第6話「目標は蒸気博覧会」

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第6話「目標は蒸気博覧会」

 工場が完成するまでは暇を持て余すかと思えば、そういうことは全くない。そもそも嫁入り直後というのは普通にしていても忙しいものなのだ。一応は貴族の出身ということで各所に挨拶へ回らなければならず、屋敷での暮らしについても色々と考えなければならないことは多い。  そして、その合間には工場完成までの間にやらなければならない事として、ゴルドーから蒸気機関や緑光石に関するレクチャーを受けることになっていた。 「というわけで、よろしくお願いします」 「……おお」  ヴィクターは仕事で忙しく、リファも使用人として屋敷を駆け回っている。そんなわけで私は一人で敷地内の緑光石製錬所へとやって来た。  工場の奥から出てきたゴルドーは、そんな私を見て立ち尽くす。何やらまじまじと、熱心に私の体を見ていた。 「どうかしました?」 「いや、なんというか。前と雰囲気が違うような」 「ああ。確かに今日は作業着ですしね」  ゴルドーとの初対面は貴族令嬢バージョンの姿だった。けれど、今日からは本格的に作業をすることも考えて、動きやすい作業着姿だ。当然化粧も落としている。  長い焦茶色の髪はまとめて帽子の中に入れて、少年のような格好だ。お母様に言わせれば、とても貴族の令嬢とは思えないような泥っぽい姿。 「女って怖えな……」 「失礼なこと言ってます?」 「驚いてるだけだよ。というか、敬語はやめてくれ」  ゴルドーはTSFの社員で、私はヴィクターの嫁。しかし、彼は私の指導者にもなる なかなか奇妙な関係だ。そもそもゴルドーは堅苦しいことが嫌いなタイプなようなので、お互いに砕けた言葉にしようということで一致した。 「はぁ、全く。貴族のお嬢さんが機械いじりとはね」 「私はこっちの方が性に合ってたのよ」  聞き慣れた言葉に思わず笑ってしまう。工房の爺ちゃんやお姉様たちにも幾度となく言われたものだ。  私が初めて蒸気機関に出会ったのはまだ6歳とか7歳とか、それくらいの頃のこと。王都の方で大きな蒸気機関の博覧会があるということで、父に連れられて見に行った。 「そこで見た蒸気自動車や空中戦艦は、とっても美しかったわ」  お姉様たちはむしろ怖がっていたように見えたけど、私にとっては可能性の光のようだった。翼を持たない人でも自由に空を飛び、どこまでも駆けることができる。蒸気機関は人類の可能性を押し広げる夢の存在だ。  何より、力強く動く機械に人々が圧倒されていた。輝かしい未来を肌で感じて、無意識に笑顔を浮かべていたのだ。そんな様子を見て、私も嬉しくなった。 「まあ、その時あんまり人混みが多すぎて、迷子になっちゃったりもしたんだけど」 「それでいいのか、貴族令嬢」 「親切な人に助けられたし良いのよ。こうしてちゃんと生きてるわけだし」  ともあれ、いろいろな意味であの蒸気博覧会は私の記憶に刻み込まれた。あの時の衝撃と感動を、私は一生忘れることはないだろう。 「しかし、蒸気博覧会か……」 「行ったことあるの?」  腕を組むゴルドーは、当たり前だろうと呆れた声を出す。トリセンド家の主任技師が行っていないわけがない。というか、観客よりも主催者側に近いはずだ。 「もうすぐ、次の博覧会があるんじゃないのか?」  蒸気博覧会は四年に一度、王都で大々的に開催される。蒸気機関の発展と王国の繁栄を示す重要なイベントだ。もちろん、トリセンド家のTSF社は中心的に関わっており、今年もみんなをあっと驚かせるようなものを出してくるはずだ。 「博覧会か。楽しみねぇ」 「よし、じゃあそこに何か出品できるものを作ってみればいい」 「はぁ……。はぁっ!?」  ゴルドーの言葉に耳を疑う。  蒸気博覧会はまさに業界最先端の技術が一堂に会する大祭だ。そんなところに私が出品を? できるはずがない! 「無理よ。私は趣味で機械をいじってただけだし、そもそもあと一年もないでしょ」 「ずいぶん弱気だな。せっかく旦那から工場まで貰うってのに」 「それは……」  ヴィクターは私に、新しい蒸気機関を作れと注文してきた。貴族の令嬢という特異な立場から見た蒸気の世界を。  蒸気博覧会は蒸気機関の発展とその先にある新たな世界を見せるイベントだ。人が空へとあがり、鳥の景色を見たように。蒸気と歯車、そして緑光石の輝きが新たな世界へと誘う。 「できないのか?」 「分かったわよ。それなら、私は次の蒸気博覧会で素晴らしい製品を発表してみせるわ!」  売り言葉に買い言葉。我ながら乗せられやすい。  あまりにも短絡的で、無貌な啖呵だ。  でも、それくらいのことはしないと、とも思っていた。蒸気王トリセンド家の嫁になるなら、それくらいの力は見せないと。 「よく言った! さすがはシャーロットだ」 「うわぁっ、ヴィクター様!?」  立ち上がり、鋭くゴルドーを指差したその時、背後から手を叩く音が響く。驚いて振り返ると、仕事をしているはずの旦那様――ヴィクターがにこやかに笑みを浮かべて立っていた。 「い、いったい何時から……」 「博覧会の思い出を語るところからかな」 「始めの方じゃないですか!」  まさか聞かれているとは思わず、頬が熱を帯びる。というか仕事はどうしたんだ。 「とにかく、シャーロットの言葉は気に入った。次の博覧会に向けて、ぜひ出品できる物を作ってくれ」 「うぅ……」  雇い主に聞かれてしまっては、今更取り消すこともできない。私は弱りきったまま、頷くしかなかった。 「ちなみにゴルドー。ウチの目玉の製作期間はどれくらいだったっけ?」 「構想に七年、製造に着手して十年ですね」 「十七年!?」  さすがはトリセンド家の目玉製品というべきか、あまりにも桁違いなスケールだ。というか、そんなものが他の会社からもドンドコ出てくる中に、構想から製作まで一年以内という条件で張り合わないといけないの?  十七年っていうと、私が初めて行った蒸気博覧会の時にはもう温めていたアイディアがようやく結実したということかしら。 「あの、旦那様……」 「ヴィクターでいいよ。ゴルドーだって呼び捨てなんだろ」 「あ、はい」  なんでこの人はちょいちょいゴルドーと張り合ってるんだろう。  まあ名前で呼んで良いならそっちの方が楽でいい。お母様がここにいれば目を尖らせて注意してくるだろうけど。 「ヴィクター、やっぱりちょっと時間が足りないような気がするんですが」 「ウチの設備、人、過去の資料。そういうものも自由に使って構わないからね」  キラキラと白い歯も輝く満面の笑み。  私はそれ以上抵抗することもできず、粛々とゴルドーとのレッスンに戻った。
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