9人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
シリルは煮ても焼いても危険
突然に口づけて来た男を殴ってしまったが、シリルは悪びれるどころか嬉しそうに大声を上げて笑うだけだ。
その声が素晴らしいと思ってしまった自分も殴りたいが、シリルはここで俺にキスをしてきた理由を弁解してきた。
「俺は君にならばいくらでもキスが出来るとわかった。君の夫として振舞う事など朝飯前だろう。これならば俺達は安泰だな」
俺はシリルを睨みつけた。
彼は俺の提案を曲解していやがる?
「旦那ぁ、勘違いなさっていらっしゃるようですけどねえ、俺が言っていますのは、便宜上夫婦として名乗って宿に泊まったりしましょうや、ということですよ。夫婦生活など提案してなどおりません」
「宿に泊まれば部屋は一緒だ。仲睦まじい夫婦を演じるならば、キスぐらいできる関係の方が気安かろう」
「騎士の妻が人前でキスなどするか!!」
シリルは口元に拳を当てて、う~んと悩んだ素振りを一瞬した後、悩む必要など無かったでしょうという台詞を返して来た。
「酔客にキッスして見せろと絡まれたらどうする?」
「そんな恥知らずとは思わなかったと、俺は旦那を殴ります」
「あ、そうだ。騎士の妻ならば君はわたくしと言わねば。それよりも、俺達が商人か渡世人の夫婦を演じれば良いじゃないか!!」
「――そんなにキスがしたいのか?」
シリルは俺がうっとりしてしまう笑みを顔に作った。
誰がこんな男を作ったのか。
こんな男だから同僚に疎まれて領地から追い出されたのでは無いのか?
「ハハハ。冗談だ。それからキスしたことは謝罪する。君が美しくて優し過ぎたから俺は自分を止められなかった。惚れたんだ」
……。
…………。
はい?
俺は目の前の巨体をまじまじと見つめる。
あっけらかんと俺に惚れたと言って見せた男は、言いたいことを言えたから腹が空いたという風にトルベ粉団子を齧り始めた。
それも、美味しそうに。
本当に好物だったのであろうか。
だとしたら、トルベ粉団子を目にした時に死んだ目に奴がなったのは、一体何だったのであろうか。
「騎士の家でもね、賭け事ばかりで散財するばかりの男が父親だったりすると、子供はトルベ粉団子で腹を塞ぐしかないものだよ」
俺は無言だったはずだが、俺の疑問に答えるようにシリルは語った。
シリルはきっと優秀な騎士であったのだろう。
これは俺の表情の変化に気が付いたからである。
俺は、彼の周囲への目配りはかなりのものだなと思っただけでなく、仲間ならば安心だが、敵に回したら危険だな、とシリルに初めて警戒心が湧いた。
だから意地悪心が湧いたのだろうか。
「そうか。お前さんが絶望したような眼つきをしたのは、それでだったんだねえ」
俺はどうしてシリルに意地悪を言いたかったのだろう。
シリルは俺の父では無いというのに。
俺の父は剣の腕でのし上がっただけだから、いざという時に助け手などいなかった。だから、俺や母を助けようと動いてくれた人がいなかった。
シリルは俺の父と同じ環境でも、俺の望んだ父の生きざまを見せてくれるが、だからこそ、父に裏切られた自分が悲しいと思うのか。
だから俺はシリルを傷つけたくなるのか。
「――君の言う通りだ。俺は辛かった。俺は過去に引き戻されて、それで今がどん詰まりだって思い知ったんだ。初めてね」
「え?初めて思い知った?旦那はどれほど楽天家なんだい」
シリルは印象的な大きな瞳を、さらに大きくした後、小さなお堂が壊れてしまうくらいの大声で笑い出した。
「ちょっ、ちょっと、ディオンが起きてしまうだろ」
「いやあ、ハハハ。俺はやばいなって思ってさ。こりゃ笑い飛ばすしか無いだろ?」
俺は首を横に振っていた。
シリルの笑い声は心地良かった。
俺の暗い思いを吹き飛ばしてくれたような小気味よさがあった。
「いいやあ。旦那の笑い声は良いなって思ったさぁ。なんていい声だろうってね。そのいい声で啼かしてやりたいって思ったねえ」
俺はシリルの顎を指先で持ち上げ、彼の唇に自分の唇を重ねた。
「フォルミーカ?」
シリルは狼狽した声を出し、俺はついでと言う風に左手をシリルの下半身へと伸ばしていた。
くすぐってやろうとそれだけだったが、俺は彼のものを直接つかむどころか猛々しくなっていると知っただけだった。
もう、驚きのまま火傷した様に手をひっこめるしかない。
怪我人のくせにこんなに猛々しくおっ勃てやがって!
「フォルミーカ?」
今度の彼の声は笑い声を含んでいた。
「シリル、俺は可愛い息子の為に馬鹿亭主の熱さましの薬を作らないといけないみたいだ」
シリルは大きく馬鹿笑いをし始めた。
黒曜石のような瞳はキラキラと輝き、高い頬骨も意志の強そうな顎も、なんて羨ましいほどに良い男の顔をしているのだと憎らしく成程だ。
畜生、本気でいい声で笑いやがる。
最初のコメントを投稿しよう!