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上書きされる。能力が上重ねられ、記憶が上重ねられる。旧と統合される過程で、多重人格のように記憶が乱れる。
燃え盛る業火が見えた。絶望の声。人々の叫び──
これは誰の記憶だろう……
爆発。肉片が飛び散る。白じらと輝く刃先が顔面に迫る──
何処の戦場だ? この光景を最後に見た者は――
数時間経過後、ゴボゴボと液体が排出される音で我に返った。
数十年も経った気がする。いつもそうだ。さまざまなヒトの記憶が流れ過ぎる。これは何十回目の誕生だろうか。
槽を出た劉にバスタオルが掛けられた。黒子が二人がかりで羊水を拭う。
目前の水槽に浮いていたイブは、分解されて遺伝子を抽出され尽くし、灰色の澱となって底に沈んでいた。
ワタシの一部になれたのだ。光栄に思うがよい。
劉はガウンを纏い、ラボを見渡すソファへ移動する。
大理石のローテーブルで、フルートグラスに注がれたシャンパンが一筋の泡を立てていた。
オレンジの空間。黄昏に沈むようなストック体の林は壮観だ。
膨大なDNAの畑。次に取り込む強さはどれにしようかと、セレクトを愉しみながらグラスを傾ける。
かつてあそこに浮いていた幾多の強者たち。その集積体がワタシなのだ。
ワタシ……ワタシとはいったい何だ?
上書きに上書きを重ねた末、大元の自分が何だったのか忘れてしまった。
強さだけを溜め込み感情がすり減り、普遍の憎悪だけが濃縮されてしまった。
ワタシは誰だった……?
さざ波のように思考が揺れる。時に、凍りつくような怯えが背筋を奔る。
だが、怯えなどという弱い感情は、重ねられた憎悪がたちまち呑み込む。憎悪はなによりも強大な力となり、ワタシを支配する。
ふふ。怯えは気のせいであったかのように消え去り、傲岸な嘲笑が戻る。
右手を上げる。5つの爪は意志に応じ数十センチも伸びた。鞭の弾性をもつ。
ヒュンと一振りしてみた。
シャンパンを注ぎ足そうとした黒子の首が、稲穂のように刈られて飛んだ。
切断面からほとばしる血液のシャワーをグラスで受ける。吸血鬼さながらに啜る。
これが新しく手に入れた能力──イブの爪だ。
いとおし気に凶器を眺めた後、巻き込むように指へ戻した。
はは。あははは。
バージョンアップした男は、より強くなった。取り込んだ生命力が細胞を若返らせる。万能感が充ちる。
歓びが笑いとなって躰の奥底からこみ上げる。
あはははは。
無敵の笑いがラボに拡がる。その笑いを、水槽に浮かぶストック体たちが聞く。
虚しさと戸惑いを感じる僅かな人格たちが、劉の中で微かに身じろぎする。だが、不遜な男は黙殺する。そんなモノ、ただのノイズだ──と。
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