第10話「製品開発会議」

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第10話「製品開発会議」

 従業員のみんなに二輪車を体験してもらった翌日、私は案の定全身筋肉痛に襲われ、リファに支えてもらいながら工場へ出勤した。 「お、おはようございます」 「おはようござ――うわぁ、奥様!? だ、大丈夫ですか?」  よろよろと覚束ない足取りで中に入ると、アンリが目を丸くして飛び上がる。一つしか歳も変わらないのに、彼女は全くもって元気そうだ。他の女性陣も普段から畑仕事や家事で体が鍛えられているのか、私のように情けなくダウンしている人はひとりもいない。  ひとまず工場の奥にある部屋へと向かい、アンリたちにも集まってもらう。ヴィクターがいつの間にか用意してくれた工場長の執務室だ。会議や応接もできるように立派なテーブルまで用意されていて、無骨な機械が並ぶ工場の中では異質な雰囲気を放っている。 「ふぅ、疲れた……」 「まだ始まってすらいませんよ」 「分かってるわよ」  ツンツンと言葉の棘で突いてくるメイドに唇を尖らせつつ、彼女が淹れてくれた紅茶で心を落ち着かせる。それから、全員に紅茶が回ったのを見計らって、私は早速切り出した。 「それじゃあ聞かせてもらいましょうか。昨日の体験でなにか思ったことはある?」  リファの言う通り、ここからが本番だ。アンリたちに蒸気駆動二輪車を体験してもらい、その感想を聞く。彼女たちの生の声を製品の開発に活かすのだ。  テーブルの上で指を組んで反応を待つ。けれど、従業員たちは顔を見合わせ、言いあぐねているようだった。  まだ、私と彼女たちの間には深い溝がある。  少し落胆しながらも、私はひとまずアンリに目を向けた。 「なんでもいいわ。どんな些細なことでも」 「ええと……」  アンリは薄氷を踏むような表情で、ひとつひとつ言葉を選びながら話し始める。 「その、とっても素晴らしいものだと思いました。すごく速かったし、気持ちよくて」 「うんうん」  彼女は二輪車の疾走感を気に入ってくれたらしい。そういえば、昨日の段階で一番スピードを出せていたのはアンリだった。この後も何度か乗って慣れていけば、もっと軽快に走ることもできるだろう。 「目的地まですぐに移動できると思います。いいと思います」 「うん……」  けれど、アンリから聞けたのは賞賛ばかり。そこに引っかかってしまう。  彼女の表情はどこか硬くて、視線もこちらに向いていない。口の中で言葉を捏ねているような印象も受けた。私は不安になって、もっと深い意見を尋ねてみる。 「その、悪かったところはない? 乗り心地とか、ギアの引っ掛かりとか」 「そ、そんな! 奥様の作品に文句なんて……」 「そこよ!」  俯いて指を絡めるアンリに、思わず強い勢いで声を発した。彼女は大きく肩を跳ね上げて涙目になる。 「ごめんね。でも、私が作ってるのは作品じゃないの。製品を作ろうとしてるのよ」  怯えるアンリに周囲の女性たちにも緊張が走るなか、私は謝りながらも訂正する。  作品ではなく、製品。そう言うと、彼女たちは怪訝な顔をした。 「女が作った蒸気機械。確かにそれだけで立派なものだと褒められるわ。でもね、それだけじゃダメなのよ」  蒸気機械は男が作り、男が使うもの。それが常識だ。けれど、私は次の蒸気博覧会でその常識を打ち破る。蒸気機械は女が作ってもいいし、女が使ってもいい。  けれど、そのためには一品物の作品ではダメだ。それは女性が作った蒸気機械として象徴的な存在にはなれるかもしれないけれど、女性が使う蒸気機械にはなれない。  作品ではなく、製品。商品として流通し、日常的に使われるもの。それが私の目指すもの。 「それじゃあ、質問を変えましょう」  あの二輪車に乗って、私の仕事を褒められても意味はない。確かに嬉しいけれど、私が満足するだけではダメなのだ。 「みんな、畑仕事はするよね」  七人全員が頷く。トリセンド家の屋敷近くの農村からやって来ている彼女たちは、普段は家の仕事を手伝っている。畑を耕し、小麦の種を蒔き、雑草を刈り、収穫。脱穀や製粉なんかもあるはずだ。 「その時にあの二輪車は使える?」  七人全員が首を横に振った。アンリを含めた何人かは、直後にはっとして目を開いたけれど、それが率直な意見というものだ。  つまり、彼女たちはあの二輪車は実用に耐えないとすでに判断していたのだ。否定してからはっとする従業員たちに、私は思わず口元を緩めてしまう。ちゃんと答えはあったんだ。 「その理由を教えてちょうだい。どうしてあの二輪車は畑仕事に使えないの?」  アンリたちは困ったように眉を寄せる。けれど、私が何を聞きたいのか、それは理解してくれた。  意を決して口を開いたのは、七人の中心的なポジションに収まっているマールだった。 「どうしてと言われても、あの二輪車じゃあ荷物は運べないよ。それなら、牛に車を繋いだほうがいい」 「土を耕すのも難しそうだねぇ。あたしが乗っただけで苦しそうだった」 「そりゃアンタが重いだけでしょう。それよりも、跨るのが大変だね」  マールの発言を皮切りに、続々と意見が出てくる。やっぱり彼女たちはしっかり考えてくれていた。あの二輪車を自分の生活に取り入れることができるのかと。  その結果、あの二輪車は実用には足りえないということが分かった。 「ありがとう、みんな。どれもいい意見だわ」  ひとつ、ふたつと意見が出れば、止めどなく後が続く。私はリファがしっかりと書き留めてくれているのを確認し、徐々に白熱していくマールたちの討論に耳を傾けた。 「平らなところで乗る分には楽しいけど、石が転がってるデコボコした道じゃ、ちょっと怖いわね」 「あれに乗って人前に出るのは恥ずかしいと思う……」 「うんうん。そういうのが欲しかったのよ!」  溢れ出す意見を、私は慌てて書き留める。二輪車は玩具としては物珍しくて楽しがられたけれど、実際に生活の場に取り込めるかという点で考えると厳しい評価が下される。蒸気機関は男の使うもの、という常識以前の問題だった。そもそも町で乗り回すような機械は、彼女たちにとって無用の長物だったのだ。  それならば、よく考えないといけない。ただの娯楽としての二輪車を生活の助けにするためにはどうすればいいのか。  いつしか私は筋肉痛の苦しみも忘れて夢中になっていた。マール達からも次々と意見やアイディアが飛び出してくる。私たちの二輪車開発は、ここからようやく始まったような気がした。
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