静まれ、俺の分身

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静まれ、俺の分身

 俺は息子のために将来について悲観すべきであろうに、小さなお堂にて野宿せねばならない状況に感謝する有様だった。  いや、俺が感謝しているのは、旅の道連れが出来た事だろう。  それも、美しきフォルミーカ様だ。  見ず知らずの俺を助けて傷の手当てをし、さらには肩を貸してくれた上に、飯まで食わせてくれた、という、天女様だ。  そして俺は、恥知らず様だ。  俺よりも確実に小さく細く美しき天使に肩を貸していただきながら、彼女の体の感触や立ち昇る爽やかで柔らかな匂いを堪能してしまったという変態だ。  彼女はそんな俺に何度も声をかけてくれたと思い出す。 「もう少しですよ。辛いですかい?ちょいと休みましょうか?」  具合が悪いのではなく、俺の助平心によるぐったりでしかなく、そんな俺を気遣う彼女は女神こそに違いない。  俺は下半身の大事な所が今にも身をもたげそうな奴でしかないのに!! 「お口に合いませんでしたか?」  俺はせっかくフォルミーカが作ってくれた団子が手つかずだったと、大変申し訳ない思いに襲われたまま頭を下げた。 「かたじけない。トルベ粉の団子は好物だ。ありがとう」 「いやですよぉ。名のある騎士様がそんなトルベ粉団子など食べた事など無いでしょうに」  トルベは税が掛からない雑草の扱いの穀物で、荒れた土地でも育つので末端の人間の主食となっている。そんなトルベ粉で作った団子を騎士でもあった俺が好物だなんて言った事がフォルミーカの気持を損ねたのだろうか。  俺はフォルミーカの言葉にトゲがあるように感じ、謝罪せねばとフォルミーカへと真っ直ぐに顔を向けた。  あ、フォルミーカの笑顔ってなんて破壊的に美しいんだ。  俺の心臓が一瞬止まった。  いや、この後すぐに俺の胸から心臓が飛び出すはずだ。  そんなカウントダウン的な鼓動を激しく打っているじゃないか。  ああ、俺はいったいどうしたのだ。  亡くなった妻にだってこれほど胸がときめかなかったであろうに! 「またそんな真っ赤になりなさって。気を使い過ぎなくて良いですよってだけですよ。不味ければ不味い。これは嫌い。そんな事も知らなければ、俺達はこれから夫婦の真似事なんかできないでしょうが」 「あああ、そうだな。互いを知らなければって奴か」  フォルミーカに気分を損ねられて怒られた方が良かった、なんて俺が思ったのはなぜだろう。  俺は俺のマントにくるまって寝ているディオンに視線を動かし、フォルミーカを一瞬で慕ってしまった息子がフォルミーカと別れる時にはどうなってしまうのだろうかと考えた。  フォルミーカは俺に夫婦として旅をしようと持ち掛けたのだ。  フォルミーカは裏社会の人間なのだそうだ。  そして俺達が王や主君に仕え派閥を作るように、裏社会でもそういった人間同士のつながりなどが存在し、義理を欠いたら大変なのだそうだ。  そしてこんな取引を持ち掛けたのは、俺こそ領地から追い払われただけでなく、その領地の者達から命も狙われていると彼女は分かっているのであろう。 「俺は世話になっていた西の顔役の顔を潰しちまったんです。回状持ちなんです。街道で西の顔役の手の者に見つかったら、俺は殺されてしまうんですよ。死にたく無いですねえ。それで、真っ当な旦那さん達を隠れ蓑に首都に行きたいって望んでいましてね。ほら、首都に逃げ込めば顔役が違う。安泰でしょう?」  俺は二つ返事で了解したが、だが、胸が痛むのはなぜなのか。  首都に着けば俺達は別れる。  大人の事情を知らないディオンが嘆くのは想像に難くないが、俺自身こそ泣いてしまいそうだと今から思うのはなぜなのか。  なぜでもない、妻が亡くなって三年、俺は今までどんな美姫にも心を動かされなかったのに、フォルミーカに一瞬で心酔してしまったのだ。  何て言う事。  俺は手に持っていたトルベ粉団子を恨みを晴らすようにしてかぶりつき、自分がなかなかこれを口にしなかった理由をすぐに思い出した。  忘れていた過去の味だ。  騎士の家に生まれても、貧しければトルベ粉団子ぐらいしか食べる物が無いのだ。  俺はトルベ粉団子を見て、自分が落ちた、と初めて自分の状況を思い知らされたのである。  首都で道場を開いている親友だった男の下で働ける、かもしれない、だけで金も持たず紹介状も無い自分が首都に向かっているだけなのだ。 「旦那は怪我人じゃないですか。お辛いなら無理しないで横になりなさいな」  俺の頬に冷たい指先が触れた。  俺の内情など知らないだろう優しいフォルミーカが、うだうだ落ち込むだけの俺の頬を優しく触れてくれたのである。 「ああ、熱がある。あの矢じりに毒が塗ってなければいいのだが」 「ああ、そっちは大丈夫だろう。だが熱はあるよ」  俺はフォルミーカの手を左手で掴んでいた。  戦地で死んでいく戦友が生き残った俺を労わってくれた時のように、今の俺にはフォルミーカの手がたとえようもなく尊いものであった。 「君には感謝してもしきれない。俺は君に何も返せはしないのに」 「旦那は真面目なお人だねえ。俺は回状持ちだと言ったじゃ無いですか。俺のせいで旦那も、可愛いディオンも危険が増えるんですよ。()いんですか?断れないように俺はお前さん達に優しくしているだけかもしれませんよ」  彼女は俺に彼女に恩義を感じる必要など無いと言いたいのだろうが、俺は彼女の言葉で彼女にさらに惹かれてしまうだけだった。  何もできずに逃げるだけの存在になってしまった俺なのだ。  回状持ちのフォルミーカのせいで俺と息子が死ぬ可能性がある?  それこそ俺の願う事だ。  情けなくも人生から逃げてばかりの俺の背中ではなく、俺が死んだとしてもフォルミーカを守った男としての背中を息子に見せてやれるのだ。  俺はフォルミーカの手をさらに強く掴むと、その手を自分の方へとグッと引いた。フォルミーカの上半身が俺に被さってしまうくらいに。  俺は俺に近づいてきたフォルミーカの唇に自分の唇を重ねていた。  俺の口の中でフォルミーカの驚いた吐息が漏れた。  その口の中に俺の舌が入り込む。  彼女の小さな歯をなぞってやった次の瞬間、俺はフォルミーカに殴られて横倒しになっていた。 「な、なななな何をしてくるんだ!」  無体な事をしてきた俺を真っ赤に茹った顔で叱りつけてきたフォルミーカは、なんと可愛らしいのであろうか。  俺は床に転がりながら笑っていた。  こんなに笑いたいのは何年ぶりなのだろうと思いながら。  俺はした方なのに、された時のように体が快感で痺れてしまっているんだ。
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