第12話「原点回帰の三輪車」

1/1

16人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

第12話「原点回帰の三輪車」

「お嬢様、本当にその格好で出られるんですか?」  部屋で支度を整えて、工場へ行こうとしていると、後ろから追いかけてきたリファが、信じられないと目を丸くする。 「もちろん。工場にあんなヒラヒラした動きにくい服装は危険でしょ」 「そうかもしれませんが……。もう少しお淑やかな格好をですね」 「これが一番しっくりくるのよ。信頼性は歴史が裏打ちしてくれてるし」  そう言って、私は両手を広げて今日の装いを見せつける。リファは額に手を当てて項垂れているけれど、反論の言葉は見つからないようだった。  丈夫な厚手の生地でしっかりとした縫製のツナギ。それが今の私の服装だった。工房のお爺ちゃんから貰ったもので、嫁入り道具の中にもこっそりと忍ばせてきていた。油汚れと一緒に私の汗と涙も染みついた、愛すべき相棒だから。  マールたちから二輪車に対する率直な意見を聞き出し、ようやく私は製品開発の土台に立てた。ここから本格的な事業が始まるというのに、一人だけドレスなんか着て偉そうにしているわけにはいかない。そもそも、あの工場では私が唯一の技師なのだ。 「おはよう!」 「おはようございます、奥様――うわああ!?」  屋敷のすぐ隣にある小ぶりな工場へと踏み入ると、すでに出勤していたマールたちが振り返る。工具や部品の整理をしてくれていた彼女たちは、振り返るなり大きな声をあげて飛び上がった。  後ろから、「だから言っただろう」とでも言いたげな視線を感じる。 「ど、どうされたんです奥様。その格好は?」 「今日から私も本格的に作業に参加するからね。動きやすい服装じゃないと危ないもの」 「はぁ……」  ツナギを着る女性、それも貴族令嬢なんてまずいない。マールたちの反応が正常であることは私も分かっている。けれど、私はそんな常識を破壊するためにここにいる。  蒸気機関を扱う作業が始まれば、スカートなんかは巻き込まれる可能性も出てくる。そうなれば重大な事故の元だ。マールたちも動きやすい作業着とはいえ、さすがにズボンを履いているわけではないから、工場内の一区画には立ち入らないように厳命しておく。そこで私が動作確認などをするから。  蒸気機関を扱う作業は危険も多い。男性の仕事とされてきた理由の一つでもある。だからこそ、マールたちにはいろいろな規則を覚えてもらわないといけない。  まあ、それは追々として今日はまだ話し合いがメインになるんだけど。 「みんなから貰った意見をまとめて、改善案を練ってみたの。ちょっと見てもらえるかしら」  作業台の天板に紙を広げると、アンリたちがぞろぞろと近寄ってきた。彼女たちも、自分の意見がどう反映されているのか気になっている。  そもそも図面を見たことがない彼女たちにとっては、二輪車の簡単な姿でも読み解くには時間がかかる。そんな中でも最年少のアンリはいち早く変化に気がついた。 「これ、もしかして三輪車になってますか?」 「鋭いわね。正解よ」  試乗の中で多く出た意見として、二輪車は怖いというものがあった。勢いさえ付けば安定もしていて、慣れれば気持ちいいくらいなのだけど、それでも初めて蒸気機関に触る女性たちにとっては取っ付きにくい存在だった。だから、まずは駐車状態でも安定する前方一輪後方二輪の三輪車の形に変えてみた。  形状を変えたことのメリットは、安定したことだけじゃない。後部スペースに余裕ができたから、より馬力の出る蒸気機関を積むことができるのだ。  これなら畑に続く畦道のような不整地でも、しっかりと進むことができる。  さらにさらに、もう一つ利点はある。 「これ、乗り降りも楽そうでいいわねぇ」 「跨らなくて済むのは使いやすそうね」  目ざとく気がついた人もいる。そう、シートの横幅にゆとりができたおかげで、一般的な二輪車のように車体にまたがる形ではなく、椅子型の座面にそのまま座ることができるようになっていた。  これならスカートの女性でも安心して使うことができる。 「でもこれ、なんだか時代の逆戻りって感じがしますね」 「うぐぅ」  マールたちは感心してくれたのに、すぐ後ろから鋭い言葉が突き出される。思い切り痛いところを突かれてしまった私は、声の主のリファを睨んでうめいた。  彼女の言葉は正しい。三輪車は、二輪車が主流になる前に開発された製品だ。だからこの図面に描かれているものは、世代を落とした模倣品でしかない。 「そ、そんなことないですよ! ほら、ちょっと古風な雰囲気も落ち着いていていいですし」 「昔懐かしい、みたいな?」 「みんなの優しさが逆に辛い……」  慌ててアンリたちがフォローしてくれるけれど、それもまた身にしみる。というより、彼女たちにとっては二輪車だろうが三輪車だろうが、縁のない蒸気機関であることに変わりはないのだろう。  ぎりぎり致命傷といったところで持ち堪えながら、私は図面に手を突く。 「確かに形は旧式だけど、私は愛で勝負するわ!」 「お嬢様……」  リファの視線が冷たい。にっちもさっちも行かなくなって変なことを言い出したとでも思っているのだろう。けれど、そういうことを言いたいわけじゃない。 「二輪車だと転けるかもしれないという恐怖がある。それを取り除くため三輪車にしたの。馬力も出るし、座席にも工夫ができる。細部をよく見てみれば、ただ昔の蒸気駆動三輪車をそのまま持ってきたわけじゃないと分かるはずよ」  逃げた上での三輪車じゃない。理由を持って選んだ三輪車なのだ。  そこの違いを力説しても、リファにはあまりピンときていないようだけど。とにかく、まずはこの図面に沿って二輪車の改造を進める。実物ができれば、彼女もきっと分かってくれるから。 「見てなさい、リファ。ぎゃふんと言わせてやるんだから!」 「なんで私が悪者になってるんですか……?」  眉を寄せるリファに背を向け、工場の奥に仕切った工房に向かう。ゆくゆくは他のみんなにも機械の組み立てなんかをしてもらいたいけれど、今は私が全てしなければならない。一年後に向けて、とにかく時間が惜しいのだ。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加