ラブ・パニック

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 ずしりと重い扉の左側を両手でスライドさせ開く。この扉ってこんなに重いんだ。普段誰が開け閉めしてんのかな。なんて、ヘンテコなことを考えながら、少し乱れた息を整えて中へと入る。  たっぷりと西日が差し込む夕暮れの体育館は、なんだか似合わない静寂に包まれていた。今週は試験期間なので、私の所属するバドミントン部を含めた全ての部が活動禁止となっている。二階の大きな窓からフローリングへと伸びる光の筒の中に埃が舞っていた。  いつもとは少しだけ違う表情を湛えたこの場所の、私のいる入り口とは反対側にあるステージの上で彼が待っていた。少し汚れた体操着を纏って。 「ごめんね、遅れちゃって」  私は、ステージへと早足で駆け寄りながら、まだ遠い彼に小さく手を振る。  ステージ横の壁に備え付けられた大きな時計は、午後四時十五分を指している。「こういう時は女の子は少し遅れていくものだよ」と楓ちゃんのアドバイスを馬鹿正直に守ってみたのだけれど、十五分は少しやりすぎたかもしれない。  脇の階段からステージに上がろうとする私を、彼はいつもの優しい手振りで制し、その手に促されるように私はステージ下、彼の真正面に位置する場所へと立ち、斜め下から彼を見上げた。  同じクラスの隼人くん。派手なタイプではないけれど、その高い背丈と、涼しい瞳、男子にしては長めの色素の薄い髪と白い肌。優しい雰囲気の中にどことなくミステリアスな空気を醸し出す彼は、女子の間では密かな人気を誇っている。  そんな彼に、今日、この場所へと呼び出された。  彼がステージの最前に立つ。静寂の体育館の中、たった一人の観客である私を見下ろし、小さなラジカセを隣に置いて、まるで決意と緊張の入り混じった選手宣誓のような面持ちを見せる。喉仏が上下し、ごくりと唾を飲むのがわかる。釣られて私も唾を飲む。  彼が口を開く。声変わりしたばかりの甘く低い心地の良い声がこの広い空間に響く。私は大きく息を吸い込む。どんな言葉も、全て受け入れる。ささやかな不安と、大きく膨らんだ淡い期待で全身が痺れる。 「あなたのことが好きです」  彼は私の名前を強く呼ぶと、間髪を入れずにそう叫んだ。二人ぼっちの世界にシンプルな愛の言葉が響く。魔法にかけられたように全身が床から浮く。浮く気がする。心臓が飛び出る。出る気がする。たった一つの言葉で、私は空すら飛べる気がした。  あぁ、こんなにも、こんなにも誰かに愛されると言うことは嬉しいことなのか。ううん。きっと違う。誰かにじゃない。彼にだからなんだ。  彼は白い頬を赤く染めながら続けた。私と初めて会話した日のこと、好きになった日のこと、想いが溢れて止まらないこと、言葉では表現し尽くせないその想いをダンスにしてみたこと、今から踊るのでそこで見ていて欲しいこと、それじゃあいきます、ミュージックスタート……。 「ちょちょちょちょ!!!」  オレンジに染まる体育館に私の素っ頓狂な声が響き渡った。  しゃがみこんで今にもラジカセの再生ボタンを押そうとしていた彼がキョトンとした彼でこちらを見る。  いや、へ?みたいな顔やめてちょっと。へ?じゃないのよ。それはこっちの感情なのよ。なんで止めないと思ったのよ。いやこれあれか?私の聞き間違いか?うん、そうだよね。多分なんか勘違いだよね。 「あの……ダンスって言った?」  彼がにこりと微笑み優しく頷く。  おぉ……そうすか。聞き間違いじゃないっすか。そうっすよね。ラジカセありますもんね。なんだろっって思ってたもんそれ。あとなんで体操着なんだろってのも思ってたよ。ラジカセ置いて体操着でステージ上でってもうそれラジオ体操だし。  私はできる限り言葉を選びながら声を絞り出す。 「あ、あの……私、ダンスとかちょっとその……」  ああああ違う。違うんだよ。別にダンスが嫌とかダンスしてる人を馬鹿にしてるとかそんなんじゃないんだよ。だからそんな散歩に行けない犬みたいな目で見ないで。隼人くんごめんね。違うの。私、あまりのことに今ちょっとパニックで、だからこの感情を言葉でうまく紡げないの。 「ごめんなさい。私、ダンスとかミュージカルとか……そういう芸術?の教養がないから……多分その、表現を全部理解できないかもっていうか……その……」  私が両手をワタワタと振り、途切れ途切れに発するその言葉に、彼はラジカセに手を置いたまま穏やかに耳を傾けてくれている。やっぱり彼は優しい。その優しさで再生ボタンの上に置いた指を離して欲しい。いつそこからダンスミュージックが流れ始めるかと思うと気が気じゃない。そのビートに乗って彼が私への恋心をダンシングし始める姿を想像するともう耐えられない。 「ていうか……なんでダンス……?」  なんか思わず核心を突いてしまった。やばい、だめだ、フォローしないと。 「あっ、いや、こういうのって普通、歌とかじゃない?オリジナルソングっていうか……いや、オリジナルソングでも大概アレだけどさ……ああ違うよ!?全然馬鹿にしてるとかじゃなくてね!なんでその……想いを、わざわざ……ダンスで表現って……その……」  猛烈な勢いで掘った墓穴に、勢いそのままにダイブするかのような言葉を撃ち続ける私。だめだ。私は口下手でいけない。彼を傷つけないようにと思うほど言葉が意図しない方向に尖ってしまう。  あわわわわわわわ。と己の言葉に混乱する私を見て彼は一つ息を吐いて静かに立ち上がる。よかった、ラジカセから手が離れた!ありがとう!助かる!  そして、再びステージの上から選手宣誓のような雰囲気で私の名前を叫んだ。  「あなたを、愛しています」  彼は間髪入れずにこう続けると、私と初めて会話した日のこと、好きになった日のこと、想いが溢れて止まらないこと、言葉では表現し尽くせないその想いをダンスにしてみたこと、今から踊るのでそこで見ていて欲しいこと、それじゃあいきます……。 「なんでなんでなんでなんで!!!!!!」  私は泣き叫ぶようにしてステージ下から、ラジカセ前にしゃがみ込む彼の足元に縋った。  なして!?なしてそげんこつすると!?なして改めて同じ流れ繰り返したん!?なんでリピートしたん!?再放送したん!?やめて!しゃがまないで!その綺麗な指を古臭いラジカセの再生ボタンの上に置かないで!私、あなたのこと好きなの!かっこいいもん!優しくて、イケメンで、なんか繊細そうで、少女漫画のキャラみたいで、超かっこいいから好きなの!だからお願いやめて、かっこいいあなたのことが大好きな私の前で想いを込めた創作ダンスだけはやめて!!わけわかんねえから!!!!!!  しかし、そんな私の想いは儚くも汗の染み込んだ体育館の壁へ床へと消えていく。そう、彼の人差し指はすでに再生ボタンを深く押し込んでいたのだ。  無情にも二人の世界に音楽が満ちていく。  ズンズンチャッ、ズンズンチャッ、ズンズンチャッ、ズンズンチャッ…………。  えっ、まって。これって……クイーン!?  絶対クイーンだよね!?クイーンのあの、なんか曲名わかんないけど、チャーラーチャーラーロッキュン!ってやつだよね?  えぇ〜……なんでこれにしたんよぉ。ロックすぎるよぉ。中学生が同じクラスの女子に想い伝えたくてこれにダンスつけるって多分フレディマーキュリーでも理解できないってぇ。もう無理だよぉ。私耐えられないよぉ。サビのロッキュン!のとこでキメのステップ入れられたら終わりだよぉ……。  しかし、現実は残酷で、神は私の心の声を嘲笑うかのように彼にダンスを始めさせる。ビートに合わせて、フレディの声に合わせて、私の大好きな人の四肢が動く。筋肉が弾む。口元が歪む。ステージが軋む。もう、限界だった。  私は体育館の床に膝から崩れ落ちると、フレディに負けないような声で叫んだ。 「いやぁあああああかわいいいいいいいいいい!!!!!尊いぃいいいいいいい!!!なにこれええええええ!!」  ダンス、めっちゃぎこちない!多分めっちゃ下手!私への想いとか、ぜんっぜん伝わらん!わけわかんねえ!動き、すげえ滑稽!その膝の動き何!?何を表してるの?でも、そんなん全部ひっくるめてめっちゃかわいいいいいいいい!あんなにミステリアスキャラだったのになんか体操服で必死に踊ってるうううう!!言葉で言えばいいのに!!てか割と言ってたのに!!なんで踊るんだよぉおおおかわいいいいいいいいいいいい!!!!  ああやっぱりこうなった。だから嫌だったんだ。だから止めたかったんだ。こんなん想像しただけでかわいいしか出てこんもん。胸がギュルンギュルンする。てか二番入ってるのにまだ踊ってるうううかわいいいいいいい。 「ぎゃわいいいいいいいいいどうどいいいいいいいいいい」  想いが溢れてそれ以外の言葉で表せなくなった私は、せめてこの愛を身体で表現しようと床に突っ伏して彼を拝むように手を合わせ叫び続ける。  弱くなってきた西日の差し込む体育館のステージで、まるでその光をピンスポットのように浴びながらクイーンをダンシングし続ける彼と、その下で土下座しつつも上下左右に身体を揺らし何かを叫んでいる私。  それは、心配でこっそり様子を覗きにきた楓ちゃんの頭を混乱させるには十分すぎる光景だったそうで……。  
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