしい。  国王が自供させられた結果、何が聖堂で行われていたのか、あまねく国民も知るところとなったのだ。  これまで聖女になるからと旅立たせた娘たちが、奴隷のように働かされていたとあって、親たちは激怒する。  あわや、聖堂の取り潰しになるかどうかの瀬戸際まで追い込まれて、司教たちは初めて罪の重さを認識したようだった。  ◇◆◇◆   「みんなとは、ここでお別れね」  ジゼッラは下級聖女たちとの最後の時間を名残惜しむ。  彼女たちはそれぞれ、自分たちの故郷へ戻るのだ。  ひとり王都に残るジゼッラは、みんなと抱擁を交わした。 「まさか、本当に狸が王子さまだったなんてね」 「私、いっぱい撫でまわしちゃったよ」 「おかげで聖堂から出て行けるわ、ありがとう」    狸さんによろしくね、と手を振って、元下級聖女だった少女たちは去っていく。  伝言を託したのは、これからジゼッラが、ステファノに会うと知っているからだ。 「みんな、狸さんに聖力を分けてくれてありがとう! いつかまた、会いましょうね!」  姿が見えなくなるまで見送ると、ジゼッラは王城を目指す。  ステファノを命懸けで池から助けたジゼッラには、特別な褒賞が用意されているという。 (褒賞はどうでもいいけど、もう一度、ステファノさまに会えるのは嬉しいわ)  事件が公になってから、ずっとステファノとは離れ離れだ。  それぞれ検察官からの事情聴取があったし、そもそもステファノの住まいは王城なので、ジゼッラが気軽に遊びに行ける場所ではない。 (ステファノさまは本物の王子さま、私は元下級聖女の田舎娘。――この身分差は埋められない)  それでも、ジゼッラは久しぶりにステファノと邂逅するため、おっかなびっくり初めて王城訪問をするのだった。    ◇◆◇◆ 「あなたが、ジゼッラちゃんね」  しかし、ステファノとの再会より前に、なぜかゴージャスな美女に捕まって、ジゼッラは過剰なもてなしを受けていた。  前に並べられたティーセットが、きらきらしていて目に痛い。 「私の可愛い息子の窮地に、ありがたくも手を差し伸べてくれて、しかも二度も命を救ってくれたと聞いたわ。私からもぜひ、お礼をさせてちょうだい」 「ステファノさまの、お母さまですか?」  にっこりと妖艶に微笑まれたので、国王の寵妃ベネデッタに間違いないだろう。  真向かいの席から顔をよく見れば、目元や鼻筋にステファノとの共通点があり、国王の愛を独り占めするのも頷ける美しさだった。   「ジゼッラちゃんは、ステファノをどう思ってる? あの子って顔はいいけど、顔だけでしょう? パパが甘やかして育てるから、公務のひとつもしたことがないし、夫にするには心配しかないと思うのよ」 「ちょっとちょっとちょっと! いつまでたってもジゼッラが来ないと思ったら、なんでこんなとこで足止めしてるんだよ!」    顔を真っ赤にしたステファノが、ベネデッタの会話を遮って部屋に飛び込んできた。   「母上が勝手に話を進めないでよ! 俺には俺の、やり方があるんだから!」  ぷりぷりと怒るステファノが、ジゼッラには毛を逆立てた狸に見えた。  王城に入ってからずっと、緊張していた心がほっこり緩むのを感じる。 「ジゼッラ、まずは俺の話を聞いて欲しい」  だが、思いつめた真剣な顔をして迫るステファノに、せっかく緩んだジゼッラの心がまた緊張しだした。 「何でしょうか?」 「俺、人間に戻れたら、ジゼッラに言おうって思ってたことがあって……」  そこでモジモジと指を擦り合わせるステファノは、やっぱり狸だった頃を彷彿とさせる。  ふたたび緩みだしたジゼッラの心だったが、横から大きな声でベネデッタの活が入った。 「しっかりなさい、ステファノ! プロポーズも満足に出来ないようでは、ジゼッラちゃんに逃げられてしまうわよ!」 「もおおおおお!!!! 邪魔しないでよ!!!!」  ステファノは息子の晴れ舞台を見届けようとするベネデッタを、無理やり部屋から追い出した。  扉を閉めて鍵をかけて、ようやく場が静まり返る。 「その、ごめん。恰好がつかなくて……」 「いいえ、大丈夫ですよ」  取り成すジゼッラだったが、ステファノの瞳はすでに潤んでしまっている。  ジゼッラは居ても立っても居られず、ステファノに近づくと頭を撫でた。  狸だったステファノは、ジゼッラにこうされると気分が落ち着いたものだ。 「ありがとう、ジゼッラ。……俺、ジゼッラが好きなんだ。本当に、本当に大好きなんだ」  よしよしされて、勇気をもらったステファノは仕切り直す。  ベネデッタがすでに口走ってしまったせいで、ジゼッラには次の言葉の予想がついた。 「ジゼッラと、これからも一緒にいたい。ジゼッラはどう? 俺、もう狸じゃないけど……」  狸だったステファノの間の抜けた顔や尻尾の丸みを、ジゼッラがことのほか愛でていたのを知っている。  ベネデッタに似た美形な顔立ちよりも、もしかしたらジゼッラは狸面を好むかもしれないと、ステファノは本気で心配していた。 「私……ステファノさまのこと」  好きだけど身分が違う。  わきまえているジゼッラは、ありがたいと思いながらも、ステファノの申し出を断ろうとした。  だがそれよりも先に、閉めた扉の向こう側で、遠慮のない会話が始まってしまう。   「どうじゃ? うまくいったか?」 「いいところなんだから、話しかけないでよ! 耳をそば立てているのに、聞こえないじゃない」 「しかし、上級聖女を婚約者に選んだのは失敗したなあ……まさかステファノを狸にするなんて」 「あなたに見る目がないからよ! その節穴のせいで、私の可愛い息子は死にかけたんですからね!」 「まあまあ、そう怒らずに。おかげでステファノは、自分で花嫁を見つけてきたのじゃろ?」 「ちょうど今、そのプロポーズを盗み聞きしてるんだから、静かにしてってば!」  マイペースすぎる国王と、それに切れ散らかしているベネデッタのやり取りは、たちどころにジゼッラを無我の境地へ押しやった。 (これが国で一番偉い国王陛下と、その寵妃の会話なんだ)  そう思うと、なんだかジゼッラは、悩んでいたのが馬鹿らしくなった。 (田舎町の夫婦ケンカと、何も変わらない。身分は違えど、どこの夫婦も似たり寄ったりなんだわ)  それなら、第三王子のステファノと田舎娘のジゼッラが夫婦になったって、いいんじゃないだろうか。  ジゼッラは腹をくくって、ステファノへ了承の返事をしようと顔を上げる。  すると――。  ひっくひっく……  深く考え込んでいたジゼッラには聞こえていなかったが、目の前ではステファノがしゃくりをあげて泣いていた。 「どうして……一世一代のプロポーズを、台無しにするんだよ。俺、けっこう頑張ったのに……」  強烈な両親の間で育ったにしては、ステファノはずいぶんまともだ。  いまだ、扉越しにぎゃーぎゃーと騒ぐ声がしている。  この状況が可笑しくて、ジゼッラはついに噴き出した。 「あは、あはは、なにこれ。変なの、もう、笑っちゃう」 「ぐすっ……ジゼッラの、笑った顔も好きだよ」  ステファノがまだ諦めずにプロポーズを続行しようとするから、ジゼッラは涙まで出てきた。  こんなに好かれているだけで、もう幸せは確定している。 「ステファノさま、私も好き。大好きよ」 「変な両親がついてくるけど、け、け、結婚して欲し……えええ?」  結婚と発音するのに緊張していたステファノは、ジゼッラの言葉を周回遅れで理解する。 「いいの? 俺と、結婚するんだよ?」 「いいわ、結婚しましょう」 「もう狸じゃないよ?」 「うふふ、知ってますよ」  いつまでも笑いが治まらないジゼッラ。  まだ現実味がないステファノ。  これが、狸と下級聖女として出会った二人が、身分違いの夫婦になった瞬間だった。
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